三十四話 落ちる影
夜を越え、朝が来る。
ライオラはマルクトがいる天幕の中で寒さに身を震わせて目が覚めた。
森に差し込む僅かな日の光は、テントの中を照らすには物足りない。ユーゴが使っている寝台の横、昨日ハロルドが物資の中から見繕った絨毯の上で眠るマルクトの顔を見る。
――まだ、眠っていらっしゃるわ……起こしてはいけないわね。
怪我の状態が心配だが、見たところ彼の寝顔は穏やかでホッとする。
ライオラは自身にかけられていた薄い毛布を外すと、ゆっくりと起き上がった。同じ天幕内で寝ていたはずのハロルドとクロードの姿がない。二人はすでに目が覚めたのだろうか。
外を見ると、既に目が覚めていた騎士団の面々が何人か焚き火を起こしていた。薪を割る音が離れたところから聞こえ、ライオラはマルクトとユーゴを起こさないよう慎重な足取りで音が聞こえる方に向かった。
「クロード殿下、私がやりますので天幕に戻ってください」
「いいや、俺もやるって。ハロルドも昨日から動きっぱなしだろう?」
「……なら、割ったそれを四番テントの脇までお願いしてよろしいですか?」
「勿論ですよー! ハロルド殿!」
「からかわないでくれませんか、クロード殿下」
「ハロルドがノッてくれない! ……兄上には容赦ないのにこの人」
仲睦まじげな二人の様子。ライオラは二人に声をかけた。
「おはようございますわ、クロード殿下、ハロルド」
「あ、姉上だ。おはようございます」
「おはようございます、お嬢様。お早いですね」
「そうかしら。二人には負けてしまうわよ」
そうにこやかに返す。
「兄上は起きた?」
「いいえ、まだでした。薪を割っていますの? 私も手伝うわ」
「えー、ダメだよ姉上は。怪我したら大変だし、兄上に怒られるよ」
「そうかしら?」
「うん、怒られるに決まってる。俺が」
おどけた様子でクロードが言う。この駐屯地の暗い雰囲気に彼の明るい言葉は、少しばかり心を軽くさせる。
二人と話していると、ぱきりと枝が割れる音が聞こえた。振り返るとシャツのボタンを閉めた状態でマルクトが立っていた。
「まあ、マルクト様!」
「ハロルド、クロード、手伝ってくれてたのか……助かる」
「いいえ、とんでも。ところで殿下、何で動いてるんです。ユーゴの所にいてくださいよ」
「三人とも天幕にいなかったら気になるだろ」
はっきりと言うハロルドにマルクトは苦笑しているようだ。
クロードが手をライオラの耳元に寄せて言う。
「やっぱハロルドって兄上にだけキレが良いと思わない?」
「ふふ、そうね……」
「あ、そうだ兄上。せっかくだから姉上とちょっと歩いてきたら? 薪割りは俺たちでやっておくから。まだ斧持てないでしょ」
マルクトも薪割りをする前提だったような言い方である。
「さっきハロルドと向こうのほう歩いてみたんだけど、谷から森を一望できる場所があったよ。近くだし、朝日も浴びれるから行って来なよ」
「あら。クロード殿下、いつから起きていらっしゃるの?」
「え、ついさっきだって。兄上がどっか行っちゃう前にさ、ほら姉上。兄上も何突っ立ってるの? 動けないくらい辛いんだったら天幕戻ってよ」
「引っ張るな、クロード。はぁ……あそこだろう? ライオラ、見に行ってみるか」
「よろしいのですか、マルクト様」
「ああ。遠くないしな」
マルクトが隣に並ぶ。昨日会ったばかりの時よりは、顔色には生気が宿っている。
彼がこっちだと呼ぶ方について行く。後ろで「いってらっしゃーい」とクロードの見送る声を聞きながら、マルクトの背中を追った。
軽い傾斜の坂道を登ると、次第に地面はゴツゴツとした岩場に変わっていった。サクサクと枯れ葉を踏み締める。
「父上との会食があったと言っていたな、そういえば」
マルクトが話し始めた。
「ええ。あの、殿下……」
話を振られたライオラは、気になっていたことを尋ねた。
「陛下に、あのことはお伝えになられていないのですか……?」
「……ここに来たのは冬季休暇に入ってすぐだったからな」
「そうでしたか」
言う時間がなかったのだと知る。
「ライオラ、もうすぐで着く。足は大丈夫か?」
彼の声に前を見てみれば、先を歩くマルクトの背中の向こうには木々はなく、雲の隙間から青空が覗くのが見えた。
「……はい、大丈夫です」
ゆっくりと彼と共に枯れ葉が落ちる道を歩く。
マルクトが立ち止まった時、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
まるで緑の海が広がっているかのようなマガツ森の景色。遠くを見れば、虹のような色の壁が、波のように光をうねらせているのが見えた。
――あれが、魔界との国境の……。
