【第7話】ガラスの壁と、聞こえぬ本音
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「外したから安全」――その油断こそが最大の罠。
街中に広がる見えない不具合の爪痕を追うユーリとキャシー。
便利さの裏に隠された、真の「引き金」の正体とは――?
どうぞお楽しみください!
「嫌だ! 断る! 我が親友ユーリを守る番犬としての聖なる務めを放り出して、報告書などという無味乾燥な紙切れなど書けるか! そんな書類、私の風の魔力ですべて微塵切りにしてくれるわ!」
翌朝。
『酔っ払い亭』の貸し切りが終わり、店内で片付けが始まる中、ルシアンの駄々をこねる声が響き渡っていた。
昨日のゴーレム大暴走と建設現場の崩落。
衛兵騎士団長であるルシアンには、破壊された現場の警備、上層部への始末書、そして騎士団全体の再編成など、山のような事後処理の職務が溜まっている。
だが、ルシアンはユーリの隣にぴったりと張り付き、床を激しく踏み鳴らしていた。
「諦めなさい、ルシアン! 一応あなた、この街の衛兵騎士団長でしょうが!」
メリッサが腕組みをして、大人の説教をルシアンに叩きつける。
「いい? MOSの件は、ユーリが言った通り『一度でも汚染された魔道具は外しても危険』ということが昨夜のボヤで証明されたわ。ここから先は、どうやってあのチップが暴走したのか、その『引き金』を解明する精密な調査が必要なの!」
「だからこそ、私が必要だろう! ユーリの身に万が一のことがあれば――」
「あなた、騎士団の仕事をサボって事後処理から逃げたいだけでしょ! さっさと行きなさい!」
「あー、聞こえないー! 大賢者様のありがたい御言葉が、どうにも鼓膜に届かないー!」
ルシアンはそう叫ぶと、両手でしっかりと耳をふさぎ、完全に聞こえないふりをし始めた。
(……何をやっているんだ、この大人は)
ユーリは、呆れ果てた目で、耳をふさいでぶつぶつ言っているルシアンを見つめた。
「ユーリ、私に何か言いたげな顔をして――」
「邪魔。早く仕事に行って。近くで風を起こされると埃が舞うから」
「ショックッ……!! 我が親友に『邪魔』の一言で切り捨てられるとは、私の風の魔力はユーリの冷たい視線すら防げないというのか……!」
ルシアンはガタガタと震え、膝から崩れ落ちた。
「はい、そこまでよ。労働の時間よ」
メリッサが容赦なくルシアンの耳をギチギチと引っ張り上げる。
「痛っ! 痛い大賢者様! 耳が引きちぎれる! 我が親友よォ―――ッ、必ずや職務を光の速さで片付け、君の元へ馳せ参ずるからなァ―――ッ!」
「はいはい。私は昨日回収したメンフィスの魔力剣と、残ったMOSのサンプルを持って、魔道具工房で直接システム分析をしてくるわ」
メリッサは、ルシアンをずるずると引きずりながら店の外へと去っていった。
朝から騒がしかった店内に、ようやく静寂が戻ってくる。
「あはは、本当におもしろい大人たちだね」
トレイを片手に、赤髪を揺らした看板娘――キャシーがクスリと笑いながら近づいてきた。
彼女の獣の耳が、楽しそうにピコピコと動いている。
「ルシアン団長、普段はすごく真面目で、眉間にしわを寄せて難しい国の話ばかりしてるの。あんなふうに子供みたいに駄々をこねる姿、初めて見たかも」
「……ただの大型犬のようなものだよ。近づかれると暑苦しくてかなわない」
ユーリはため息をつきながら立ち上がった。
「さて。街に出て、あのMOSに汚染された魔道具の様子を見てくるよ。いつまた暴走が起きるか分からないからね」
「あ、それなら私がついていくよ!」
キャシーが嬉しそうに名乗りを上げた。
「パパからも『ユーリくんは街の地理に疎いから、面倒を見てあげな』って言われてるし。それに……その珍しいお洋服を着たユーリくんと、ちょっと一緒に街を歩いてみたかったんだ」
キャシーは照れくさそうに頬を染め、抜群のプロポーションを誇るしなやかな身体を少し縮こまらせた。
「それは、助かるけれど……。迷惑じゃないかな」
「全然! むしろ、大歓迎だよ!」
こうして、ユーリはキャシーを案内役に、グランデールの街へと繰り出した。
(まるで疑似デートのようだな……)
並んで歩きながら、ユーリは少しだけ落ち着かない気持ちになっていた。
