【第14話】:【消えない澱みと、赤い革のブレスレット】
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夕暮れの路地裏、突如として展開された赤い結界。
現れたのは、魔族の最高幹部――リターニア。
その白い首元に刻まれていたのは、あまりにも残酷な「死の呪縛」だった。
どうぞお楽しみください!
夕暮れ時の赤みを帯びた大通りを、メリッサとキャシーと共に歩いていたはずだった。
だが、ふと気がつくと、隣を歩いていたはずの仲間の足音も、遠くの街のざわめきも、耳元から完全に掻き消えていた。
「……?」
足を止め、周囲を見回す。
行き交う人々で溢れていたはずの目抜き通りは跡形もなく消え失せ、視界を塞いでいるのは、苔むした古いレンガ壁に囲まれた薄暗い袋小路だった。
肌を撫でる大気の温度が、まるで氷窟に足を踏み入れたかのように急激に冷え込んでいく。
そして、【眼】を凝らせば、その異様さは一目瞭然だった。
路地の壁や石畳の裂け目から、一般の人々には決して視認できない『赤黒い触手のようなマナの歪み』が幾重にも伸び、この空間そのものをドーム状に包み込んで外界から完全に隔離している。
「おやおや。いい年をして、迷子かしら?」
背後の闇の奥から、低く艶やかな、知性に満ちた女性の声が滑り込んできた。
振り返ると、そこに一人の女性が佇んでいた。
夜の帳をそのまま織り上げたかのような、身体の起伏をなぞるタイトな漆黒のドレス。
陶器のように白い肌に、妖艶さと冷徹さを兼ね揃えた美貌。その紅く澄んだ瞳は、すべてを見透かすような底知れなさをたたえていた。
「私の名はリターニア。あなたがこの街へ落ちてきた時、少しばかり遠くから見守っていた者よ」
名乗った女性――リターニアは、音もなく滑らかな足取りで歩み寄ってくる。
以前、メリッサが『魔族は人の姿に化けているけれど、本来の姿は角を持つのよ』と語っていた。今の彼女の頭部に角は見当たらず、人間の女性としての擬態を保っている。
「迷っているのは事実だけど……意図的に迷い込ませた張本人に言われてもね」
視線を逸らさず、静かに言葉を返す。
「ふふ……。あなただけをこの空間に誘い込んだこと、すぐに見抜いてしまうのね。やはり、ただの人間ではないということかしら」
「ただの人間だよ。空間に、妙な赤黒い触手のようなものがいくつも入り込んでいるのが見えたからね」
「なるほど。やはりあなたには『マナ』が視えているのね。……怖くはないのかしら? 数秒後に命を落とすかもしれないのに」
「怖いさ。できれば、このまま安全に帰してほしいところだね」
淡々とした応対に、リターニアの口元が面白がるように弧を描いた。
「帰れるかどうかは、あなた次第よ。……率直に言って、少し話がしたかったの」
リターニアは冷たいレンガ壁にそっと背を預けた。
「なぜ『MOS』なんて代物を街にばら撒いた。騎士だけじゃない、多くの人が巻き添えになる」
「あなたはこの世界に来たばかりだからわからないのよ。これは戦いよ。女子供だからって、誰も容赦や区別なんてしてくれやしないわ」
「そもそもが間違っている!」
迷いなく、強い語気で言い返す。
「戦いだから非道なことが許されるのか? そんな理屈こそ間違っている。異世界から来たとか、そんなことは関係ない」
「ふっ……あなたはいちいち、もっともなことを言うのね。でもね、人間たちだって都合のいい夢に飛びついただけなのよ?」
リターニアは妖艶な指先を軽く宙で躍らせ、皮肉めいた笑みを深めた。
「知っているかしら? 人間たちはあれを『Mana Optimization Socket』……消費魔力を抑えて出力を引き上げる、画期的な省エネ部品だと信じ切って買い求めているわ。けれど、私たちの側での真の意味はまるで違うの」
「真の意味……?」
眉をひそめると、リターニアは冷酷な真実を口にした。
「『Mana Overload Seed』――直訳すれば『魔力過負荷の種』よ。最初から一定の高周波で暴走させ、術者ごと自爆させるためにばら撒いた罠なの。それをありがたがって自慢の武器に組み込んでいるのだから、滑稽で、哀れだと思わないかしら?」
「……人を陥れるためにそこまで仕組んでおいて、よく平然としていられるな」
