【第65話】焚き火の夜風と銀髪の記憶
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前回は留守番組の阿鼻叫喚と、バイマンの親バカ&口説き黒歴史暴露で賑やかな出発となりましたが、今回はサザンクロスへ向かう道中、焚き火を囲む夜の一幕です。
普段は「夫のために」と大真面目に天然ボケを連発するクールな元近衛筆頭剣士・シエラ。
彼女がなぜそこまで頑なにユーリに寄り添い、命を懸けて守ろうとするのか――。
その原点となる、過去の過酷な試練と、ユーリとの出会いの記憶が語られます。
道中の静かな夜の語らいを、どうぞお楽しみください!
グランデールを発って二日目の夜。
街道沿いの開けた草原に魔導馬車を止め、四人は野営の準備を整えていた。
夜空には満天の星が広がり、パチパチと爆ぜる焚き火の赤い炎が、四人の顔を穏やかに照らし出している。
「あいたたた……。やっぱり、硬い地面の上に毛布一枚じゃ背中が痛いわね。魔導馬車のシートも悪くはないけれど、ふかふかのベッドが恋しいわ」
大賢者メリッサが小さく腰を叩きながら、焚き火の傍らで大きくため息をついた。
その隣で、木の枝に刺した干し肉を炙っていたキャシーが、耳をぴょこんと揺らしながら何気なく口を挟む。
「まあ、年だから体にこたえるわよねー」
瞬間、周囲の空気が絶対零度まで凍りついた。
メリッサの細い眉がピクリと跳ね上がり、紅玉のような瞳から鋭利な氷刃のごとき視線がキャシーへと突き刺さる。
「……なんですって?」
「ひぃっ!? な、何でもないです! 大賢者様の透き通るような美肌には旅の疲れなんてこれっぽっちも見当たりません!」
キャシーは背中の毛を逆立てて後ずさりし、必死に話題を逸らすように、焚き火の向こうで静かに腰掛けているシエラへと顔を向けた。
「そ、そういえばシエラはずっと表情が変わらないけど、こういう野営の旅って平気なの?」
「ん? ああ……ずっと部隊で育ったからな。野山で数週間過ごすことなど日常茶飯事だった。硬い地面だろうと雨風の中だろうと、目を閉じれば眠れる」
銀髪を夜風になびかせながら、シエラは淡々と答えた。その佇まいには一切の乱れがなく、長旅の疲労など微塵も感じさせない。
「部隊での訓練って、やっぱり相当厳しかったの? 辛い思いとかしなかった?」
キャシーの素朴な問いに、シエラは焚き火の炎を見つめたまま、わずかに視線を伏せた。
「軍規に従い、体を極限まで鍛え上げるのは兵士として当然のことだ。肉体の酷使自体を辛いと思ったことはない。だが……魔族の成長期に行われる『情念覚醒の儀』だけは、今でも鮮明に覚えている」
「情念覚醒の儀……?」
ユーリが呟くと、メリッサが紅茶の代わりに淹れた野草茶をすすりながら言葉を継いだ。
「魔族特有の生体進化儀式ね。魔族は幼少期から成人に至る過程で、心に『強烈な感情の揺らぎ』を経験することで、体内の潜在魔力と身体能力を爆発的に覚醒させるのよ。その引き金は激しい怒り、絶望、恐怖、あるいは極限の危機感……強烈であればあるほど強大な力を得るわ」
「その通りだ」
シエラは静かに頷き、遠い昔を思い返すように目を細めた。
「大抵の者は、飢えた下級魔獣の群れの中に素手で放り込まれたり、極寒の雪山や灼熱の荒野に一人で置き去りにされる。生命の危機による強烈な恐怖と生存本能を引き出すためだ。まあ……そういう試練を課される連中は、まだ幸運な方なのだがな」
「……え? 全然、ラッキーのかけらも見えないんだけど!?」
キャシーが目を丸くして戦慄する。だがシエラは首を横に振った。
「肉体的に追い込むだけで覚醒できるなら、どれほど容易いか。肉体的な試練で心が揺らがない者には……精神を徹底的に破壊する試練が用意されるのだからな」
夜風が吹き抜け、焚き火の火の粉が夜空へと舞い上がった。
静まり返った草原の中、シエラは自らの幼少期をぽつりぽつりと語り始めた。
「私は幼い頃から、人より頑丈な肉体に恵まれていた。幼少の身でありながら、二回りは体躯の大きい大人の兵士を何人も投げ飛ばすほどにな。特に剣術の才に長けており、教えられた流派の型はどれも一度見れば模倣できた。次々と免許皆伝の腕前を淡々と体得していったよ」
シエラの声音には誇らしげな響きは一切なく、ただ事実を並べるような冷淡さがあった。
「その頃の私は……少し自惚れていたのだと思う。大きな武闘大会に出場しては優勝を重ね、もはや私に成し得ないことなど何一つない、と。世界は自分の剣先一つでどうとでもなるのだと、本気で思い上がっていた」
