二十五話 クッキーの香り
「ユーゴ、戻った」
マルクトの部屋の、いわゆる応接室側に通される。部屋の中央には長椅子が置かれ、側のテーブルと長椅子の上には本や書類が散らばっていた。
「マルクト様、おかえりなさいま……おや、ライオラ様もご一緒でしたか」
「お嬢様! よかった、一瞬この男に置いていかれたのかと思いましたよ」
「ハロルド、お前は俺がそんな薄情なやつだと思ってるのか」
「ええ。鏡でも見て言ったらどうですかね、殿下」
ハロルドが堂々とした態度で言い返す。
「もうハロルド、貴方ったら……ここで喧嘩しないで頂戴……」
キレのある返しにライオラは苦笑した。彼の不敬を恐れぬ態度はさすがは幼馴染といったところだろう。
ふと、鋭い視線を感じた。
ハロルドが怪訝そうな顔をしてライオラを見つめている。視線の先は恐らく肩の部分で、マルクトの上着。やがてハロルドの目は、ぬらりとマルクトの方に動いていく。
「ほう……」
珍しく、彼らしくない凄んだような声が聞こえた。
「ライオラ。悪いが、この辺りに座ってくれ」
マルクトが長椅子の上に置いていた本や資料の山を机の上にどかす。古びた冊子もあれば、まだ新しそうな資料もそこにはあった。
「殿下、お忙しいのですよね。すぐに出て行きますから」
「いや、時間は別に問題ない」
「ライオラ様、本日いただいた焼き菓子がこちらにございまして。よろしければ、いかがでしょうか」
鞄を漁り始めると、ユーゴが棚から顔ほどの大きさの缶を取り出してきた。ぱかりと開けられた蓋の中から、クッキーの香ばしいバターの匂いが漂ってくる。
「まあ、良い香り……ですがユーゴ、殿下のものではございませんか?」
「騎士団の詰所に行った時に貰ってきたんだが、俺とユーゴで食べるには多い。君がいてよかった。せっかくだからハロルドも食べて行け」
「私まで? それはありがたいですが……お嬢様、どうしますか?」
ハロルドがライオラを伺い見る。
この後は特に予定はなく、部屋に戻るだけ。夕食も食堂で済ませようと思っていた為、ハロルドも特に支度はしていないはずだ。
――お昼に食べたっきりよね……私はともかく、ハロルドはそろそろお腹をすかせているかも。ずっと一緒にいたから、何も食べてないはずだわ。
胃の中がまるで石でも詰められたかの如く重く、食欲はあまり湧かない。
「そうですわね……よろしいのですか、殿下」
「ああ。何だったら全部食べていって良い」
「まあ! 食べ切ってしまっては、夕食が入らなくなってしまいます!」
口元を押さえながらおどけて言う。「では」と言ってソファーに腰掛けると、ユーゴとハロルドが茶を入れに行ったのを見送った。
静かになった部屋で、ちらりとテーブルの上の書類に目を通してみる。置いてあるのは、国境付近の地図や王都で発行されている新聞。他にも騎士団に関する記録のような物もあった。
――『北第二駐屯地』……マガツ森に入る近くよね? 『結界の緩みにより、黒狼二頭の侵入アリ』……外ではそんなことが起こっているの?
