二十三話 ライオラの使命
ライオラが脳内で繰り返し思い出すのは、薔薇の花と赤色。薔薇は王家の紋章で、赤は彼の瞳の色。
夜になると思考を埋め尽くすのはダンスパーティーの日の彼で、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚が暫く続いていた。
ダンスパーティーから数日、ライオラは何を食べても薄味に感じ、食事を楽しめないでいた。
――香りは良いのに、味がしない……。
学園の食堂のソファ席で、ハロルドと共に昼食を摂っていた彼女は表情を落とす。
あの日彼と踊り終えて以来、肩に重荷が乗っているかのようだった。
「……お嬢様、私はこちらを片付けて参ります」
「……」
「お嬢様?」
「え、ええ。ごめんなさい、ハロルド……」
いけない、ぼんやりとしてしまっていた。
「いいですよ。少しお待ちください」
そう言ってハロルドはトレーの上に使っていた食器をまとめて乗せると、食堂の返却口に持って行った。
――駄目ね、私ったら……こんなんじゃ周りを心配させてしまう。もっと、しっかりしないと。
ハロルドが戻ってくるまでの間、何度も深呼吸を繰り返す。
食器を片し終えた彼が紅茶とデザートをトレーに乗せて戻ってきた。
「お嬢様、お口直しにいかがですか? 食堂の人気メニューだそうで」
乗っているのは、紅茶のティーカップとチェリーを添えたプリンがそれぞれ二つずつ。
「いつもすぐになくなってしまうので、一度食べてみたかったんですよね。残っているなんて、今日は運がいい」
「……そうなの。それは、幸運ね。ふふ」
ハロルドの言葉に笑みがこぼれた。
彼から受け取ると、そっと掬い一口頬張る。空虚な気持ちになっていた心に、口の中で蕩けていく甘味は優しく沁みた。
――美味しい。なんでもっと早く食べなかったのかしら。甘いものは良いわね……人気メニューであるのも頷ける。
少し食べ終えてしまうのが惜しいと思ってしまった。カタリと空になった容器にスプーンを置く。
一息ついていた頃、ハルがやって来た。
「ライオラさーん!」
「ハル、いらっしゃい」
彼女をテーブルの上に手招きする。
ハルはライオラを見上げると、少々困り顔で尋ねた。
「けんか、しちゃいましたですの?」
彼女はテーブルの淵に腰をかけると、小さな足を揺らす。
「あらハル、何のこと?」
「さいきん、おうじさまといっしょにいないきがするですの」
「そうかしら。でも、殿下もお忙しいでしょうから、私に構っている時間はあまり無いと思うの。ハルったら、気にしてくれていたの?」
「うーん……いそがしそうだけど、なんかちがうきがするのォ……」
彼とはダンスパーティーで会ったのが最後、ここ数日間は顔を合わせていない。
パーティーの翌日は休日だったが、昨日からの授業は始まっていた。教室で会うだろうと思っていたが、彼は授業に現れなかった。
「ハルは殿下と一緒にいなくていいのかしら」
「おうじさま、ぶがいしゃはくるなーって」
「部外者……まあ、ハル。そんなことを言われたのね」
「お嬢様、最近騎士団の方で動きがあるようで。恐らくそのせいかと」
「……魔物騒ぎの件かしら」
近頃王都でも魔物の目撃情報が何件も上げられるようになっていた。
王は他の政務もあり立て込んでおり、次期騎士団長を担う予定のマルクトに昨今の事件解決の為、白羽の矢が立ったか。ダンスパーティーの日、ウィンストン卿が彼に話しかけていたことを思い出す。
「まものですか! それなら魔法石のでばんですの! おうじさま、だいかつやくですねぇ!」
「そうね、ハル。でも……」
一人で大丈夫かしらと、不安が募る。胸元の制服の襟をきゅっと握った。
「……あのノート、早く殿下にお渡ししないと」
「え、お嬢様、もう纏め終わったんですか?」
「ええ。二冊目もバッチリよ?」
ニコリと微笑んでハロルドに答えた。
寝室に置いている愛の魔法の為の呪文を考案したノート。ノートはきっちり最後のページまで書き込んでおり、マルクトに会ったら渡そうと思っていた。だが渡しそびれていたのだった。
――学園内にはいるはず。休暇に入る前に、お渡しできるといいのだけど。
会えないのなら探しに行けばいい、そう決めた瞬間だった。ダンスパーティーで、彼と踊った時のことを思い出す。頭の中が彼の瞳の赤に染められ、ツキリと胸が痛むと同時に呼吸が浅くなるのを感じた。
「……あ」
「ライオラさん?」
「お嬢様」
「っ! こほん……今日はどちらにいらっしゃるかしらね。早くお渡ししないと! たくさん考えたのよ、私」
咳払いをして誤魔化す。悲しい表情をするなと喝を入れる。
――正式な発表があるまでは、これまで通りにしていなければいけないわ! 王家への印象が悪くなってしまうもの。
ライオラは、理由もなくマルクトが婚約を破棄するとは思っていない。
――好きな方ができたのなら、あの日は違う方と踊っていたっておかしくない。でもそうではなかった。
自惚れかもしれない。だが、彼の目は他のどの令嬢にも向いていなかったように思う。
――きっと理由があるのよ。でも、無くたって私は……もう自分の心に嘘なんて付けないわ。あの人を守りたいという気持ちは無くならない。
ライオラへの想いが一切無くなっているとするのなら、もっと強く突き放しているはずだ。
だからこそ、彼の周囲からの印象が悪くならないように、何もなかったかのように振る舞わなければならないと思うのだ。
――ハロルドは殿下のことなんて気にするなと言ってくださったけど……私は、陛下たちに迷惑をかけたくない。
ハルツベルン王家とエーデル公爵家の関係は、親の代よりも長い繋がりがある。
幼い頃から会っている国王夫妻は、ライオラにとってはもう一人の父と母のような存在だ。嫌な決別の仕方はしたくない。
ちらりと従者の顔を見た。
ハロルドはあの日、パーティー会場を飛び出したライオラを息を切らしながら追いかけ、正直に思いを吐露した時にも全身で受け止めてくれた。
――ごめんなさい、ハロルド。振り回してばかりね。だけど今更、生き方なんて変えられない。私ったら、なんて我儘なのかしらね……。
口直しに頼んでいた紅茶を口に含む。
プリンは美味しく思えたのに、紅茶はあまり香りを感じなかった。




