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【第49話】放水魔導器の暴走と残酷な天秤

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


下町を呑み込む、計算され尽くした業火の海。

逃げ惑う人々を前に、防災の要である放水魔導器は悪意によって沈黙していた――。


街を救うためには、囚われた愛娘リリィを無傷で取り戻すための「唯一の切り札」を、自らの手で壊さなければならない。

亡き妻との約束、娘の命、そして目の前の人々の命。


あまりにも残酷な天秤を前に、一人の父親が、そして世界一の職人が下した決断とは――。


それでは、魂を揺さぶる第49話をお楽しみください!

 下町の片隅に佇む『アレン魔道具修理店』。

 夜の帳が下りた工房の内部は、静まり返っていた。祈誓塔での激闘を終え、負傷者の応急手当てを手伝った後、アレンは一人、引き裂かれそうな胸の痛みを抱えてこの場所へと戻っていた。


 明かりを灯さぬ作業場の奥。

 アレンは軋む膝を折り、長年使い込まれた作業机の足元にある、古びた床板へと傷だらけの指をかけた。

 継ぎ目に爪を立て、隠し釘を外して板をゆっくりと持ち上げる。

 立ち上る埃の匂いの奥から、冷たい石造りの小さな地下保管庫が口を開けた。


 その暗がりに鎮座していたのは、真鍮の堅牢なフレームで厳重に封印された、手のひら大の金属ケース。

 蓋の隙間から、淡い青白い光が心拍のようにトクン、トクンと微かに脈動している。


 ――『バイオエーテルコア』。

 かつて帝国の極秘機関『ガルディノ魔導重工・アニマギアス工房』から脱走した際、アレンが唯一持ち出した生体魔導核。

 カルトが操る並列爆弾の神経組織を強制的に休眠させ、囚われた最愛の娘――リリィを無傷で救い出すために残された、最後の切り札。


「……すまない、エマ……」


 アレンの唇から、亡き妻の名が掠れた吐息となってこぼれ落ちた。

 十年前に命を賭して逃亡し、この街で出会った最愛の女性。

 病に倒れ、リリィを遺してこの世を去る間際、彼女と交わした最後の約束が、今も胸の奥で重く燻っていた。


『もう二度と、人を傷つける危険な研究や兵器開発には関わらないで。この手は……誰かを笑顔にするための優しい手でいてね』


 あの日、アレンは誓ったのだ。

 このバイオエーテルコアを二度と悪事にも研究にも使わず、永遠に封印し続けると。

 ただの日用品の修理屋として、壊れた鍋や時計を直し、リリィの笑顔だけを守って生きていくと。


「約束を破る俺を……許してくれ。だが……あの子を助けるためには、これしかないんだ……!」


 アレンは震える手でケースを取り出し、工具袋の底へと深くしまい込んだ。

 妻への誓いを破ってでも、愛娘を地獄から連れ戻す。父親としての悲痛な覚悟を胸に、アレンが工房を飛び出そうとした――その刹那だった。


 ドォォォォォン……ッ!!