黒狼といえば学園にも現れた魔物だ。何か関係があるのだろうか。
ライオラが内容を読んでいると、マルクトが隣に腰掛けどすりとソファーが沈んだ。
彼の手が、雑に積まれていた資料を整える。まるで資料をライオラの目から隠すように。
「……片付いていなくて、すまないな」
「いいえ。殿下、ここ最近の授業に出られていないようですが、騎士団の方で何かありましたの?」
「騎士団? ……ああ。だが、君には関係ない」
マルクトは資料を、ライオラから遠いテーブルの端に追いやった。これ以上関わるなと言うかのようだ。
「殿下、ですが」
「知る必要はない。そろそろ冬季休業だな、君は帰るんだろう?」
休暇の話にすり替えられた。
「ええ、戻ります……お父様達が待っていますから。殿下もお帰りになるのよね?」
「ああ、俺も、……」
そこで彼は言葉を切った。彼と見つめ合う。程なくしてマルクトが口を開くが、聞かなければよかったと後悔する。
「……例の件については、その時に伝える。長く待たせてすまなかった」
「そ、んなことは……大丈夫です。私はいつでも……構いません……」
婚約破棄のことだろう。
できれば忘れていたかった言葉。
ライオラは脇に置いていた鞄を膝に抱えこむ。あともう少しで婚約者ではなくなる。この曖昧な関係も終わりを迎えるのだ。
――家に帰ったら、お父様にもお話が伝わるのね……きっと。
そうなれば王家とエーデル家の婚姻の話は消滅。
下手すれば王家との関わりも絶たれ、これまでのようにはいかないかもしれない。婚約を破棄されてもマルクトを支えたいという気持ちに変わりはないが、今までと同じように彼と会えるかはわからない。
「あ、あー……ライオラ、良ければ先に俺たちで食べないか? ハロルドとユーゴの分も十分にある。なんなら余りそうなくらいだしな」
「……」
何でも良いから答えなければいけないのに、ライオラは声が出せなかった。
マルクトが缶を開ける。赤いキャンディーが乗った物やマーブル模様、紅茶の茶葉を織り込んだ生地の物もあれば様々だ。
「どれが良い? これなんかどうだ?」
彼が缶の中を見ながら言っている。
――私も何か言わなくては。何か……はっ! そうよ、今のうちにあれを渡しちゃいましょう!
ぐるぐると頭の中で考えを巡らせた後、ライオラは鞄を開けノートを取り出した。
「殿下!」
「あ、ああ」
マルクトが驚いたような顔をする。
「こちら完成いたしまして。受け取ってくださる?」
「完成? ……まさか、あの時の」
「そうですのよ、やっと出来ましたの」
「……本当に、あれの二冊目を?」
「はい、そうですけど。殿下?」
「ああ……ありがとう、受け取ろう」
彼に差し出せば、少し戸惑いを見せながらも受け取ってくれた。
その場でパラパラとページを開き、読み始める。
「先日お渡ししたのは、シンプルでわかりやすい呪文のものでしたから。こちらは複数の属性を使用した魔法になっております。試したことはありませんから、実際に使えるかわかりませんが」
「……本当だ、最後までびっしり。ライオラ、よく考えついたな……しかも二冊目か……」
「殿下の為ですから」
「俺の為?」
「……はい、殿下の為に一生懸命考えてきまし。前回のノートはいかがでした?」
「この前のは……ああ、目は通してある、最後までな」
「最後まで! 本当です……?」
気分が上がる感覚。忙しいはずなのに、読んでくれていたとは。
「何か気になるところはございましたか? 分かりにくいところがありましたら、いつでもお聞きになって!」
「分かりにくいだなんて。それぞれの呪文に解説まで付いてたじゃないか」
読んでもらえただけでもまとめがいがあったというもの。
突如、彼の手が二冊目の後半で止まる。そこはライオラがあえてメモ用紙を挟んでいたページだった。
「これは……」
「こちらは……、私なりにアイシア様の魔法を解釈しまして。学園の図書館にあるのは、教科書の補助的な物しかありませんから。私の主観も入ってしまっていますが」
彼の開いているページをのぞき込む。魔王軍を倒す際にアイシアが使ったとされる愛の魔法がなんなのか、ライオラなりに考察した箇所だ。
「およそ三百年前、この国で何があったのか。魔王軍との戦いで出来た跡というものは、特に残されておりませんでしょう?」
「それはそうだな」
「思いましたの。アイシア様はきっと爆発的な、大きな魔法は使っていないのではないかと」
「なるほど……で、この書かれている呪文の名前は?」
「私が考えました」
「そ、そうか。『ラブ・エターナル・シャイニングフレア』……色々属性が混ざってないか」




