二十七話 誤解
ライオラは恐る恐るドアの方に視線を送る。
「あ……あ……ハロルド、その、私は……」
「……すぅー……」
ハロルドの深く息を吸う音。彼は目を細めるとマルクトを見やり口を開いた。何故か手首を回しながら。
「……殿下、ちょっとこちらまでよろしいですか?」
「あ、あの、ハロルド? 殿下は……」
まずい、この声は怒っている。ライオラは確信する。
「こっちに来い……こんの……バカ王子がァ!」
「ハ、ハロルド! お待ちになって!」
彼の怒声に変な緊張が解けたのか、体が動くようになった。慌ててマルクトの上から起き上がふ。怒りが滲み出ている表情のハロルドの元に駆け寄ると、足止めをする。
「ハロルド、落ち着いて頂戴、 何もないの! 私が転んだだけなのよ! そんな大声で言っては、警備の騎士団の者に気づかれてしまうわ!」
「気付かれる? 上等ですとも。かかってこい」
ハロルドは顎をくいっと上げる動作をした。
「ダメったらダメよ、ハロルドぉ……」
このままでは不敬罪で公爵家から逮捕人が出てしまう。ライオラはハロルドを落ち着かせようと、彼の胸元を押しその場に留めようとする。
「ほんとうに、違うのよ、ハロルド」
「……お嬢様、ふっ……大丈夫ですよ。席にお戻りください」
ライオラの説得が効いたのかはわからないが、ハロルドは優しげな表情を浮かべると、カートに乗せていた白いナフキンを手に取るとくるくる棒状に巻き始めた。器用な手さばきについ見惚れてしまう。
――貴方……それを一体何に使うつもりなの?
彼の動きに注目していると、ハロルドはすたすたとマルクトが座るソファーの背後へと進んでいった。スッとナフキンを持っている手が上がる。
ブンッと音が鳴り、容赦のない勢いでナフキンがマルクトの頭上へ向かい振りかざされた。スパンッと軽い音が響く。
「いったっ! ハロルド、お前!」
「いい加減どっちかはっきりしろ、このバカが!」
「なっ! 何が」
今しがた見た光景が信じられず、ライオラはあんぐりと口を開けて固まる。
――たたいた……? ハロルドが、殿下を?
とんでもない物を見てしまったと、ライオラは動けなくなった。
「言わないとわからないか、このバカが!」
「なんなんだ、ハロルド! 何回も言うな、バカバカと! 気を付けろよお前、ここだから良いものを!」
「別にどこでも。貴方なんてバカで十分ですよ!」
ぎゃいぎゃい言い合いを始める二人。
「どうしましょう……ハロルドも殿下も……もし外に聞こえていたら……」
背筋を冷や汗が伝う。言い合う彼らを見守っていると、ユーゴがティーカップをテーブルに並べながらライオラに尋ねて来た。
「ライオラ様、すぐにご用意できたのがジャスミンティーとダージリンティーでして。どちらがよろしいですか?」
「え、あの、ユーゴ? 私が先に選んで良いのかしら……?」
「ええ、勿論です。あのバカ共は放っておきましょう」
「えええ……ユーゴ、貴方まで……本当にいいのかしら……」
二人をちらりと見ながら、ライオラはユーゴがカップを用意した方の席に座り直した。
マルクトとハロルドの喧嘩と言っていいのかわからないが、言い争う姿を見るのは久しぶりだ。
その時再び、素早いナフキン捌きがマルクトに炸裂した。
「いった! なんで今二回目を打った!」
「この間の分です。ほら、殿下。ちゃっちゃと選んでください。で、どっちがいいんです? あ、こっちでいいですよね、ちょうどここにあるんで」
「おま、ハロルド……ああ、もうそれでいい、それで」
マルクトが腕を組みため息を吐く。
なんてにぎやかな時間なことか。
もうすぐこの光景が見られなくなるかもしれないだなんて信じられない。ライオラはユーゴが淹れた紅茶の香りを感じながら思う。
紅茶を含み、はっと息を呑む。
――あら、この紅茶……ちゃんと香りがするわ……。
食堂で飲んだ時はよくわからなかったのに、彼らの前では華やかな風味を感じられた。
遠くない未来、婚約者でなくなっても、こうして幼馴染として彼らと笑い合えているだろうか。
――……いいえ、疑念を抱いてはいけないわライオラ。これまでの歩みが消えることはないもの。守るわ……一生、この人を。
考えるな、行動しろ。今もこれからも、王家に仕える公爵家の娘という立場に変わりはないのだから。
温かいうちにと、またカップに口を付けた。
紅茶が喉を伝い、体を内から温めていく。
ただできることをするだけだ。ライオラは心を強く保とうとした。