 夜の静寂を切り裂く、大地を揺るがすような轟音。

 工房のガラス戸がビリビリと激しく悲鳴を上げた。


「な……なんだ……!?」


 アレンが弾かれたように外へ飛び出すと、工房からわずか数百メートル離れた住宅密集地から、夜空を焦がすような真っ赤な火柱と黒煙が噴き上がっていた。


「火事だァァッ! 逃げろ!」


「誰か、うちの子を助けてくれぇっ!」


 叫び声と怒号が夜気を切り裂く。

 火の手は一軒や二軒の規模ではなかった。

 木造長屋が密集する下町の通りを取り囲むように、計算され尽くした複数の火元から一斉に業火が立ち昇り、住民たちの逃げ道を塞ぐようにして燃え広がっていた。


「放火……!? こんな場所で……!?」


 アレンは人混みを掻き分け、猛火の熱風が吹き荒れる通りへと全力で駆け込んだ。

 通りの中央には、街の防災用に設置された巨大な真鍮製の『大型放水魔導器』が鎮座していた。

 だが、その周囲に集まった数人の男たちは、操作レバーにすがりつきながら絶望の悲鳴を上げていた。


「おい、放水魔導器はどうした! 早く水を噴かせろ!」


「ダメだ! レバーがびくともしない! 起動装置が完全に死んでるんだ!」


「どいてくれッ! 俺が見る!」


 アレンは人垣を押し分け、熱気渦巻く放水器の前へと飛び込んだ。


「ア、アレンさんか!? 頼む、直してくれ! このままだと通り全体が燃えちまう!」


 アレンは工具袋からバールを引き抜くと、放水器の側面にある金属製の制御パネルの隙間に突き立て、渾身の力でこじ開けた。


 バキリッ、と金属がひしゃげる音と共に剥き出しになった内部機構。

 白煙が吹き出す動力回路を一目見た瞬間、アレンの職人の目が最悪の異常を看破した。


「……動力の供給ラインに、物理的な遮断ロックが噛まされている……! 誰かが意図的に、この装置を動かなくさせたんだ……!」


 カルトの手口だ。

 火災によって市民を追い詰め、さらに消火設備を完全に封殺する。

 人を数字のように焼き殺すための、冷酷非道な罠。

 アレンは迷わず工具の刃を隙間へ滑り込ませ、精密な手さばきで遮断ロックを力尽くで引き抜いた。


 カチリ、とロックは外れた。

 だが――魔導器は、依然として冷たい沈黙を保ったままだった。


「な……動かないぞ!? なんでだ!」


「アレンさん、まだ直らないのか!?」


 住民たちの悲痛な叫びがアレンの背中に突き刺さる。


(ダメだ……! ロックを外しただけじゃ起動しない……! 内部の予備魔導炉が焼き切られている……!)


 通常の魔導士が数人がかりで魔力を注ぎ込んだところで、この巨大な放水器を即座にフル稼働させることは不可能だった。

 今この瞬間に、猛火を鎮圧するほどの凄まじい水圧を生み出すには――一瞬にして膨大なエネルギーを叩き込める、規格外の『魔力核』が必要だった。


「魔力核……そんなもの、今この場で用意できるはずが……」


 アレンの思考が、ふと腰の工具袋の底で凍りついた。

 指先が触れたのは、先ほど工房の地下から持ち出したばかりの、あの真鍮のケース。

 淡く、心拍のように青白い光を放ちながら脈動する物体。


 ――『バイオエーテルコア』。


「……っ」


 アレンの全身から、血の気が一瞬にして引き去っていった。

 このバイオエーテルコアを放水器のスロットへ差し込めば、その莫大な魔力によって装置は一瞬で覚醒し、この大火を鎮火させることができる。


 だが、それは同時に――規格外の過負荷によって、コアそのものが数秒と保たずに完全に焼き切れ、二度と元には戻らない灰燼へと砕け散ることを意味していた。


(そんなことをすれば……並列爆弾のバイオパーツを止める術が消える……!)


 リリィを無傷で救い出すための、唯一の切り札が消滅する。

 カルトの手の中にいる愛娘を、安全に取り戻す手段が永遠に失われるのだ。


 頭上で、木造家屋の梁が轟音と共に焼け落ちた。


「お母さん! 熱いよ、お母さん!」


 炎に巻かれた二階の窓辺から、幼い子供の泣き叫ぶ声が響く。


 リリィの命か。

 それとも、今まさに焼き尽くされようとしている、目の前の大勢の市民たちの命か。

 あまりにも残酷な天秤が、アレンの心を無慈悲に引き裂いていく。


「くそっ……! なんでだ……! なんで俺が……こんな選択を……っ!」


 アレンのタコだらけの手が、激しく、激しく震えた。

 額から脂汗が滝のように流れ落ち、歯が砕けんばかりに噛み締められる。


 見捨てるのか。リリィを救うために、目の前で燃え盛る子供を、母親を、この街の人々を見殺しにするのか。

 だが、コアを失えば、リリィはどうなる。あの狂気のカルトの手の中で、あの子はどうなってしまうのか。

 絶望の深淵の中、アレンの脳裏に、ふと一つの記憶が鮮明に浮かび上がった。


『お父さん! 困っている人がいたら、すぐに直してあげるのが、世界一かっこいい職人さんでしょ?』


 工房で、満面の笑みを浮かべていたリリィの顔。

 首元にかけた水晶の玉を揺らし、父の傷だらけの手を「世界一だ」と誇らしげに握りしめてくれた、愛しい娘の声。


 あの子は、誰かの犠牲の上に成り立つ救済など、決して望みはしない。

 人の命を見捨てて手に入れた未来で、あの子を抱きしめることなど、この手にはできない。


「……ああ、そうだな……リリィ」


 アレンの唇から、血の滲むような掠れ声が漏れた。

 震えていた指先から、迷いが消え去っていく。


「お前なら……きっと、そう言うよな……」


 アレンは工具袋から金属ケースを取り出すと、蓋を乱暴に跳ね除けた。

 剥き出しになったバイオエーテルコアが、自らの運命を悟ったかのように激しく明滅する。


「どいてくれッ! 俺が動かす!!」


 アレンは放水器の制御コンソールへ飛び込み、動力スロットのカバーを力任せに引きちぎった。


「同調を強制設定! 術式、全開駆動――ッ!!」


 アレンは自らの右腕の魔導回路を無理やり直結させ、コアから溢れ出る強烈なエネルギーの奔流を、己の身体を導線にして装置へと叩き込んだ。


「グッ……ガァァァァァッ……!?」


 凄まじい逆流エネルギーがアレンの右腕を襲う。

 灼熱の鉄を血管に直接流し込まれたかのような激痛。皮膚が焦げ、巻かれていた包帯が黒く炭化し、肉の焼ける嫌な臭いが立ち込める。


 それでもアレンは腕を引かなかった。

 奥歯を噛み砕くほどの痛みに耐え、最後の力を振り絞って、バイオエーテルコアを動力スロットの奥深くへと突き刺した!


