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婚約破棄されたので普通の生活を目指します。なお私は剣聖らしいのですが自覚はありません  作者: 翡翠


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第22話 朝になっただけなのに、なぜか「何も起きなかったこと」になっていました

 翌朝。


 アルヴェイン公爵領は、何事もなかったかのように動き始めていた。


 鳥が鳴き、

 人が歩き、

 市場が開く。


 ――だが。


「報告を」


 レオニードの声は、いつもより低かった。


「夜間の異常、観測できず」


 側近が答える。


「痕跡は」


「ありません」


「消失対象の確認は」


「……該当なし」


 沈黙。


 エリシアが腕を組む。


「“いなかったことになってる”」


 ぽつりと呟く。


 レオニードは否定しない。


「記録が存在しない」


「うん」


「観測もない」


「うん」


「……」


 結論は一つしかない。


 だが、それを言語化するのは躊躇われた。


「どういうこと?」


 後ろから声。


 振り返ると、リリアーナがいた。


 いつも通りの表情。


 よく眠れたのか、少しだけ柔らかい。


「おはよう」


「おはよう」


 エリシアが返す。


「体調は?」


「ええ、もう大丈夫」


 にこりと笑う。


 その瞬間。


 空気が、ほんのわずかに“戻る”。


 エリシアが小さく息を吐いた。


「……解除された」


「何が?」


 リリアーナは首を傾げる。


 レオニードが短く言う。


「夜間の影響だ」


「影響?」


「環境が変わっていた」


「そうなの?」


 リリアーナは、本当に知らない顔をする。


 エリシアは苦笑した。


「うん、かなり」


「でも今は普通よ?」


「そう」


 一拍。


「戻ったから」


 リリアーナは少し考えた。


「よかったわ」


 それだけだった。


 ――同時刻。


 領内の見張り台。


「……おかしい」


 一人の騎士が呟く。


「どうした」


「数が合わない」


「何の」


「魔物の数だ」


 記録を見直す。


 昨日の巡回記録。

 一週間前の記録。


 数字が、微妙に合わない。


「減っている?」


「いや……」


 騎士は首を振る。


「“最初からいなかった”みたいになってる」


 沈黙。


 誰も答えられない。


 ただ一つだけ分かる。


 ――記録が信用できない。


 ――現実も信用できない。


 ――何かが“書き換わっている”。


 だが。


 原因は不明。


 ――王都。


「……再報告を」


 王太子の声。


「昨夜の魔力揺らぎ、消失」


「消失?」


「はい。痕跡が完全に消えています」


「原因は」


「不明」


「関連人物は」


 一拍。


「アルヴェイン公爵令嬢、本日朝より安定」


 王太子は沈黙した。


 情報が繋がらない。


 いや、繋げたくない。


「……偶然ではない」


 小さく呟く。


 そして。


「監視を継続」


「は」


 命令は変わらない。


 だが評価は変わっている。


 ――理解不能。


 それが最終結論。


 ――再び領地。


 庭。


「今日は何をしましょうか」


 リリアーナが楽しそうに言う。


「散歩とか?」


「いいわね」


 エリシアが頷く。


 レオニードは無言で周囲を確認する。


 異常はない。


 だが。


 それが一番危険だと分かっている。


「……行くか」


 三人が歩き出す。


 穏やかな時間。


 平和な景色。


 だが。


 その裏で。


 世界の一部が“なかったこと”になっている事実は、誰も共有できない。


 できないというより――


 共有する手段がない。


 なぜなら。


 証拠が存在しないからだ。


「ねえ」


 リリアーナが空を見上げる。


「昨日、よく眠れたわ」


「……そう」


 エリシアが答える。


「よかった」


 それは本心だった。


 だが同時に。


 誰もが思っていた。


 ――その“安眠”の代償が何だったのか。


 それだけは、分からないままだった。


 そして。


 それを一番知らないのは――


 やはり、本人だった。

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