「ええ、私は魔族よ。人間を憐れむ義理なんてないはずだったわ。……けれどね、じゃあ、こんな私はどうすればいいのかしら?」
リターニアは自嘲気味に微笑むと、首元に巻いていた赤い革製のチョーカーへと指をかけた。
金具を静かに外す。一見すれば、ただの上品な装飾品にすぎない。
だが、それが取り払われた瞬間、【眼】が捉えた光景に息を呑んだ。
リターニアの白い喉元に、まるで腐食したタールのようにこびりつく、禍々しい紫と赤黒の混ざり合った『マナの不純物』が激しく脈打っていた。
「……っ! なんだ、それは」
「遠隔操作式の爆破装置よ。一定の条件下……操作者が遠隔でスイッチを押すことで、私の首を即座に吹き飛ばすことができるの」
淡々と、しかし逃れられない死の宣告として告げられた事実に、言葉を失う。
「私は、あなたが間違っているという『MOS』を、今回の作戦で無事に起動させる任務を任されたわ。もし作戦に失敗すれば、その時点で爆破されるのよ」
「な、なんでそんなものを……」
問いかけると、リターニアは自らの首筋に触れ、冷たく目を伏せた。
「魔族には『情念覚醒の儀』というものがあるの。幼少期から成人に至る過程で、心に『強烈な感情の揺らぎ』を経験することで、体内の潜在魔力と身体能力を爆発的に覚醒させる儀式よ」
「感情の、揺らぎ……?」
「そう。その引き金は激しい怒り、絶望、恐怖、あるいは極限の危機感、何でもいいの……とにかく強烈な感情であればあるほど、覚醒した時に強大な力を得るわ」
リターニアは肩をすくめ、乾いた笑いを漏らした。
「私は今、その『情念覚醒の儀』の真っ最中というわけ。この作戦によって、私の精神に極限の負荷がかかることは明白だと、上層部は睨んだのね」
「精神の負荷……」
「ええ。ふふ、上の連中は私の性格を本当によく見ているわ。作戦が失敗した時のプレッシャーと、情報漏洩の防止、そして死の恐怖による覚醒の引き金を兼ねて、この首輪を取り付けたのよ」
リターニアは細い指先で喉元の赤黒い不純物をなぞった。
「これって一石三鳥よね。本当によくできすぎていて、笑えてくるわ」
「……どうするつもりなんだ」
「この街に来た時から決めていたわ。爆発で周囲を巻き込まないように、どこか人目のつかない場所で、偉いさんからの制裁を待つつもりよ」
ためらいなく己の死を受け入れようとするその横顔に、思わず声が低くなる。
「どうして、そんな話をわざわざ明かすんだ」
問いかけると、リターニアはふと、遠くの暗闇を見つめるような瞳になった。
「私には、部下が二人いるわ。お馬鹿だけど憎めない、可愛い奴らよ」
「部下……?」
「ええ。二人とも強力な制約の魔法をかけられていてね。私からの直接の指示や接触ができない状態に置かれているの。私が彼女たちに直接してあげられるのは、作戦が終わった後に逃走の手引きをしてやることくらいよ」
リターニアは小さく息を吐き出し、やりきれなさを滲ませた。
「上の連中、笑っちゃうくらい私のことを信用していないのよね。……だから、私があなたに頼みたかったのは、この作戦が失敗した後よ。あの二人の部下を、保護してやってほしいの」
赤い革のチョーカーを指に引っ掛け、リターニアは暗闇の奥へと静かに踵を返した。
「結局、女が一人犠牲になるだけの話よ。でも最後なんだから、これくらいの我が儘は許してね。……じゃあね。私は行くわ」
立ち去ろうとするリターニアの背中。
その細い肩に張り付いた、あまりにも冷たく重い死の気配。
脳裏の奥底で、あの鉛色の空――屋上で、ただ立ち尽くし、目の前で手を伸ばせなかった悔恨の記憶が激しく疼いた。
理不尽な仕組みによって命を奪われようとしている者を、二度と見過ごすわけにはいかない。
「待て。そんな話を聞いて、見逃せると思うか」
「何をする気かしら。これを外せば、敵である魔族に途方もない力を与えることになりかねないわよ」
「見過ごせないと言ったんだ!」
躊躇なく間合いを詰め、リターニアの白い首元へと右手を伸ばした。
皮膚を締め上げる、おぞましい不純物――マナの澱みへと指を深く食い込ませる。
強力なテープを力任せに引き剥がすイメージ。
全身の力を乗せ、一気に引き抜く。
「剥がれろ――ッ!」
ビリリィーー……ッ!!