キャシーはただ美しいだけでなく、獣人特有のしなやかな肢体と、誰に対しても明るく振る舞う優しさを持っている。
制服姿の自分と並んでいると、どこか不釣り合いな気さえしてくる。
街は、何事もなかったかのように賑わっていた。
「もうMOSを外したから安全だ」と信じ込んでいる兵士や冒険者たちは、平気な顔でゴーレムを動かし、魔力剣を腰に下げている。
だが、ユーリの【眼】は、その笑顔の裏に潜む「不具合」をはっきりと捉えていた。
街を照らす魔導街灯の内部。
それらの魔導回線の繋ぎ目には、うっすらと、しかし確実に、蠢く「紫色のマナの澱み」が、休眠状態のまま残っていた。
(やっぱり、チップを物理的に外したところで、回路の汚染は消えていない。何かがきっかけで、いつでも昨夜のように一斉暴走を起こすぞ……)
ユーリが表情を曇らせていると、ふいに、周囲の町人たちからひそひそとした会話が耳に届いた。
耳をピコピコと動かし、少しうつむき加減に歩くキャシーへと、冷たい視線が突き刺さっている。
「おい、見ろよ。あの獣人の娘だ」
「野蛮な獣の血を引く分際で、図体ばかり大きくて、男を惑わすような体つきをして……」
「元勇者の娘だからって、いい気になってるんじゃないのか?」
聞こえるような声で囁かれる、心ない陰口。
キャシーは悲しげに瞳を伏せ、何も聞こえていないかのように、ただ無理に笑顔を作って歩く速度を上げた。
ユーリの胸の奥で、激しい怒りと「不快感」が沸き起こった。
(……気に入らない。本当に、気に入らないな)
魔法の不具合も、人間の悪意も。
理不尽な状況を前にして、ただ黙って、震えて、見過ごすことだけは、二度としないと決めたのだ。
ユーリは無造作に歩みを止め、陰口を叩いていた町人の男たちの前に、すっと立ちはだかった。
「な、なんだお前は。魔力のないガキが……」
「何の根拠があって、彼女を野蛮だと言っているんだ?」
ユーリは感情を削ぎ落とした、冷徹な声で問いかけた。
「は? そ、そんなの、獣人は獰猛で危険だから――」
「獰猛で危険なのは、何の害も与えていない女の子に対して、集団で聞こえるように陰口を叩いているあんたたちの方だ。恥ずかしくないのか? あんたたちの方が野蛮だよ」
「な、何だと、このガキ……!」
男たちが顔を真っ赤にして掴みかかろうとする。
だが、その瞬間、キャシーが素早くユーリの前に立ち塞がった。
彼女の瞳には、かつてないほどの鋭い光が宿っている。
「……私のユーリ君に、気安く触らないで」
キャシーの全身から放たれた、ヒョウの血を引く獣人としての圧倒的な威圧感。
元勇者パーティの娘としての「本物の強者」の気配に、町人の男たちは悲鳴を上げて腰を抜かし、一目散に逃げ出していった。
「ふぅ……。ユーリ君、ありがとう。でも、無理しちゃダメだよ。彼らはただ、私たちが怖くて、遠ざけたいだけだから……」
キャシーは少し寂しそうに微笑んだ。
「怖がるなら、自分たちの頭の悪さを怖がればいいのに」
ユーリの呆れた一言に、キャシーは驚いたように目を見開き、それから、今日一番の、本当に嬉しそうな笑顔を咲かせた。
夕空が赤く染まる、高台のベンチ。
石畳の路地裏を抜けたその場所で、キャシーは膝を抱えて座っていた。
夕風が彼女の短い赤髪を揺らし、獣の耳が、心細そうに小さく伏せられている。
「……ねぇ、ユーリ君」
キャシーがぽつりと、静かに口を開いた。
「あなた、この世界に来たばかりって言ってたよね。……ふふ、可哀想に。こんな、偏見だらけの嫌な世界に来ちゃって」
自嘲気味に笑い、彼女は眼下に広がる街並みを見つめた。
「私ね、みんなが大っ嫌い。この世界も大っ嫌い……! 街の奴らは私たちを『野蛮な化け物』みたいに見るし、どこに行っても嫌な視線を向けられる。……でもね、本当は、みんなが大好きなの。店に来てくれる常連さんも、黙って美味しい料理を作ってくれるパパも、みんな大好きなの」
ぎゅっと、自分の腕を抱きしめるキャシーの力が強まる。
その肩は、小さく震えていた。
「街の人たちにだって、悪気がないのは分かってるの。ただ怖いのよね。獣人が人間より強くて、自分たちと違うから……怖くて遠ざけたいだけなの。分かってるの……分かってるけど、胸が痛いの」
彼女の瞳から、ポロポロと、大きな涙がこぼれ落ちた。
