三十三話 石の力
「……!」
彼の目が見開かれるのが見える。ノートを広げると、昨日急いで書き写していた手首が今になって痛みを訴え始めた。
「手記だと……それをどこで」
「……たまたま見つけましたの。全てを書き写す時間はございませんでした。あの魔王軍が攻め入った日のことや、魔法石のことがいくつか書かれてありましたわ。そこだけでもと。本当は、王城でお渡ししたかったのですが……」
そう言いながら、開いたページを読んだ。あの日アイシアが使ったとされる魔法について記述があった箇所を探す。
「ここに。マルクト様、私が使えたらどんなに良かったか……」
「これは……」
アイシアがあの日について綴った箇所を開いてマルクトに差し出す。
『魔王。あのお方が魔界を、魔物を守るのは我々が民を守りたいという想いと同じ。痛みは、人間も魔物も同じく味わう物。我々は争いなど望んでいない。守りたい、それは愛。だから私は魔法を愛と呼んだ。魔法は我々人間界に妖精国がもたらした奇跡。それは争いの道具などではなく、愛の心を持てという教えなのだと。魔王と和解せよ。石の魔力は私にそう呪いを刻んだ』
魔王と戦った当時のアイシアはまだ幼い少女。
その彼女が背負ったのは人間界の未来だった。
「……魔王と和解せよ、か。ハル」
「は、はいっ」
「わかっていてお前は石を運んでいたのか?」
マルクトの鋭い声がハルに飛ぶ。
「ワ、ワタシは……妖精王さまのごしじがあって……そのォ……」
おろおろと揺れる声が聞こえる。
「ライオラに押し付けようとしたと?」
「そ、そういうつもりじゃ、ないですの! でも、魔法石はさいしょはライオラさんをえらんでっ」
突然マルクトから冷たい声を浴びたハルは、顔を隠すように頭を押さえ小さな体を縮こませてしまった。怖がってしまったかもしれない、そう思いマルクトに責めないよう言い聞かせた。
「マルクト様、私はなんとも思っておりませんわ。契約されたのはマルクト様で、貴方の方が……」
「君は」
ライオラは首を横に振った。
「ハルは、わざとではありませんのよ、マルクト様」
「魔王との和解? 君が契約していたかもしれないんだぞ」
「私が選ばれていたとしても、恐れたりしませんわ。だって」
すうっと息を吸い込む。
「私は、王家に仕えるエーデル公爵家の娘です。国を守るのが務めですから」
「ライオラ……」
「それでなのですけど、マルクト様。ハルも言っていましたが、愛の魔法に必要なのは慈愛の心。相手を慈しむ心です。当時の戦いでも、魔王軍側は穢れを王国に放っているのではありませんこと?」
「……ああ、城にある書物にはそう記録が残されているが」
「呪文が何かはわかりません……ですけど」
マルクトに半歩近付く。
「ご無理をさせたくはございません。ですが、お願いいたします。魔法石を、ステッキをお出しくださいませんか、マルクト様」
彼の目をまっすぐ、見て言った。
横から小声でクロードとハロルドのやり取りが聞こえてくる。
「ハロルドなに? ス、ステッキ?」
「はい、ステッキです」
「……あ、ついて行けてないの俺だけかも」
ライオラはマルクトの瞳を見つめ続けた。やがて彼はポケットから赤い魔法石を取り出すと、手の平の上に乗せ掲げた。
キンッと高い音を立て魔法石は輝くとハート型の石に変わり、光が伸びステッキが姿を現す。金の持ち手にトップにハートの石が埋められたステッキは、以前見た時より石の色が澄んで見えているような気がした。
背後からクロードの声が聞こえてくる。
「ス、ステッキだ。ほんとうにステッキが出た。兄上、魔法少女ってマジなんですね」
「いったん黙っていてくれないか、クロード」
マルクトにそう窘められたクロードが口をつぐむ。
「ありがとうございます、マルクト様」
「それで、ステッキを出してどうしたい?」
「呪文がわかりませんの。けれど……マルクト様、貴方のユーゴを想う気持ちはアイシア様の愛の心にも負けないものだと思っています」
「ライオラ?」
「私もお手伝いいたしますわ。ステッキを、お貸しくださる?」
「……」
マルクトが持つステッキに手を添え、ユーゴの上にかざす。
――どうか、彼の穢れを……。
そう思いを乗せ、ユーゴの上にかざし続けた。ステッキを持つ手にはじんわりと温かさを感じる。石がほのかに光を放ち始めた。マルクトとライオラの魔力に呼応したのか、優しい焚き火のような光だった。
光はすぐに消える。すると、少しでも痛みを堪える為に瞼を閉じていたのだろうユーゴが、薄く目を開けた。
「……今」
「ユーゴ、大丈夫か」
「何を、なさったんです……」
先程よりもはっきりと聞こえるユーゴの声に、効果があったのだと知る。
――すべて取り除けたかしら。少しでも楽になっていたら、いいのだけど。
慈しむ心だけでは足りないのかもしれない。だが、僅かでもユーゴの苦痛が取り除けたのならそれに越したことはない。
「……少し、息がしやすくなった気が」
「そうか、ユーゴ! ……良かった」
マルクトの安心し切ったような声が天幕内に響く。その瞬間、ぐらりと彼の体が傾き、ライオラは慌てて抱きつくようにして支えた。
「……うっ」
くぐもった声が聞こえる。
――いけない、傷口に触れてしまったかしら!?
触れた彼の体温は高い。
「す、すまない」
「いいえ、お気になさらず。マルクト様も、お身体を休めなければなりませんのに」
「ライオラ、このままもう少しだけいいか……?」
ユーゴの穢れを晴らせた今、マルクトも休むべきなのだが。
「何をなさいますの?」
「……」
マルクトはステッキを持ったまま、今度はそれを天井高く掲げた。ランタンの灯りしかないテントの中で、きらりと石が光る。
ふわりと風が駆け抜けた。涼やかな風だ。肺に取り込む空気が軽くなる。
「マルクト様……?」
「……上手く行ったか?」
「お、おーじさま、つかいこなしてるですの……!」
ハルの声に、彼が魔法を使ったのだと気付いた。
――マルクト様、今もしかして、ユーゴにしたのと同じ魔法を……!
呪文も無しにだ。
マルクトは周囲の穢れを晴らしたのだ。
「……多少はマシにはなったか、ッ」
マルクトは表情を歪め胸元を抑える。
いくら魔法で穢れを払おうと、傷が完治するわけではない。
「マルクト様!」
「お嬢様、私が。マルクト殿下、こちらに」
崩れ落ちそうになるマルクトを、ハロルドの腕が奪いベッド脇の椅子に座らせた。
「ッ……ハロルド、助かる」
「ベッドの空きは? 殿下も横になられた方がいいですよ」
「……ない。怪我人は大勢いる。俺が使うよりも」
「なら敷物を。探して参りますので、お嬢様、クロード殿下。マルクト殿下が動かないよう見張っていてください」
ハロルドの声が遮る。
「な、まて、ハロルド」
「生き延びたのに、怪我が悪化したせいで……なんてことになったらどうするんですか。まったくマルクト殿下は……ユーゴの為にも、これ以上動かないでくださいね?」
そう言ってハロルドは天幕の外に出て行った。
いつものマルクトならハロルドの肩を掴んででも引き留めただろうが、今の彼は大人しく椅子に座っている。
ライオラは彼の体が倒れぬよう、しっかりと肩を支え続けた。