空間そのものが悲鳴を上げるような硬質な破裂音が、薄暗い路地に響き渡った。
引きちぎられた赤黒い不純物は、指先の中で霧散し、光の塵となって空気中へ溶けて消えていく 。
「え……?」
リターニアが、信じられないものを見るように目を見開いた。
その直後だった。
首元を縛っていた呪縛が消失した瞬間、彼女の胸の奥で、かつてないほどの激しい感情の奔流が渦を巻いた。
ボウッ、と青白い冷気の混ざった魔力が爆発的に吹き上がる。
空間を圧迫するほどの濃密なマナが彼女の全身を包み込み、劇的な『覚醒』の変化をもたらしていく。
陶器のような白い肌は微かに神秘的な青みを帯び、夜の髪を掻き分けるようにして、頭部からすらりと伸びる優雅で禍々しい二本の漆黒の角が姿を現した。瞳は鮮血よりも深く澄み渡り、冷たく美しい闇のオーラが立ち上る。
高位魔族としての、リターニアの真の姿。
「……信じられない。魔族である私を助けるだなんて。覚醒した今の私なら、この街を容易く蹂躙できてしまうのに」
「街の人は守る。その中に、君も入っている、それだけだ」
息を整えながら、リターニアの紅い瞳を真っ直ぐに見返して告げる。
「ただの人間に、そんな責任が背負えるのかしら?」
「責任なら取るさ。君の分も含めてね」
リターニアは息を呑み、射抜かれたように立ち尽くした。
その足元に落ちていた赤い革のチョーカーを拾い上げ、差し出す。
「これ、落ちたよ」
リターニアは微かに震える指先でそれを受け取ると、首元ではなく、自らの細い手首へと丁寧に巻き付けた。
赤い革は、美しいブレスレットのように彼女の手首を飾る。
「……本当に、変わった人ね」
リターニアは手首の革を愛おしそうになぞると、懐から手のひら大の、黒く澄んだ平たい鉱石を取り出して差し出してきた。
「これは特殊な『マギストーン』。一般的なものより強力な通信具よ。……持っていきなさい」
「これは?」
「気まぐれよ。……あなたとは、また会う必要がありそうだから」
妖艶で、どこか悪戯っぽい笑みを残し、リターニアの身体は漆黒の影の中へと溶けるようにして、音もなく掻き消えた。
リターニアが姿を消すと同時に、路地を覆っていた赤い結界は完全に霧散した。
「ユーリ! どこへ行ってたのよ!」
「急に消えるから探したわよ!」
大通りの喧騒が一気に流れ込み、背後からキャシーとメリッサが駆け込んでくる。
「……ちょっと、迷子になっていただけだよ」
手首に赤いブレスレットを巻いて去っていった魔族の残影を見つめながら、静かに答える。
キャシーが安堵混じりにヒョウの耳を揺らし、腕を引っ張ってくる。
夕暮れに染まる空を見上げながら、手の中に残る冷たいマギストーンの感触を確かめた。
「さあ、立ち止まっている暇はないわよ」
メリッサが短杖の先で裏路地を指し示す。
「ハリス店長から聞いた廃屋エリアへ急ぐわよ!」
「ああ、行こう」
マギストーンをポケットの奥へ滑り込ませ、白亜の塔の不穏な影を睨み据えながら、廃屋エリアへ向けて再び力強く歩み出した。
第14話をお読みいただき、本当にありがとうございました!
「街の人は守る。その中に、君も入っている、それだけだ」
「責任なら取るさ。君の分も含めてね」
敵である魔族であろうと、目の前で理不尽に命を散らそうとしている者を決して見過ごさない――!
ユーリの迷いなき一撃「ビリリィーー……ッ!」によって死の首輪を剥ぎ取られ、真の姿へと覚醒したリターニア。
手首に巻かれた赤いブレスレットと、手渡された『マギストーン』が、二人の数奇な絆の始まりとなりました。
しかし、感傷に浸っている時間はありません。
白亜の塔の暴走を止める鍵――本物のロキシーが監禁されている廃屋ビルへ急行しなければなりません!
次話、廃屋ビルへ突入!
キャシーの野生の大暴れと、裏社会の掃除人・ハリス店長率いる謎の部隊の凄絶な制圧劇が幕を開けます!
「ユーリの迷いのなさが最高にカッコいい!」
「リターニアが美しくて魅力的すぎる!」
「ビリリィの爽快感がたまらない!」
「マギストーンを手に入れてここからどうなるのか楽しみ!」
と少しでも胸を熱くしていただけましたら、
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次話【第15話:潜伏の迷路と、裏社会の微笑】へ続きます。
次回は21時40分頃更新です。
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