三十五話 魔王との対立
王都へひたすら馬を走らせる。たどり着いた街並みは曇天に覆われ薄暗かった。
特に城の辺りは上空によりいっそう色濃い雲が浮かんでおり、その下は夜の如く影っている。
――なんて、息が苦しいの。これが……魔界の穢れ……。
駐屯地とは段違いな空気の重たさ。呼吸するだけで体が沈みそうな程冷たく苦しい。
王城に着くと、中はマルクトとクロードが先導した。
マルクトだが、駐屯地を出る直前に騎士団の礼服に着替えていた。礼服に身を包んだ彼の毅然とした後ろ姿に、ライオラはつい背中を目で追ってしまう。
――マルクト様……真っ直ぐに向かわれているわね。
城の石造りの壁はライオラ達の足音を跳ね返すだけで、辺りは不気味なほど静まっていた。
やがてマルクトは玉座のある大広間の大きな扉の前で足を止める。ライオラは彼の背中に呼びかけた。
「マルクト様……」
「……いるな。いいか、何を聞かれても答える必要はない。全て俺が出る」
マルクトはまるで扉の向こうに誰がいるのかわかっているかのようだ。
「あわ……おうじさま……いますですの……」
クロードの肩にしがみつくように乗っていたハルが小さな声を発する。
魔王がいるのでは。そう察し、ライオラは固唾を呑んだ。
数拍の間を置いて、マルクトの手が扉に差し掛かる。ギイと城中に響く音を立て、その扉は大広間の中をさらけ出した。
「……ほう、王子御一行のお戻りのようだ」
低くも柔らかげな声音がライオラの耳を撫でた。
「……ま、まおーさま」
ハルの怯えたような声。マルクトの背中越しに、ライオラは声の主を見た。
――彼が、あの魔界の主の……。
背中よりも伸びた黒髪を後ろに流した美丈夫。長い黒のロングコートに身を包み、中には紺のシャツを合わせた着こなし。見た目は若く肌は病人のように白い。
魔王の背後に見える玉座には、肘掛けにぐったりもたれかかる国王と王妃の姿があった。
――陛下達が……! お父様やお母様まで……。
国王の近くには彼らを守ろうとした十人近くの近衛騎士らと、ライオラの父と母も倒れている。目を凝らすとかすかに肩が上下しているのが見えた。
――眠っているだけよね?
込み上げてくる不安な想いを、両手を握ることで誤魔化す。
魔王の瞳は紫に輝き、まるでなめるようにライオラ達を順番に眺め始めた。
「……そこにいるのは妖精か。なるほど、また石の使い手でも選ばれたか」
「貴殿は魔王とお見受けする」
マルクトの凛とした声が大広間に響いた。
「……如何にも。そういう貴殿は……ああ、第一王子のマルクト殿下か」
言葉の最後でフッと魔王が笑った気がする。
マルクトの名前を言い当てた魔王だが、品定めするような目つきは変わらない。
マルクトは動揺する様子を見せることなく、真っ直ぐに魔王と向き合っている。
「魔王よ、何故王都に。今は特段、催し物は行っていないのだが。貴公に招待状を出した覚えはない」
「何故にと問われるか、マルクト殿下は。くっははは……なぜ私がここに来たのか存じ上げないようだ」
「生憎だが」
「……ふっ。とぼけますな、我が領域を犯したのは貴国だ。その責任を取らせに来たまで」
「領域を?」
マルクトの怪訝そうな声が聞き返す。
「我が領域、魔界の魔力を盗むだけに飽き足らず、住まう生き物を攫っている……三百年前に結んだ和平条約に違反したのはそちらだ、マルクト王子。ああ、そうだ……国王はそのことを知らなかったようだが……事実、貴様ら王国側は常々我が領域を侵犯していた。彼らも仇を討たねば静まりますまい」
魔界の魔力を奪う? 何のことだとライオラは頭を悩ませた。
――どういうことですの。魔王は何を仰って?
わからないと顔に出ていたのだろうか。
紫色の瞳に見据えられているのに気づき、ぞわりと悪寒が走る。
「そちらのお嬢さんはわかっていないようだ。いいだろう。お前たち人間は本来魔力を持たない。だというのに魔法が使える。それは何故か? 人間界の魔法とは三百年前、ある少女の石がもたらした力だ。石の力は国中に散らばった。だが力は有限だ。人間界の魔力が枯渇してくると、お前たちは何を考えたと思う?」
魔王の声が聞こえるたびに、寒気を強く感じていく。
「魔界にある魔力を狙ったのだ。かつて彼女が築いた平和を捨て、貴様らは我が国に侵攻した。こちらも魔力は無尽蔵に散らばっている物ではないのでな。無作為に奪われては、いずれは枯渇してしまう。それに魔力は魔族にとって生命活動の源。なあ、妖精ハル。お前ならわかるだろう?」
「……っ、あ、はい……ですの」
ハルが認めた。魔王の言葉は正しいのだろう。
「それから」
魔王は言葉を続ける。
「昨今マガツ森から多くの魔物が消え、命を奪われている。つい昨日もだったか……マガツ森から彼らの気配が消えた。辿ればそちらにいるようではないか、なあマルクト王子? 言っておくが、私はこれまで貴国に攻め入ろうなど考えたことはなかった……その気があるなら、もっと前にこうしてここに来ていると思わないか?」
昨日という言葉に、ライオラはマルクトを見た。北第二駐屯地への魔物への襲撃があった日だ。彼やユーゴ、騎士団の多くの面々が負傷した。
――何も言うなと言われたけど……殿下だって襲われた側よ。魔王が言っていることは何かおかしいわ。
ライオラは腹に力を込めると声を発した。
「魔王様、よろしくて? こちらも申したいことがございますわ」
数歩前に踏み出し、マルクトの横に並ぶ。
「ライオラ、黙っていろと言っただろう」
「黙ってなどいられませんわ。魔王様!」
「ほう? なんだ、人間の娘よ」
「私達も不可侵の条約を犯す気はございませんでしてよ。ですがこちらも魔物による被害に遭っている人間がおりますの。貴方様が条約を犯していないのでしたら、なぜこうも事件が起こっているのかしら」
「……私が何か企んでいると思っているところ申し訳ないが……言っておこう。こちらからマガツ森の外に魔物を放ったことはない」