マガツ森に敷かれている結界だ。あの結界を通れば、向こうは魔王が支配する魔界。ここよりも一層穢れが濃くなってる場所。
足元からは風の音が聞こえる。
「……ライオラは、初めて来るはずだな」
「殿下は何度かございますの?」
「この谷から森を見渡すのは三度目だ。この駐屯地には何度か視察に来ていたからな」
「そうだったのですね……」
「向こうに壁が見えるだろう。あそこからは魔界側の森だ、魔物もここより多くいる」
「では、王都がある方は……あら……あれは、何でしょう」
王城や学園がある側はどちらかと国境の反対側を見た時、ライオラは目を細めて向こうの空を見た。不自然に一箇所だけ暗雲が空を覆っている。
隣でマルクトが後退りしながら反応する。
「あれは……! ライオラ、天幕の場所まで戻るぞ」
「マ、マルクト様!?」
「……あの色の雲は魔界側でよく見た。あの雲の下にあるのは、王都だ!」
暗雲が登る空の下、マルクトはそこが王都だと断言した。
急足で天幕がある場所まで戻れば、焚き火を点けようとしているハロルドや、怪我が軽い騎士団の男達が動き回っていた。
マルクトがその中から兵長のルドルフを見つけると彼の元に駆け寄った。
「カートライト兵長」
「マルクト殿下。急ぎのようですが、いかがなさいましたか」
ルドルフは怪訝そうにマルクトを振り返る。
「王都の上空に不自然に浮かぶ暗雲を見た。俺は至急王都に戻る。カートライト殿は騎士団員と共にこのままここに残っていて貰いたい」
「なんと! 殿下、お一人で戻られるおつもりですか」
「ああ。動ける人間も少ない。怪我人の看護に当たる人員も必要だ。まだ物資は持つな? 王都に戻り次第物資の支援と報せを送るが、もし三日経っても何もなければ、その後はカートライト殿の判断に任せる」
王都に引き上げてもこのまま待ち続けても良いとマルクトは言っているのだろう。
「殿下、護衛は」
「ルドルフ様、殿下の護衛は私が」
「ライオラ嬢……?」
「ハロルドもおりますわ。私、こう見えても魔法は得意ですのよ。彼を守る盾のお役目でしたら、お任せを」
胸を張って言い、マルクトの顔を見上げた。
「ライオラ……そうか、それは……頼もしいな」
「ええ。私はマルクト様のお側におりますわ。いつだって、何があったって」
貴方の為に生きると決めたのだ。
「……ッ」
彼の赤い瞳が微かに見開かれた気がした。
その時、
「聞こえたんだけど、王都の上に何かあるって?」
「クロード……俺はこれから王都に戻る。あの黒雲は魔界の物だ。お前はカートライト殿とここに残れ。俺が様子を見に行く」
「姉上と? だめだ、俺も戻るよ。王都には父上と義母上だけじゃない、残して来た人たちが大勢いる。それに兄上だってその怪我……途中で倒れたらどうするのさ。姉上だけで王都に行かせるつもり?」
クロードは引き下がらない。そんな彼にマルクトは鋭い眼光を向けた。
「なぜ王都に戻りたがる。理由でもあるのか」
「え?」
クロードはきょとんとした表情を見せる。
「昨日も言ったはずだ。国の王子二人が同じ場所にいて共倒れしたらどうするのかと」
「それはそうだけど。王都で何か起こってるのに駆け付けないわけには」
「戻らないと不都合なことでもあるのか、クロード」
「不都合って、兄上……何、俺のこと疑ってるの?」
マルクトはクロードのその問いに答えなかった。じっと彼を見据えている。
――マルクト様もクロード様の噂はご存知だわ。手記に出てきた、ガートフィールド家との関わりはわからないけど。
マルクトも思うところがあるからこそ、王都に戻りたいというクロードの真意を探っているのだろう。
「何もないよ。ただ、王都が心配なだけで。兄上の怪我だって本当に、心配で……」
「他意は無いんだな?」
「あるわけない。そうか兄上、俺のあの話知ってるんだ……」
クロードの表情に陰りが生じる。彼の言うあの話とは何だろうか。
――南国の血が入っているかもしれないという噂のこと? それは昔からご存知だわ。
「約束する。俺は何も企てちゃいない。今までだってすぐ兄上に言ってきたでしょ? 嘘はつかないよ」
「……そうだな」
二人はしばらく互いを見合っていたが、マルクトが先に動いた。
「……王都では何があるかわからない。クロード、俺に何かあっても自分の身を守れよ? ……馬を。ライオラはハロルドのところに。俺はユーゴに伝えてくる」
「マルクト様……わかりましたわ」
「姉上、行こうか」
クロードがハロルドがいる元まで連れていく。
――マルクト様……クロード様の身を案じていたのね……。
先ほどの問答は厳しいものではあったが、ただ身内を疑う冷酷なものには思えなかった。優しいのに、不器用な方だと思う。
ハロルドと合流すると、急いで馬を停めていた場所まで向かった。




