二十四話 傷心
ライオラがマルクトと会えたのは、夕陽が学園の建物を染め上げる頃だった。
ダメ元でマルクトが男子寮の彼の部屋の近くまで向かったのだ。いくら忙しくても、自室に戻らないことはないだろうとハロルドが当たりを付けてのことだった。
男子寮の付近で、ハロルドが彼を探しに行ったのを白い石造りの噴水を眺めながらベンチで待つ。
そわそわと落ち着かず、ノートが入った革のバッグに触れたり、制服の上着の襟を上に手繰り寄せたりする。
水の跳ねる音がやけに大きく聞こえた。
――いらっしゃるかしら……。
北風が冷たく吹き付け、ぶるりと体が震える。
この体の震えは寒さだけではないだろう。まだ冬の本格的な寒さとは言い難い。
両腕をさする。息を深く吐いた時、後ろから肩にふわりと暖かいものを掛けられた。重みのある厚い生地からは人の温もりが伝わってくる。また同時に感じた薔薇の花の香りに、ライオラはばっと顔を上げた。
「あっ!」
「す、すまん、ライオラ。寒そうだったからつい。あと、気付いていなかったんだな……」
「で、んか……?」
見上げるとすぐ横にマルクトの姿があった。どくんと心臓が跳ねる。
――いついらっしゃっていたの、私ったら!
掛けられた上着は男子生徒の制服の物で。確認せずともわかるこれは、マルクトの物だ。大きな布地はすっぽりとライオラの上半身を覆う。ライオラが被っているせいで、彼は薄手のシャツだけになってしまっていた。
――お風邪を召されてしまう。脱がないと!
上着を貸したせいで彼が体調を崩してしまったら? そんなことを考える。
それに座ったままなんて。
王子に対して令嬢としてあるまじき態度。
慌てて立ちあがろうとするが、マルクトの腕が伸び動きを止められた。
「いい、いい。そのままで」
「ですが!」
「俺に用があったんだろう? わざわざここまで来たんだ」
そう言いながらマルクトがライオラの横に腰掛ける。その拍子に、彼の脚がライオラに触れた。
「あ、殿下、私、その」
「……寒いか?」
「あ、少し……ですが、平気です。それより殿下、そんな薄着では! お返ししますから着てください!」
「いや俺はいい、これくらいなら。寒いのなら、くるまっていろ」
「……あ、有り難く、お借りしますわね?」
彼の言葉に胸元の襟をきゅっと握った。
先日のハロルドの上着といい、最近人の服を借りてばかりだ。背中にかかった上着は暖かく、ライオラは少し気恥ずかしくなった。
ふと、マルクトの目線が指元に注がれているのに気がつく。手を見てみれば、指先の色がまるで血が通っていないかのように少し紫色に変色していた。寒さのせいだと思いたい。
「……あ」
「ここは風も吹くな……俺の部屋に行こうか。実は先程戻ったばかりで暖は取ってないんだが、ここよりはマシかもしれない」
「え、あ。殿下の?」
来たばかりよりは布が一枚増え暖かいが、それでも震えは止まっていない。風が体を撫でていくたびに、四肢がこわばるのを感じる。
――殿下のお部屋に? 私が? そんなこと……以前の関係ならまだしも、今の私が言っていい場所じゃないわ。
婚約破棄が発表されるか日取りは知らないが、それでもすぐそこに迫っていることだけはわかっている。
「で、殿下、ハロルドとはお会いしました? 戻って来ないようなのだけど、どこに行ったのかしら」
「……ハロルド?」
ハロルドの名前を出した瞬間、彼の目が細められた。心なしか、声も低く聞こえる。
マルクトは数秒黙った後、口を開いた。
「……ああ、ハロルドなら今ユーゴと話をしているはずだ。呼び止められていたからな」
「ユーゴと……そうなのですね」
ビュウと、一際冷たい風が吹いた。鼻腔がくすぐられ、体の震えと同時に鈴が鳴ったようなくしゃみが出た。
「くしゅんっ……嫌だわ、申し訳ございません、殿下」
「風が冷たいなここは。やっぱり移動しよう。さあ」
彼が立ち上がる。手を差し伸ばされた瞬間、ライオラから見える景色はあの夜の主賓席の光景に変わる。無いはずの照明、広間の熱気、脳裏を焦がしたあの日の記憶。
「……っ」
手を取らないといけないのに、上げようとした手は途中で止まる。
――何をしているの私ったら、立ちなさいライオラ。不審がられてしまうわよ。
だがこれ以上、手を伸ばしたら彼に震えがばれてしまいそうで動けない。
ライオラが固まっていると、マルクトはライオラの手を取り引き上げた。冷え切った指に熱が伝わる。
「行こう。少し散らかってるが……」
「……はい。あ、でも、ハロルドに行き先を伝えないと……殿下?」
「ハロルドなら俺の部屋だ。ユーゴと話していると言っただろう」
「そ、そう、だったわね。殿下のお部屋にいらっしゃるのね」
彼に手を引かれ男子寮への道を歩く。
男子寮とはいえ、一般生徒と貴族の部屋は分けられている。
建物の外をぐるりと周り、マルクトが使っている部屋まで向かった。
何人かの生徒とすれ違う。彼らにはマルクトと歩く姿がどう見えているのだろう。彼の上着が落ちないよう、ノートが入った鞄を持ちながら胸元を押さえていた。