 ガシュゥゥゥゥンッ!!


 大地を揺るがす駆動音と共に、放水魔導器が覚醒した。

 天を衝くノズルから、巨大な大蛇のような超高圧の水流が夜空へと解き放たれる。


 ドバァァァァァッ!!


 猛威を振るっていた業火が、圧倒的な水圧によって一瞬にして圧し潰され、白い水蒸気となって立ち消えていく。

 二筋、三筋と放たれた激流が、居住区を包んでいた炎を次々と飲み込み、燃え盛る街を水浸しにしながら鎮火していった。

 やがて、ガコンと重い音を立ててボイラーが停止し、放水器は静かに沈黙した。


 そして――。


 アレンの足元、動力スロットから吐き出されたバイオエーテルコアが、カランと石畳へ落ちた。


 パキィィィン……ッ。


 甲高い音を立てて、青白い光を失ったコアが、見るも無残に粉々に砕け散った。

 修復の不可能な、完全なる崩壊。

 リリィを無傷で救い出すための唯一の切り札が、永遠に失われた瞬間だった。

 焦げた右腕を抱え、アレンはその場へ膝から崩れ落ちた。

 石畳に額を擦り付け、声にならない嗚咽を漏らす。

 その時だった。


 ザザ……ザザザ……ッ。


 通り沿いに設置されていた公衆用の通信魔導器から、不気味なノイズが響き渡った。

 スピーカーから流れ込んできたのは、狂気に満ちた、あの甲高い嘲笑だった。


『――あはははは! 素晴らしいよ、アレン先輩! やっぱりそこに飛び込んで、街の人間を助けると思ったよ!』


 カルトの声だった。


『でも残ー念ー! その火事も、放水器の停止も、ぜーんぶ仕組んだんだよ! 君が大事な大事な切り札を、自らの手で叩き割る瞬間……最高に愉快だったよ!』


『これで君には、もう逃げ道はない。僕の爆弾を止める手立ては消えたんだ。……さあ、今度こそ僕の言う通りに、あの爆弾を完成させてくれよ!』


 プツリ、と通信が切れる。

 すべては、アレンの切り札を奪うために仕組まれた悪魔のシナリオだったのだ。

 アレンの父親としての愛も、職人としての良心も、すべてが敵の手のひらの上で弄ばれていた。


「……カルト……ッ……!!」


 アレンの喉から絞り出されたのは、血を吐くような憎悪の呻きだった。

 砕け散ったコアの破片を握りしめるアレンの掌から、赤い血がボタボタと石畳を濡らす。


「アレンさんッ!!」


 猛火が消え去った煙の中を、シエラを伴い、息を切らしてユーリが駆け込んできた。

 だが、ユーリの目に飛び込んできたのは、焼け焦げた右腕を抱え、粉砕されたコアの前でうずくまるアレンの姿だった。


 アレンが、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、昼間までの穏やかな父親の光は、欠片も残されていなかった。

 すべてを奪われ、絶望の底に突き落とされた男の瞳の奥で、どす黒く冷酷な「復讐の炎」が、静かに、そして狂気的に燃え上がっていた。


第49話をお読みいただき、ありがとうございました!


「お前なら……きっと、そう言うよな……リリィ」

娘の笑顔を思い出し、己の右腕が焼け焦げる激痛に耐えながら、命に等しい『バイオエーテルコア』を放水器へ突き刺したアレンさん……。

職人としての矜持と父親としての愛、その壮絶すぎる自己犠牲に胸が締めつけられます……!


しかし、火災が鎮火した直後に粉々に砕け散ったコア、そして公衆通信から響くカルトの狂った嘲笑――。

すべては、アレンさんからリリィちゃんを救う希望を奪うために仕組まれた悪魔の罠だったなんて、あまりにも非道すぎます……!


愛する者を救う光を奪われ、漆黒の復讐の炎を宿してしまったアレンさん。

駆けつけたユーリは、この絶望にどう立ち向かうのか!?


次回、アレンのもとに怪しい影が近づき、物語はさらなる狂乱の渦へと突き進みます!


――――――――――――――――――――

【読者の皆様へのお願い】

「アレンさんの覚悟に涙が出た……!」

「カルトとアルマが許せない!」

「続きが気になってたまらない!」

と思っていただけましたら、


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次回は明日18時40分頃更新します。

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