※二十二話 傷付けた心
やっとの思いで話をしたがる貴族たちを振り切った時には、会場付近にライオラとハロルドの姿はなかった。
広間の外、人が少ない廊下の端で、薄ピンクの透明感あるドレスに身を包んだ少女を見かける。ライオラの友人の一人であるフィオーネだ。彼女の側には黒い礼服に身を包んだ従者もいた。
「エリオットォ……熱いよー……」
「いやいやお嬢様、踊ってないじゃないですか」
会場の熱気に当てられたのだろう。彼女は従者のエリオットに暑いと言いながら扇子で仰いでもらっていた。彼らならライオラの行方を知っているかもしれない。一縷の望みをかけ声をかける。
「フィオーネ嬢、エリオット!」
マルクトが彼らの元に駆け寄ると、二人はそろって声を出して驚いた。
「エリオットも仰いであげるね……えっ! ぎゃあ! 殿下だぁ!」
「え。お嬢様、何を言ってるんですか。殿下がここに来るわけ、ぎゃあ!」
フィオーネは従者と共に令嬢にあるまじき悲鳴を上げていた。そんなに驚かなくてもいいじゃないかと、頬がひきつる。
「ぎゃあ、とは……」
「ぎゃあ! 喋った! あ、違いますわ、殿下。ちょっとびっくりしちゃっただけで……どうかなさいましたか? あ、殿下、こんな所にいていいんですか……? 忙しそうでしたよね……?」
おい、また叫んだぞ、このご令嬢は。マルクトはじとっと見つめる。だが咳払いし気を取り戻すと、本題を切り出した。
「フィオーネ嬢、エリオット。二人ともライオラを見なかったか」
「ライラ?」
「ライオラ様ですか?」
二人の首が同時にこてんと傾く。
「……殿下とライラが踊ってるところは見たけれど……ううーん……」
「俺もそれっきり……あ」
エリオットが何か思い出したような反応をする。
「さっきハロルドがすごい形相で外に出てったような」
「本当か、エリオット!? どこに!」
「ええ! たぶん、あちらの方に……向こうだと多分ガーデンかと!」
「ガーデンか。助かったエリオット。邪魔してすまなかった、フィオーネ嬢も」
髪の毛が乱れるのも厭わず、廊下を駆けた。向かうのはガーデン。入学した日から、彼女は学園の庭を気に入っていた。
『とても素敵なガーデンね。貴方と会った庭園に似ているわ……! すごく綺麗!』
二人で学校を散策した日、彼女が言った言葉を思い出す。今晩とはまるきり違う、自然な笑顔を浮かべていた彼女が言った言葉。
――……俺があんな顔をさせた。
潤んでいたように見えた瞳は決して見間違えではない。震えていた声も、きっと彼女の本心がこぼれ出たからで。
大理石の床を蹴る音が、まるで鼓動のように聞こえる。
何人か生徒とすれ違うが、見向きもせず前へと突き進む。彼女はガーデンにいる、そう確証を持って。
夜の庭園は冷たい夜風に吹かれていた。
マルクトは静かにガーデンの入り口の門を開けて入ると、遠くの植木の影に目を凝らす。
――気配はない。奥にいるのか……?
広間とは打って変わって、非常に涼やかな庭。薔薇の小道を抜けアーチを潜ろうとした時、微かに声が聞こえた。
「……ッ、……うっ……」
か細い女性の声。聞き馴染んだ声の掠れた音に、マルクトは息を呑んだ。
――……ライオラ、か?
初めて聞く、彼女の泣き声。
奥の通りを進もうとした時、植木の向こうに見えた月の光のような二つの髪色。一つはライオラで、もう一つは、
――ハロルド!?
彼女は従者とそこにいた。
ガーデンの中央、薔薇の花々が咲き乱れる広場の片隅に、彼らは寄り添うように立っていた。
思わずマルクトは側の植木に身を隠し、二人の様子を眺め続けた。足や手の先から熱が消えていくのを感じる。
植木の影からでも見える、泣き腫らした彼女の顔。そんな彼女をハロルドはあろうことか抱き寄せ隠してしまう。
水底に沈められたような気分だった。彼女の震えた声がハロルドの名を呼ぶ。ハロルドが上着を脱ぎ、彼女をその中にしまい込む。夜の闇の中にしまい込むが如く。
ーーハロルドの奴、どういうつもりだ。
ハロルドをきつく見た。その時、彼の若葉の瞳がマルクトを見据える。剣を突き付けたような緊張感が走ったのを感じた。
「……」
「……」
ライオラが従者の腕の中で見上げた。
何でもないと言うかのようにハロルドは目線を下げるが、すぐにまたマルクトと目を合わせると、口を動かした。彼の緑の瞳に穏やかさなどは無く。
『お ま え が な か せ た』
声は聞こえない。だが、マルクトには彼がそう言ったように聞こえた。
暫く呆然と彼らを見つめる。
かつてマルクトと同じ赤を纏った彼女は、青色に塗りつぶされてしまった。
――いや、そうさせたのは……俺だ。
むしろ元のエーデル家の色に戻っただけ。
ライオラに王家の色を背負わせていたのは、己自身だったと思い直す。
彼女の啜り泣く声が風に乗せられ運ばれてくる。婚約者でなくなっても支えると笑っていた彼女の心は、今日で崩れ落ちたのだと思い知る。
植木の影から身を乗り出せば、彼女は気付くだろう。ハロルドの腕から奪い取り、撤回の言葉を紡げば泣き止むか。
だが、王家から遠ざけると決めたのはマルクト自身だ。
風が庭園の薔薇を揺らす。
彼女がハロルド上着に隠れながら、マルクトの脇を通る。マルクトはその場に立ったまま動かない。ただ静かに佇んだ。通り過ぎたハロルドも、一言もマルクトに声を掛けることはない。ただ静かにライオラを庭園から連れ去った。




