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婚約破棄されたので普通の生活を目指します。なお私は剣聖らしいのですが自覚はありません  作者: 翡翠


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第21話 少し疲れたと言っただけなのに、なぜか世界のノイズが消えました

 夜。


 アルヴェイン公爵領は、深い静けさに包まれていた。


 風はある。

 音もある。


 だが――どこかおかしい。


「……静かすぎる」


 エリシアが廊下で足を止めた。


 耳を澄ます。


 虫の声が、弱い。


 遠くの獣の気配が、ない。


「違う」


 小さく呟く。


「“消えてる”」


 その頃、別室では。


「周辺警戒の報告を」


 レオニードが短く言った。


「異常なし」


 即答。


「……再確認」


「は」


 だが同じ答えが返ってくる。


「異常なし」


 レオニードは目を細めた。


 この“異常なし”は、通常の意味ではない。


 ――“異常が検出できない状態”。


 それが最も危険だ。


「発生時刻は」


「本日、日没以降」


「トリガーは」


「不明」


 その時。


 扉が開く。


「お兄様」


 エリシアが入ってきた。


「感じてるでしょ」


「ああ」


 短い返答。


「何もいない」


「うん」


「消えてる」


「うん」


 認識は一致している。


 だが原因が分からない。


 いや。


 分かっている。


 だが認めたくない。


「……本人か」


 レオニードが呟く。


「多分」


 エリシアが頷く。


「さっき、言ってた」


「何を」


「“少し疲れた”って」


 沈黙。


 完全な沈黙。


 レオニードは、ゆっくりと目を閉じた。


「……範囲は」


「分からない」


「領内だけか」


「多分、違う」


 エリシアの声は低かった。


「もっと広い」


「……」


 最悪の想定。


 それが現実になっている可能性。


「確認する」


 レオニードが立ち上がる。


 向かう先は一つ。


 ――リリアーナの部屋。


 ノック。


「入るぞ」


「ええ」


 中から、いつも通りの声。


 扉を開ける。


 そこには。


 ベッドに腰掛け、本を閉じたリリアーナがいた。


「どうしたの?」


 穏やかな表情。


 何も変わっていない。


「体調は」


 レオニードが聞く。


「少し疲れただけよ」


「痛みは」


「ないわ」


「不安は」


「……少し」


 その一言に、空気がわずかに揺れた。


 エリシアが即座に言う。


「何が不安?」


 リリアーナは少し考えた。


「分からないの」


 静かに答える。


「ただ、少しだけ……落ち着かない感じ」


 それだけだった。


 だが。


 それで十分だった。


 レオニードは理解した。


 いや、確信した。


「……防衛だ」


「うん」


 エリシアも同意する。


「完全防衛」


 つまり。


 “危険要素の排除”。


 それが今、起きている。


 リリアーナは首を傾げる。


「何の話をしているの?」


 エリシアが、ゆっくりと近づく。


「ねえ、お姉様」


「なに?」


「今、安心してる?」


 少し考えて。


「ええ」


 微笑む。


「二人がいるもの」


 その瞬間。


 ――外の空気が、さらに静まった。


 完全な静寂。


 音が消える。


 気配が消える。


 レオニードが窓の外を見る。


 何もない。


 完全に。


「……確定だ」


 小さく言う。


「感情に連動している」


「うん」


 エリシアが頷く。


「しかも“環境単位”」


 リリアーナは、まだ分かっていない。


「どういうこと?」


 エリシアが苦笑する。


「簡単に言うとね」


「うん」


「お姉様が“安心したい”って思うと」


 一拍。


「周りから“ノイズ”が消える」


「ノイズ?」


「うん」


 少し言葉を選ぶ。


「危険かもしれないもの、とか」


「落ち着かない原因、とか」


 リリアーナは少し考えた。


「……いいことじゃない?」


 その通りだった。


 理屈の上では。


 だが。


「やりすぎ」


 エリシアは即答した。


「完全にやりすぎ」


 レオニードも同意する。


「範囲が不明だ」


「影響も不明」


「そして制御不能」


 結論は明確だった。


 リリアーナは、少し困った顔をする。


「でも、私は何もしていないわ」


「分かってる」


 エリシアが優しく言う。


「だから問題なの」


 沈黙。


 しばらくして。


「ねえ」


 リリアーナが小さく言った。


「どうすればいいの?」


 その問いに。


 二人は、同時に考えた。


 そして。


「何もしないで」


 エリシアが言った。


「え?」


「そのままでいい」


「それでいいの?」


「うん」


 レオニードも続ける。


「刺激を減らす」


「環境を安定させる」


「感情を揺らさない」


 それが、今できる唯一の対策。


 リリアーナはゆっくり頷いた。


「分かったわ」


 そして。


 ベッドに横になる。


「少し休むわね」


「ああ」


「おやすみ」


「おやすみ」


 灯りが落ちる。


 静寂。


 完全な静寂。


 だがそれは――


 自然な夜ではない。


 “作られた静けさ”。


 エリシアが、小さく呟く。


「……これ、どこまで消えてると思う?」


 レオニードは答えなかった。


 答えられなかった。


 なぜなら。


 その影響が、領地の外まで及んでいる可能性を――


 否定できなかったからだ。


 そしてその頃。


 遠く離れた場所で。


 ある魔物が、突然立ち止まった。


 何もない。


 だが。


 ――“何かに触れた”。


 次の瞬間。


 その存在は、静かに消えた。


 音もなく。


 痕跡もなく。


 ただ。


 “そこにいなかったことになる”。


 そんな形で。


 そして。


 誰も、その原因を知らない。


 ただ一人を除いて。


 ――その本人は、もう眠っていた。

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