第24話 少し会いたいと思っただけなのに、なぜか王都の空が答えようとしました
王都に戻って三日目。
アルヴェイン公爵邸の午後は、穏やかだった。
庭には陽が差し、
風も柔らかい。
「今日は静かね」
リリアーナが紅茶を置きながら言う。
「そうだね」
エリシアが頷く。
だが視線は周囲に走っている。
――静かすぎないか。
ほんのわずかな違和感。
だが今は許容範囲。
「お兄様もいないし、のんびりできるわ」
「……それフラグっぽいんだけど」
「ふらぐ?」
「ううん、なんでもない」
エリシアは軽く首を振った。
その時。
リリアーナが、ふと空を見上げる。
「……」
一瞬、言葉が止まる。
「どうしたの?」
「ええと……」
少し考えて。
ぽつりと呟く。
「……あの子、元気かしら」
静かな一言。
それだけだった。
だが。
エリシアの表情が固まる。
「……ねえ」
低い声。
「今、何考えた?」
「え?」
「黒い子のこと?」
「ええ」
素直に頷く。
「久しぶりに会いたいなって――」
その瞬間。
風が止まった。
音が消える。
遠くのざわめきが、すっと引いていく。
「……やばい」
エリシアが立ち上がる。
全身の感覚が警告を鳴らす。
「やばいやばいやばい」
同時に。
屋敷の奥から、足音。
レオニードが現れる。
「今、何を思った」
声は低く、鋭い。
「え?」
リリアーナが振り向く。
「ただ、少し会いたいなって――」
「止めろ」
即断。
「それ以上考えるな」
空気が重くなる。
見えない圧。
いや。
“来る前の気配”。
エリシアが窓を見る。
――暗い。
まだ昼なのに、光が弱い。
「……もう来てる」
「距離は」
「分からない」
レオニードの思考が高速で回る。
時間がない。
「全員、退避」
即座に命令。
護衛が動く。
だが意味はないと分かっている。
これは防げない。
止める手段は一つだけ。
「リリアーナ」
名を呼ぶ。
まっすぐに。
「今、何を感じている」
問いは短い。
リリアーナは少し戸惑った。
「ええと……」
考える。
その時間が、危険。
「……少し、会いたいなって」
その言葉に。
空が、さらに暗くなる。
エリシアが叫ぶ。
「違う!」
「え?」
「それじゃダメ!」
レオニードも続ける。
「“必要ない”と言え」
強い口調。
命令に近い。
「え……?」
リリアーナが迷う。
その瞬間。
――影が落ちる。
王都の上空。
巨大な何かが、空を覆い始めていた。
まだ姿は見えない。
だが分かる。
全員が理解している。
――黒竜。
王都が、ざわめく。
人が止まる。
空を見る。
何かがおかしい。
「……来なくていい」
レオニードが言う。
「今すぐ」
エリシアも続く。
「お姉様、言って」
リリアーナは、空を見上げた。
少しだけ寂しそうに。
でも。
「……来なくていいわ」
静かに言う。
一瞬。
すべてが止まった。
空の暗さが、揺れる。
影が、歪む。
そして。
――消えた。
光が戻る。
音が戻る。
風が吹く。
完全に、元の王都。
まるで何もなかったかのように。
沈黙。
エリシアが、その場に崩れそうになる。
「……無理」
小さく呟く。
「心臓に悪い」
レオニードは、空を見たまま動かない。
「……確認する」
低く言う。
「今のは」
一拍。
「“到達直前”だ」
つまり。
あと一歩で。
黒竜が王都に降りていた。
リリアーナは少し困った顔をする。
「ごめんなさい」
「謝るな」
レオニードが即答する。
「お前の責任ではない」
だが。
それが一番問題だった。
エリシアが、ゆっくりと顔を上げる。
「ねえ」
「なんだ」
「これさ」
一拍。
「もう“思うだけでアウト”じゃない?」
レオニードは否定しなかった。
できなかった。
「……対策を変える」
それだけ言う。
だが。
その内容は、誰もまだ考えきれていなかった。
リリアーナは空を見上げる。
「……元気そうでよかったわ」
ぽつりと呟く。
エリシアが即座に言う。
「考えないで」
「え?」
「今の禁止」
「そうなの?」
「そう」
即答。
強く。
絶対に。
それはもはやお願いではない。
――制限だった。
王都の空は、何事もなかったように青い。
だが。
そこに“来かけたもの”を知っている者たちは、誰もそれをただの空だとは思えなかった。