「ルシアン団長だってそう。お店に来て私に優しくしてくれる。でもね、どこか違うの。みんな笑ってるけど……どこか遠い場所にいるの。『元勇者メンバーの娘』として気を使われてるだけで、私の前にはいつだって、目に見えない、音が通らないガラスの壁があるのよ」
キャシーは泣き濡れた瞳で、ユーリを振り向いた。
「……ねぇ、教えて。あなた、昨日の晩……あの気難しくて滅多に笑わないルシアン団長と、気さくに仲良くお話してたでしょう? パパとも、お店のみんなとも……昨日の晩は違った。みんな本音で話して、本気で笑ってた。誰も壁なんて作ってなかった。……すっごく楽しそうで、私も……生まれて初めて、心が跳ねるくらい楽しかったの」
キャシーはすがるように、ユーリの手をぎゅっと握りしめた。
強靭な力を誇るはずの彼女の手が、今は壊れそうなほどに震えている。
「ねぇ、お願い、教えて……。どうしたらあなたみたいに……みんなと本当の意味で笑い合える、楽しい時間を作ることができるの……?」
切実な、彼女の心の奥の叫び。
けれど、異世界から来たばかりの、特別な力も魔法も持たないユーリは――困ったように首をかしげるだけだった。
「どうしたら、って……うーん。特別なことなんて、何一つしてないよ」
「え……?」
「だって、この世界に来たばかりで、バイマンがどれだけすごい冒険者だったかも、ルシアンが偉い団長様だとかも、獣人族がどうとかも、何も知らなかったからね」
ユーリは自分の頭を掻きながら、夕日を見つめて素朴な本音を口にした。
「あの場にいた時はね……みんなただの『酒好きの愉快な人たち』にしか見えなかったんだ。だから、ただ遠慮なくバカな話をしただけだよ」
ユーリの視線が、ゆっくりとキャシーに向かう。
その瞳には、偏見も、過度な気遣いも、哀れみすらもなかった。
ただ純粋に、目の前にいる、一人の少女だけをまっすぐ見つめていた。
「バイマンもさ、キャシーに『辛い思いをさせたくない』って大切にしすぎるあまり、少し遠慮しちゃってたんじゃないかな。みんな、君のことが大好きだからこそ、壁ができちゃってたんだと思う」
「私のことが……好きだから……?」
「うん。昨日君が笑ったとき、みんなもすごく嬉しそうに君を見てたよ。……まあ、気持ちはわかるけどね」
ユーリは照れくさそうに少しだけ顔を背け、ボソッと呟いた。
「キャシーが笑うと、めちゃくちゃ綺麗だからさ。……正直、昨日の晩だって、君の笑顔から目が離せなかったんだ。力も強くて、綺麗で、誰よりも優しい……君はただの『素敵な女の子』だよ。元勇者メンバーの娘とか、獣人とか、そんなの関係なくさ」
「――あ」
キャシーの時が、止まった。
ユーリは何気なく言ったのだ。
彼にとっては、差別もない自分の故郷と同じ感覚で、ただ「目の前にいる女の子」として彼女を肯定しただけ。
けれど、キャシーの中で、ずっと彼女を苦しめていた「ガラスの壁」が音を立てて砕け散った。
(そうか……。私は『獣人だから』『勇者の娘だから』って、自分から壁の向こうに閉じこもっていたんだ……。この人は最初から、私をただの『私』として見てくれていたんだ……)
嫌いだった自分の強さも、目立つ身体も、人間と違う血も。
このユーリはすべてを置き去りにして、「ただの素敵な女の子」だと笑ってくれた。
ドクン、と胸の奥が、熱く跳ねる。
「……あ、ごめん! なんか上から目線みたいなこと言っちゃって! 生意気だったね」
慌てて手を振るユーリの無防備な顔を見て、キャシーの唇から、ふっと温かい笑みがこぼれた。
涙がすーっと頬を伝う。今度の涙は、とても温かかった。
「……ううん。ありがとう、ユーリ」
キャシーは、胸の前で自分の手をぎゅっと握りしめた。
夕日に照らされるユーリの横顔が、眩しくて、愛おしくて、もう直視できない。
(ねえ……教えてくれたお礼に、今度は私が、あなたを守るね)
「教えて」と問いかけたキャシーは、もう答えを必要としていなかった。
彼女の心を満たしたのは、世界への憎しみでも寂しさでもなく、目の前のユーリへ捧げる、甘く切ない初恋だった。
高台を下り、街の東端にある広大な「放牧区画(家畜場)」に差し掛かった頃、空は綺麗な夕暮れ色に染まり始めていた。
「ココ牛たち、お家に帰る時間だよー!」
放牧場の管理者の男が、牛に似た大型の異世界の家畜たちを集めようとしていた。
男は、懐から金属製の細い「笛」を取り出すと、口にくわえて勢いよく息を吹き込んだ。
(……?)
