第28話 提案を受けただけなのに、なぜか王国の前提が書き換わり始めました
沈黙が、しばらく続いた。
先ほどまで“来かけていた”何かの余韻が、部屋の空気に残っている。
王太子は立ったまま、ゆっくりと視線をリリアーナに戻した。
「提案がある」
先ほどの言葉の続きを、静かに置く。
リリアーナは首を傾げた。
「提案?」
「共存だ」
短く、断定的な一言。
エリシアが息を止める。
レオニードの目がわずかに細くなる。
「……どういう意味かしら」
リリアーナが聞く。
王太子は一歩だけ距離を詰めた。
「お前を“管理”しない」
「お前を“利用”もしない」
一拍。
「ただし、敵対もしない」
それがすべてだった。
言い換えれば。
――干渉しない代わりに、干渉するな。
だが、それは成立しない。
なぜなら。
“干渉しているのは無意識”だからだ。
レオニードが口を開く。
「条件が曖昧すぎる」
「分かっている」
王太子は即答した。
「だが、それしかない」
それが現実だった。
排除できない。
制御できない。
理解もできない。
ならば。
――関わらない。
「……一つ確認する」
レオニードの声が低くなる。
「これは王家としての意思か」
「違う」
即答。
エリシアが目を見開く。
「え?」
王太子は続ける。
「“王太子として”の意思だ」
つまり。
まだ国家は動いていない。
個人の判断。
だが。
それは同時に。
――責任を引き受けるという宣言。
レオニードは、数秒だけ考えた。
そして。
「合理的だ」
短く言う。
「だろう」
「だが」
一拍。
「不完全だ」
王太子は頷いた。
「承知している」
完全な解は存在しない。
それを理解している。
だからこそ、この提案。
エリシアが、ゆっくりと口を開く。
「ねえ」
「なんだ」
「それってさ」
一拍。
「“何もしない”ってこと?」
王太子は少し考えて。
「違う」
と答えた。
「“何もできない”と認めることだ」
その言葉で。
部屋の空気が、わずかに変わる。
王族が。
力を持つ側が。
無力を認めた。
それは、極めて異常なことだった。
リリアーナは、しばらく考えていた。
そして。
「難しい話ね」
と、率直に言った。
沈黙。
誰も否定しない。
その通りだからだ。
「私は」
リリアーナが続ける。
「普通に過ごしたいだけなの」
それが本音。
飾りもない。
意図もない。
ただの願い。
王太子は、その言葉を静かに受け止めた。
「ならば」
一歩だけ近づく。
「それを守る」
断言。
エリシアが息を呑む。
レオニードは、何も言わない。
ただ観察する。
「王都において」
王太子は続ける。
「お前が“普通に過ごせる環境”を維持する」
「……」
「その代わり」
一拍。
「不用意に感情を揺らすな」
核心だった。
リリアーナは、少しだけ困った顔をする。
「それは……難しいわ」
正直な答え。
エリシアが苦笑する。
「だよね」
王太子も、わずかに息を吐いた。
「分かっている」
完全な制御は不可能。
だが。
「ならば、こちらが合わせる」
方向を変える。
――世界が、彼女に合わせる。
それが唯一の解。
レオニードが静かに言う。
「……それは」
一拍。
「王国の前提を変えることになる」
「そうだ」
王太子は迷わない。
「だが、既に変わっている」
それが現実。
黒竜が来かけた時点で。
すべては変わっている。
今さら元には戻らない。
「……理解した」
レオニードが言う。
「条件付きで受け入れる」
エリシアも頷く。
「私も賛成」
そして。
リリアーナは。
「よく分からないけれど」
少し笑って。
「皆がそれでいいなら」
それだけだった。
その一言で。
“合意”が成立した。
形式ではない。
文書でもない。
だが。
――王国の構造そのものが、静かに書き換わる。
その瞬間だった。
沈黙。
そして。
王太子が、最後に一つだけ言った。
「もう一つ」
「なに?」
リリアーナが首を傾げる。
「……黒竜についてだ」
空気が、再び張り詰める。
「今後、接触する可能性はあるか」
レオニードが即座に警戒する。
エリシアも同じ。
だが。
リリアーナは少し考えて。
「分からないわ」
と答えた。
「でも」
一拍。
「来たいと思えば、来ると思う」
その言葉に。
全員が同じことを理解した。
――止められない。
王太子は、ゆっくりと目を閉じた。
「……そうか」
それだけ言う。
そして。
その事実を受け入れた。
――制御不能。
――回避不能。
――共存しかない。
それが、この世界の新しい前提だった。
リリアーナは、そんなことを知らずに言う。
「少しお茶にしない?」
沈黙。
そして。
エリシアが笑った。
「うん、しよう」
レオニードも頷く。
王太子は、一瞬だけ迷って。
「……頂こう」
そう答えた。
それは。
王族としてではなく。
一人の人間としての選択だった。




