※二十一話 赤と青
※※※
マルクトはライオラが大広間に現れた瞬間、鼓動が止まったかと錯覚した。突如止んだ音楽がそれを強調させる。
――青、のドレスだと……⁉︎
届いてなかったのか。
確かに彼女宛に今夜のためのドレスを用意したはずだ。
鼓動が元のリズムを取り戻し、彼女の纏った色がはっきり見えてくる。
青は彼女の生家であるエーデル家の色。ライオラの傍にいる男の礼服も、彼女に合わせた紺の生地で繕われ統一感を出していた。
彼女の元に駆け出したい衝動を抑え、よく磨かれた石の床を踏み締め歩く。彼女の瞳がマルクトを捉えた時、言葉は最後まで出ず、喉の途中でつっかえる。
「ライオラ、なぜ着て来なかった。君はっ」
思ったよりも低い声が出た。彼女の従者に鋭く睨まれた気がした。若草色の瞳が不遜にもこちらを捉えている。
「殿下。来賓とのご挨拶があるのではなくて?」
ライオラは笑顔を浮かべているが、声に抑揚はない。
「それは、君も」
「私は……少し会場内を見て回ろうと思います。ご安心を。ハロルドがおりますもの。こちらのことはお気になさらず。殿下は公務にご集中を。学園内でもお忙しいでしょう?」
「ライオラ、待て、話を」
「お嬢様、参りましょう」
呼び止めようとした声はハロルドに遮られる。
彼とも付き合いは長く互いによく知った仲だが、この社交の場でその態度を取る意味がわかっているのだろうか。
明確に壁を作られている、そう考え付くのに時間はかからなかった。
音楽が再開し、会場が賑やかさを取り戻す。
つい目で彼女のいく先を追ってしまう。どこに行った。いつもなら王家の赤を纏う者は少なく、姿を見失うことはなかった。だが今日ばかりは、会場の人混みの中に、彼女の纏う青は溶け込んでしまった。
「マルクト殿下」
探しに行こうとし、口髭を生やした貴族の男に呼び止められる。父の知り合いだ、無視するわけにもいかない。
――くそ。
話しているうちにライオラを見失う。
貴賓席に戻るまで、彼女の姿を見つけることは出来なかった。
高いところから眺め、会場の端に彼女の青いドレスを見つけた。
だがすぐに、今度は騎士団の男がマルクトに元にやってきた。普段は王城に控えているフレデリク・ウィンストン、彼は王国騎士団の総団長を務める男。学園に通うまでは、マルクトの剣の稽古は彼に師事していた。
「マルクト様、ご無沙汰しております」
「……ウィンストン卿か」
惜しいが、目を逸らさなければ。ウィンストンのアイリッシュグレーの目は、規律正しき騎士団の正装の色を思い起こさせる。
「殿下のお耳に入れておきたいことが」
「……なんだ」
マルクトよりも低い声が耳元に落とされる。
「……弟君の、クロード殿下の件で」
学園では滅多に聞かない弟の名前に緊張感が走る。
マルクトには一つ下の弟クロードがいるが、異母兄弟だ。クロードは妾の子のはずだが、噂では一時期王国で保護していた南国の王女が母親だとされている説がある。そんな彼は、今は隣国の学校に交換留学に出ていた。つい先月、元気にやっていると土産付きで手紙も貰ったばかりだが。
その隣国からは皇太子がこの学園に来ており、今日の舞台にもその皇太子の姿はあった。皇太子が広間で挨拶回りに勤しんでいるのを見かけている。
「クロード殿下の配下に、魔物を操る者がいるという話が」
「……事実か?」
「まだ確証は。ですが、王都でも殿下の支持派が襲われる事件が何件か。昨今、魔物の目撃情報が増えております」
「……! 大丈夫なのか」
「学園内に出現していることもあり、我々は王都の見回りも強化しております。殿下も、身の回りには十分ご配慮を」
ウィンストンは手短に話を切り上げるとその場から退席する。
――クロードの配下に魔物を操る奴がいる?
にわかには信じがたい話であった。
王城内では次期国王にマルクトを推す派閥とクロードを推す派閥があることは耳に入っていたが。
妙な違和感が胸をざわつかせる。
――アイツが指示するとは思えない。
いくら異母兄弟であっても、兄弟仲が悪いとは一度も思ったことがない。
クロードを次期国王に押し上げたいのは、大方南国と手を組んでいる輩か。不確かな噂に縋る、不敬な輩。クロードが生まれるまで、ハルツベルンの血は確実にこの王国内だけの物であった。
――噂は、あくまで噂だ。だが……。
遠くにいるライオラの青を見つめる。暗く夜を思わせるドレスも、マルクトには爽やかな冷水のように思えた。己の体に纏うのは薔薇の赤。体を滾らす熱のような王家の赤を、涼めてくれるのは彼女の『青』だけだった。
開幕式、貴賓席に来た彼女は微笑みを浮かべていた。じっと会場を見据えていた様子の彼女は、エーデル家が掲げる家紋の百合の花のように気高く見えた。
――あとひと月、それまでは。
彼女を手中に収めて置ける。残った時の短さに息苦しさを感じるが、手放すと決めたのは自分自身。
式は進む。パートナーとのダンスの時間がやってくる。先に立ち上がったマルクトは、すっと彼女に手を差し伸べた。
「……ライオラ、行くぞ」
彼女の夏空の瞳は、まっすぐにマルクトの瞳を見上げていた。細い指が、マルクトの手に添えられる。小さく軽い手。その手が滑り落ちぬよう、マルクトは力強く掴んだ。立ち上がったライオラの笑顔は、まるでハリボテのようであった。
踏み出したステップは、一つのずれもなく。音楽に耳を澄ませる必要もないくらい、踊りなれていた。彼女を手繰り寄せる。瞳が交わったその瞬間、彼女の笑顔がそがれたのが見えた。小さく口が開く。だが声は出てこない。
――君は、何を見ている。何を思って、その色を……。
青色に包まれた彼女の姿。あのハロルドと同じ系統の色。
ライオラの手に力が入るのを感じた。まるでしがみつくような感覚。それを黙って握り返す。
ダンスは佳境に入る。彼女の息遣いと重なる。きっとこの日が最後だろう。公の場で、人々の目が集まる場所で、王子とその婚約者が踊るのは。
音楽が止む。踊り終わった後、拍手に包まれながら席に戻ろうとした。そんな途中で、視界の端で青のドレスの裾の動きが止まったのが見え、振り返る。
「……」
「……」
笑顔の仮面が剥がれ落ちたような、彼女の揺れる瞳を捉える。
「ライオラ?」
「……ッ、私」
ライオラがあからさまに息を大きく吸い込んだ。しなやかな細い指が、ぎゅっとドレスの裾を掴んでいる。
「殿下! 私、少し席を外しますわね!」
「あ、ライオラ!?」
聞こえた声は揺れていた。
彼女は泣いている、そうすぐに分かった。手を伸ばし追いかけようとするが、来賓に捕まる。
白髪に染まった人柄のよさそうな初老の男。
「殿下、先ほどのダンスはお見事で……」
男の声など耳に入らない程、焦りが胸中を埋める。
――ライオラ……!
彼女の後ろ姿は人ごみに塗れて消える。
ダンスの賛辞の為に、貴族らがマルクトを取り囲む。
かろうじて見えたのは、彼女の従者が出口に向かって走る姿であった。