ユーリは耳をすませた。
だが、男がどれだけ強く笛を吹いても、自分の耳には「一切の音が聞こえない」。
完全な無音だった。
しかし、放牧されていた巨大な家畜たちは、その瞬間に一斉に耳をそばだて、整列して大人しく小屋の中へと入っていった。
「……え? 今、あの人、笛を吹いたよね? 何も音が聞こえなかったんだけど……」
ユーリは自分の耳を押さえた。こちらの世界に来て、聴覚までおかしくなってしまったのだろうか。
「ああ、あれは『魔笛』だよ」
キャシーがユーリの様子を見て、優しく教えてくれた。
「基本、人間には聞こえない、動物や魔獣にだけ聞こえる特別な高い音を出す笛なんだ。家畜の誘導によく使われるの」
「人間には聞こえない、高い音……」
「うん。でもね、中には小さな子供を気づかないうちに操ることができる、強力な魔笛もあるんだって。……怖いよね。自分には何も聞こえていないのに、気づかないうちに誰かに操られちゃうなんて」
キャシーのその言葉が、ユーリの脳内に、稲妻のような衝撃をもたらした。
(聞こえない音……。特定の周波数……)
ユーリは、これまでの「暴走の瞬間」を思い出した。
建設現場でゴーレムが暴走し、メンフィスたちの剣が爆発した瞬間。
昨夜、メリッサの魔力剣から大火炎が吹き上がった瞬間。
そのいずれの瞬間にも、耳を劈くような「キィィィィィン」という不快な金属音が響いていた。
(……そうだ。高周波だ。MOSによって汚染された魔道具の回路は、外部から『特定の周波数』を浴びせられると、まるで音叉のように共鳴を起こし、一斉に暴走不具合を起こすように仕組まれているとしたら……!)
謎が解けた。
誰かが街のどこかで、この聞こえない音――
『魔笛』のような音を響かせて、意図的に一斉暴走を誘発させている。
「キャシー、今すぐメリッサのところに戻ろう。街が吹き飛ぶ、本当の『引き金』が分かったかもしれない!」
「えっ……? うん、わかった!」
ユーリの急に真剣になった表情と、ただ者ではない雰囲気に、キャシーはドキリとしつつも、力強く頷いて走り出した。
第7話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
キャシーとの街歩きの中で見えた人々の偏見と、彼女の心を縛っていた「ガラスの壁」。
「君はただの素敵な女の子だよ」というユーリの飾らない言葉に救われたキャシーの胸に灯った、甘く切ない初恋でした。
そして――家畜を誘導する「魔笛(聞こえない音)」から、ついにユーリの知略が暴いた一斉暴走の真実!
【特定の高周波音波】こそが、汚染された回路を一斉に狂わせる最悪のトリガーだった……!
次話、真実を確かめるべく、取り壊し中の『魔導実験施設』へ潜入調査!
キャシーの変化の術と、怪しげな警備員の待つ施設で新たな罠が牙を剥きます!
「キャシーの恋する表情が可愛すぎる!」
「魔笛から高周波のトリックに気づくユーリが流石!」
「サスペンスのピースが綺麗にハマって気持ちいい!」
「潜入調査の行方が気になる、次へ!」
と少しでも楽しんでいただけましたら、
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次話【第8話:潜入の偽装と、俊敏なる爪】へ続きます。




