二十八話 アイシアの手記
数週間が経過し、季節が冬に染まった頃のこと。
ライオラはエーデル公爵邸に帰宅していた。冬季休暇が始まったのだ。家は王都のすぐ隣、自然豊かな森の側に建てられていた。
屋敷に戻ってからの生活は穏やかな物だった。
てっきりマルクトとの婚約破棄について、すぐに話があるかと思ったのだが、父と母からは何も言われなかった。
久しぶりに帰った家の廊下を歩く。
廊下に敷かれた深緑の草花が描かれた絨毯は、埃一つ落ちていない。
ライオラは先程父から借りた鍵を持って、二階の書庫に向かっていた。
――うちには古い本が沢山あったはず。何かないかしら。
アイシア妃や魔法石について何か記述されている物があるかもしれない。そんな淡い期待を持ち向かう。
書庫に入ると少し埃っぽかった。ライオラの背丈を越える本棚がずらりと十数列並んでいる。
部屋の奥へと進む。ライオラは突き当たりの窓のカーテンを開いた。窓の鍵を外し、陽光を部屋の中に入れる。
「良い天気ね……」
空を眺めて呟いた。
近くにあった折り畳みの丸椅子を引き寄せる。後で使おう。
ゆっくりと端から棚を物色していく。
ーー建国史よりは魔法史がいいわよね?
見落とさないよう探す。
三列目の棚を眺めていた時、背表紙に薄らと『日記』と黒いインクで綴られている焦茶色の本を見つけた。目を凝らさないと見えないが、日付も書かれており、およそ三百年ほど前の物のようだ。
「あら、これは……?」
誰の日記だろうと、手に取ってみる。
壊さぬよう表紙を優しくめくった。
「……『わたくし、アイシア・グロンハートは、王家にまつわる記録をここに記す』、これは……まさかアイシア様の!?」
最初のページに書かれていた文字に目を見張った。なんという偶然か。
文字を辿っていた指先が細かく震える。慌てて丸椅子を置いた場所に日記と共に戻った。
「……そんな、こんなに早く見つかるなんて……まさかエーデル家で!」
何か魔法石に関わる記述がないか、ライオラは一字一句見逃すまいと手記を読み進めた。
マルクトも知らない記録が見つかるかもしれない。思わぬ早期の収穫に、ライオラはごくりと生唾を飲み込んだ。
◇◇◇
その日の夜、ライオラはデスクにノートを広げ、顔が張り付きそうな勢いで書き記していた。
耳を澄ませば夜はフクロウの声が聞こえ、もう眠りに入らなければいけない時間。だがそんな場合ではないと、焦りの感情に支配されていた。
冬の冷え込む夜でも、なぜか体はほてり暑さを感じる。既にネグリジェ姿に着替えているにもかかわらず、真剣な表情でひたすらペンを走らせた。
――早く殿下に届けなくては……忘れてしまう前に!
早く書かなければと、思いだけが先走りいくつかペン先をつぶした。
何度も替えを持ってきてくれたハロルドの顔は眉尻が下がっており、思い出すだけでも申し訳なさがこみあげてくる。
――まさかアイシア様の手記がエーデル家にあったなんて。
覚えているうちにと、とにかく手を動かす。書庫から持ち出せればよかったのだが、管理している父になぜ興味を持っているのかと思われても困る。
――マルクト様が調べていて情報が見つからないのよ? なるべく他の者に知られない方がいいに決まっているわ。
ブックカバーを付けて持ち出すことも考えたが、本体は年季が入っていた。下手に持ち歩きあれ以上状態を悪くさせても良くない。
「お嬢様、よろしいですか?」
部屋の外からハロルドの声が聞こえた。まだ起きていたのかと驚く。ぴたりとペンの動きを止めると、ライオラは驚きながら慌ててドアの方に駆け寄った。
「ハロルド、貴方まだ起きていたの……!」
「そのお言葉、お嬢様にそのままお返しいたしますよ?」
扉を小さく開けてみれば、ランタンを手にした彼の困ったような顔が隙間から見えた。
「もしかして、私が起こしてしまったかしら。ごめんなさい」
「いいえ、そんなわけありませんよ、お嬢様。今晩はもうお止めになられた方がよろしいのでは。明朝より、王城に入り陛下に謁見するご予定でしょう?」
「そ、それはそうだけど……」
小声で話すライオラに合わせ、ハロルドも声量を潜めている。
「お嬢様、私も手伝えればよかったのですが」
「いいえ、ハロルド。貴方にそこまではお願いできないわ。こちらに戻ってから忙しいでしょう? 貴方は私達より朝も早いのだし、お父様も貴方には色々頼んでしまっているから……」
「そうでもないですよ? 以前と変わりません。お嬢様、本当に朝に備えた方がよろしいかと……目が赤い。陛下に気を遣われますよ」
実の娘かのように優しく接してくれる国王のことを思い出す。娘がいないからとよく可愛がってもらっていたものだ。もうそろそろ、義理の娘では無くなってしまうが。
「……もう少しだけ。お願い……お父様たちは眠っているわよね?」
「はい、起きているのはお嬢様と私だけです」
「……あと三十分……書き記したいことがたくさんあるのよ、ハロルド」
「……わかりました、あと三十分ですよ? また来ますから、そうしないと朝日が登ってしまいそうです。それで、ペン先の替えは必要ですか?」
「まだ大丈夫よ、ありがとう。本当に今晩はこれで最後にするから」
ハロルドの気遣いに笑みがこぼれる。エーデル家でわがままに付き合ってくれるのは彼だけだろう。
また後で様子を見に来ると彼は言い、部屋の前から立ち去った。
「ふう……あともう一息よ」
書庫で見つけたアイシアの手記。そこに記されていたのは、当時の王と結ばれた後のこと。
――アイシア様はしばらく魔法石をお持ちになられていた。でも取り上げられたと。
一体誰にと読み進めてみれば、ガートフィールド家の大臣によって一度持ち去られたとか。ガードフィールド家は、古くから国交がある南国の名家。なぜ取り上げた? と、疑問が湧く。
だが魔法石はすぐに返還されている。
手記にはこう記されてある。『魔法石は人間界での魔法の起源であり、妖精国からもたらされた宝。人間界に存在する魔力には限りがあり、その魔力を南国で占有しようと目論んだのがその大臣であった』と。
――そんな記録、私が学んだ歴史にはなかった。都合が悪いから揉み消した……?
その後、ガートフィールド家は断絶。魔法石は王国で厳重に管理されることになったらしい。
王家の宝を盗むなど極刑にも値する行為。国交も絶たれていておかしくないが、現在の南国との関係は良好に思える。
南国といえば、ライオラはある噂を思い出した。
――殿下の弟、クロード様に南国の王家の血が混ざっているという噂があったわね……不確かなものだけど。
関わりがあるのかはわからない。
マルクトとクロードの仲は、特段悪いようには見えなかった。何度もクロードには会っているが、姉上と呼ばれ慕われていたものだ。南国の大臣による盗難事件も、三百年も経てば過去の事件として風化したのだろうか。
それでも、
――どうして殿下はご存じないの。魔法石が王城にあるのなら、知らないはずがない。
また盗まれたのだろうか。
きっとまだ何かある。アイシアの日記には、こう記している箇所もあった。
『魔法は妖精国にお返しするべきである。我々人間には、過ぎたる力であった』
全てを写し切ることはできない。それでも、マルクトが調べる上で一つでも手助けになれば。
ライオラは手首が痛むのも厭わずノートにペンを走らせ続けた。