シエラは膝の上で、自らの白く引き締まった両手をじっと見つめた。
「私が育ったのは、人里離れた貧しい小さな村だった。土地は痩せこけ、その日食べるものすら満足に手に入らないような場所だ。だが……私はその村が好きだった。そこにいたのは、親を失った孤児ばかり。そう、捨てられた子供たちだけが集まって身を寄せ合う村だった。貧しいなりに皆で助け合い、わずかな食料を分け合って笑い合っていた」
過酷な環境の中で、その村だけがシエラにとって唯一の温もりだった。
「私が大会で優勝するたびに、村には多額の賞金が支給された。新しい毛布が買え、皆が温かいスープを飲める。だから私はますます剣の訓練に打ち込んだ。やがて成人の年が近づき、私にも『情念覚醒の儀』の時期が迫っていた。どんな肉体的な荒行にも動じない私に対し、試験官たちが精神を揺さぶる試練を仕掛けてくることなど、客観的に考えれば明白だったはずなのだ」
「そ、その試練って……何だったの?」
キャシーが恐る恐る尋ねる。シエラは炎を見つめたまま、低く呟いた。
「――村を、魔物に襲わせることだ」
「な……っ!?」
キャシーが息を呑み、メリッサも険しい表情で眉根を寄せた。
「狂気の沙汰ね……」
「元々の計画では、知能の低い小型の魔獣――『泥牙猪』の小規模な群れを村へけしかける予定だったらしい。村人に多少の怪我を負わせ、私の怒りと焦燥感を煽って覚醒を促す手はずだった。実際、大惨事にならないよう、周囲の森には屈強な監視・救助部隊が待機していたそうだ」
パチン、と焚き木が乾いた音を立てて爆ぜた。
「だが……そこで取り返しのつかない事故が起きた」
「事故……?」
「撒き餌として放たれた泥牙猪の血の匂いに引き寄せられ……近隣の山深くに潜んでいた巨大な大型魔獣――『漆黒の暴虐熊』の群れが、雪崩を打って村を急襲したのだ」
シエラの声が、わずかに震えた。
「異変の知らせを聞き、私が慌てて村へ駆けつけた時……そこは、すでに地獄と化していた。家々は薙ぎ倒されて炎上し、見慣れた村人たちが無残に引き裂かれていた。見覚えのない死体も転がっていたよ。おそらく、事故を防ぐために隠れていた監視部隊の連中だったのだろう」
「そんな……」
「剣術に自信があったとはいえ、私はまだ成人前の小娘に過ぎなかった。命のやり取りをする実戦経験など、一度もなかったのだ。……結果は、散々だったよ。私の誇っていた剣技は、血に狂った巨大な魔獣の硬質な毛皮の前にはまるで通用しなかった。仲間たちが目の前で次々と倒れていく中、私はただ無力に剣を振るうことしかできなかった」
シエラの瞳に、暗い影が落ちる。
「その後の記憶は、ほとんど残っていない。おそらく……あの極限の絶望と自己嫌悪の中で、私は覚醒したのだと思う。気づいた時には、応援に駆けつけた本隊の救護班の腕の中に抱きかかえられていた。私が生き延びられたのは、覚醒した力で無我夢中に魔獣から逃げおおせたからに過ぎない」
静寂がその場を支配した。
風の音だけが、物悲しく草原を渡っていく。
「……酷い話だろう。自分の剣技に溺れ、大切な村人を誰一人として助けることができなかったのだから」
自嘲気味に口元を歪め、シエラが小さく息を吐いた。
その時だった。
「そんなことはないよ」
低く、しかしこれまでにないほど力強く澄んだ声が、静寂を切り裂いた。
全員が驚いて顔を上げる。
声の主は、ユーリだった。
立ち上がり、まっすぐにシエラの瞳を見据えている。その眼差しには、一切の迷いも曖昧さも存在しなかった。
「そんなことはない。君は逃げなかった。自分の命を投げ打ってでも、大切な人たちを守るために立ち向かったんだ。その勇敢な心を、誰が否定できるっていうんだ」
「ユーリ殿……」
「結果がどうあれ、君が必死に戦った事実まで消えるわけじゃない。自分を卑下するな。……たとえ君自身であっても、そんな風に過去の自分を否定することは許さない」
厳しいまでの真剣さが宿る言葉だった。
かつて目の前の理不尽を見過ごし、手を伸ばせなかった深い後悔を魂に刻んでいるからこそ、命懸けで抗ったシエラの心を決して侮辱させたくないという、ユーリの譲れない芯がそこにあった。
シエラは大きく目を見張り、やがて――ふっと、氷が溶けるように柔らかな笑みを口元に浮かべた。
「……ありがとう。ユーリ。君のその言葉で、あの日の無力だった少女が……少しだけ救われた気がするよ」
