三十話 焦燥
会食を終えた後、ライオラはハロルドと二人で庭園を案内されていた。案内人はあろうことかクロードである。
「父上も言ってたけど、本当兄上がいなくてごめんね、姉上……」
「仕方ないわ、公務ですもの」
クロードは申し訳なさそうに何度も謝ってきた。その様子が可愛らしく見え、ライオラはつい年長者の顔をしてしまう。
気がかりだった婚約についての話だが、会食の席でその話題が上ることはなかった。国王もライオラを見てもただ「さらに美しくなったな」と褒めるだけ。一度も破棄という言葉が出ることはなかった。
――殿下、まさか誰にもお話されていないのかしら……?
そんな気がすると、多忙そうだった彼の様子を思い出す。国王に伝えていないのも、あの資料の山では無理もないか。
ハロルドに視線を向け声を出さずに呼ぶと、彼はライオラに近づいてきた。クロードが庭を見渡しているタイミングを見計らい、彼にぼそりと耳打ちする。
「……あの件は、誰も知らないみたい」
「……そうですか」
ハロルドは短く答えた。
まだしばらく、マルクトとの関係は続くらしい。
「いやぁ、こっちは涼しいや。というか寒いくらい」
クロードが両腕をさする。留学帰りでまだ気温差に慣れていないのだろう。
「そちらの学校はどうでしたの?」
世間話でもしてみることにする。彼が何か喋るかもしれないと期待して。
「留学先? 楽しかったよ。料理もおいしいし、みんな優しかったし。あ! 姉上にもお土産があるんだ。兄上とお揃いにしたから一緒に渡したかったんだけどな……先にいる?」
「まあ、マルクト様と? それでしたらお兄様にお渡しになられてからで構いませんわ」
「じゃあ兄上の反応みてからにするよ!」
純粋そうなクロードの声。彼の周りに漂う噂はただのまやかしか。
「うふふ。渡したら教えてくださる? どんな顔をなさっていたか」
「勿論だよ、姉上!」
クロードのことを信じたい。
彼ともまた、兄弟のように接してきたのだから。
「……ッ……ッ……さーん」
青空の中、遠くから声が聞こえてきた気がした。
陽の光で眩しい空を見上げる。手で影を作りながら目を凝らしてみると黒い点が目に入った。それは真っ逆さまに落ちてくる。影は小さな少女の形をしており、聞き覚えのある声にライオラは急いで頭の上に両手を差し伸ばした。
「ハル!?」
「きゃあああ〜、ライオラさーん!」
ぽすりとライオラの両手の中にハルが収まった。
頭を揺らし目を回している様子の彼女は、きゅーと声を発しながらライオラの手の上で倒れる。ハルの両手足は所々煤けており汚れていた。
「ハル、貴方どうしましたの!?」
「え、姉上、それって妖精!?」
「お嬢様、ハルをこちらに」
皆でハルを覗き込む。ハロルドがハンカチを取り出すと、丁寧な手つきで小さな体を包み込んだ。肩で息をしているハルの顔色は、見たことないほど疲労の色を滲ませていた。
「はぁ、はぁ……あ、ハロルドさぁん……」
「はい、ハロルドです。どうしたんですか、空から落ちてくるとは」
「はぁ、はぁ……たいへん、ですの」
「どうしましたの、ハル」
「はぁ……おーじさまの……ところに」
「マルクト様のところに?」
聞こえた言葉に、凍りつくような感覚に襲われる。
「まものがいっぱいきて、えっと、きた……きたのほうの」
北。マルクトは駐屯地にいるとクロードは言っていた。学園の彼の部屋で見た資料に書かれていたのは北第二駐屯地の文字。
――まさか、マルクト様!
ライオラが血の気が引いていくのを嫌でも感じた。眩暈で足元がふらつく。
「妖精? ハルって言うの? 兄上が魔物に囲まれたって、そう言った?」
クロードの状況を整理する声が耳に刺さるように痛い。
ハルは小さな頭を何度か縦に振っていた。
――襲われた……?
体が冷えていくのがわかる。がたりと力の入らなくなった膝は崩れ、倒れかけたところをハロルドに支えられた。
「ッ、そんな、嘘よ……」
「お嬢様。まだ城に報せは届いていません」
「……い、行かなくては。マルクト様のお側に……」
震える足を奮い立たせ、馬小屋がある方を目指そうとする。だが従者の腕に強く引き留められる。
「お嬢様、どちらに行くおつもりですか!」
「行くのよ……行かなくては! 早くしなければ!」
「……姉上、俺も行くよ。ハロルドは姉上をお願い! 馬小屋ならこっちから行った方が近いよ!」
クロードに先導される。厩に着いても手の震えは止まらない。
蔵を用意された馬の前で立ち尽くす。乗らなくては。そう思うのに身体が思うように動かない。
ばさりと肩に大きな布をかけられる。茶色の生地で織られたフード付きの外套だ。顔を上げると、ハロルドと目があった。
「お嬢様、これを。そのお姿では目立ちますので」
「ハロルド……」
彼はライオラの足元に踏み台も用意した。
「姉上、ハロルド。準備はいい?」
クロードの声が背後から聞こえる。
行こう。この目で確かめるのだ。立ち止まっている場合ではない。
ライオラは腕に力を込めると、馬に跨った。