シエラは胸元に手を当て、祈るように目を閉じた。
その後、シエラはより一層過酷な剣の道へと身を投じることになった。
二度と何も失わないため。守りたいものができた時、今度こそ必ず守り切る絶対の力を手に入れるために。
そして帝都の騎士団で頭角を現した彼女は、やがてガイゼルの邪悪な企みを知り、人質となった人々を救うために呪われた魔剣を手にグランデールへと向かったのだ。
だが――シエラには、ユーリたちに打ち明けていない真実がもう一つあった。
(――あの時、私は自暴自棄になっていたのだ)
焚き火の炎を見つめながら、シエラは心の中で静かに独白する。
守るための力として与えられたはずの魔族の武力。しかし、帝国や過激派の行っていた非道な悪行は、彼女の高潔な心にはどうしても肯定できるものではなかった。
何のために剣を振るえばいいのかも見失い、ただ「誰かを守って死に場所を見つけたい」と願うようになっていた。
そんな絶望の淵で、出会ったのだ。
魔導商都グランデールの裏路地で出会った、不思議な少年――ユーリに。
魔剣の呪いに体を侵食され、右腕と同化し、回復の見込みなど万に一つもないと悟ったあの日。
激痛と狂気の中で死を覚悟した瞬間、彼は迷うことなく目の前に飛び込んできた。
魔力など持たないその手で、世界を歪めるマナの不純物を力任せに剥ぎ取り、自分を縛り付けていた呪縛の枷を粉々に打ち砕いてくれた。
(覚えているだろうか、ユーリ)
不純物を剥ぎ取られた後、倒れかけた自分の手を取り、まっすぐな瞳で「助かってよかった」と声をかけてくれたことを。
自分が震える声で「ありがとう」と伝えた時、それに返事をするように、力強くその手を握り返してくれたことを。
(あの日、村が滅びてから……私は気づいていなかったのだ。一人きりでは、誰にも手を握り返してもらえないということに)
温かかった。
冷え切っていた魂の底まで熱が染み渡るような、絶対の温もりだった。
もう二度と、あの手のぬくもりを手放したくはない。
(覚えているだろうか。あの時、君の背中に向けて……私が心の底から『生きたい』と、願いを口にしたことを)
シエラはそっと自分の右手を握りしめ、胸の前で抱きしめた。
自分に生きる意味を与えてくれた大切な存在として、この命が尽きる瞬間までユーリの盾となり、剣となる。その誓いは、今や揺るぎない確信となっていた。
「……さあ、湿っぽい話はおしまいよ」
メリッサがパンと手を叩き、立ち上がった。
「明日も朝早くから馬車を走らせるわ。サザンクロスまではまだ距離があるのよ。交代で見張り番をして、しっかり体を休めなさい」
「はーい! じゃあ最初の見張りはあたしがやるね!」
キャシーが元気よく手を挙げ、周囲の警戒へと駆け出していく。
シエラも静かに立ち上がり、腰の刀の鯉口を確かめた。
「私も周囲に不審な気配がないか、一回り索敵してこよう」
去っていくシエラの背中を見送りながら、ユーリは夜空を見上げた。
冷たい夜風の中に、かすかに潮の香りが混ざり始めている。
南の果てにある商業都市サザンクロス。
そこで待ち受ける見えない罠と悪意の影へ向けて、馬車は明日も南へと進み続ける。
第65話をお読みいただき、ありがとうございました!
シエラの抱えていた深い後悔と、ユーリがかつて救ったあの日交わした「手のぬくもり」の記憶でした。
普段は天然ボケ全開のシエラですが、彼女にとってユーリはまさに「もう一度生きる意味をくれた光」そのものなんですね……!
そして、自分を見過ごした後悔を持つユーリだからこそ、シエラの必死だった過去を絶対に否定させないという強い芯も描けた回となりました。
次回は旅の3日目、灼熱の砂漠越え!
オアシスで出会う見下し護衛たちと、砂海を支配する巨大な暴君……?
ユーリたちのスカッとする活躍にご期待ください!
【読者の皆様へのお願い】
「シエラの過去に胸を打たれた」
「ユーリのセリフが格好いい!」
「二人の絆が尊い」
など、少しでも心に響くものがありましたら、
作品下部にある**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価**していただけますと、ランキングを駆け上がる凄まじい力になります!
次回は明日18時40分頃更新します。
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