表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/35

十九話 ラストダンス



「……国王陛下がいらっしゃるという話は聞いているかしら」

「いいえ。おそらく、学園の様子を見に来られたか招かれたかのどちらかでしょう。学園は騎士の養成学校でもあります故」


 ライオラの視界の先で、マルクトが肩を落とし、首を振ったのが見えた。


「あいつ、困ってますね」

「ハロルド、何をにやけているの。駄目よ、こんな場所で。見られたらどうするの?」

「にやけてなどおりませんよ、私は」

「本当かしら……?」

「ええ、本当ですとも」


 そうは言うが、ハロルドの声音は軽い気がする。

 程なくしてマルクトの側をウィンストン卿が離れた。


 ゆったりと耳心地の良い音楽が切り替わる。

 優雅ながらも軽快なステップを踏みたくなるような明るい曲調。広間の中央に、多くの男女が集まり始める。


「あら、この曲……」

「お嬢様、踊られますか?」

「いいえ、相手がいないもの。私は見ているだけでいいわ」

「そうですか。では、そろそろ移動いたしますか? あちらに」


 そう言ったハロルドの視線が向いているのは、マルクトがいる方。

 まだ心には不安な思いが燻っているが、もう行かなくてはならないらしい。


「……そうですわね、そろそろ。間も無く正式な開催時間になるものね」


 あと数十分もすれば学園の鐘が鳴る。そうすればパーティーは本格的に始まり、ライオラはマルクトと踊らなければならない。その前に来賓の挨拶があるだろうが。

 しばらく、生徒たちのダンスを鑑賞する。

 ライオラは意を決すると、ハロルドに目配せした。


――行きましょう。


 踏み出す足は重い。ヒールのせいではない。何年も履き、歩きなれているのだから。

 コルセットによって伸ばされた背筋を更に伸ばし、マルクトの元へと歩み始めた。


 退屈にも思える校長と来賓の挨拶がやっと終わる。マルクトの隣席で、ライオラはドレスの布地を掴みたくなるような思いを抑えながら、時間が過ぎるのをひたすら待った。


 ついにパーティーはメインイベント、王国の第一王子が踊る時間がやってくる。

 ちらりと隣の彼の顔を見た。


――殿下は……変わらないわね。


 マルクトの表情は相変わらず気難しいままだった。しかめ面をしているのも、ウィンストン卿との会話のことを考えているのだろうか。

 司会の穏やかな声が広間に響く。


――ダンスの時間だわ、立たないと。


 聞き取りやすい発音の声が、踊らされる生徒の名前を読み上げている。学園には国際交流も兼ね、隣国の皇太子も在学していた。ライオラも交流がある面々だ。数組の名前が呼ばれ、最後にマルクトとライオラが呼ばれた。


「……ライオラ、行くぞ」


 マルクトが立ち上がり、白い手袋をはめた彼の手が眼前に伸びる。何度も見た動き。あと何度この手を取れるだろうか。今日が彼と踊る最後のダンスかもしれない。


――最後……本当に?


 彼の手を見て固まる。

 ライオラは思ってしまった。これからは自分ではない違う誰かが、彼の手を取るのかと。

 一瞬だけ唇をかみしめた後、口角を上げてマルクトの瞳を見つめる。笑顔はぎこちない。


「はい……、参りましょう」


 彼の手にそっと触れる。力強く引かれ立ち上がると、彼にリードされ広間の中央へ向かった。

 周囲の目が、集まっているのがわかる。体中に穴が開きそうだった。


「なぜ、ライオラ嬢は青を……」

「いつもは赤いドレスではなかったかしら……?」


 聞こえてくる声は、きっと幻聴ではない。側に待機する他のダンス者たちも、ライオラに気遣わし気な視線を送っているのがわかる。

 マルクトの手を離し、定位置につき彼と向かい合う。


――大丈夫よ、ライオラ。私はやれるわ。


 視線を気にしてはいけない。今はまだ婚約者。彼を立てなければ。今夜で最後、彼を彩る花になるのだ。

 マルクトの顔だけを見つめた。もう二度とない光景だろう。今のうちに目に焼き付けておかなければ。


「ライオラ」


 彼が小声で言うのが聞こえた。その声に応えるように、まっすぐに瞳を見つめ続ける。


――ラストダンス、お相手願うわ。


 彼の顔を見れば見る程、心は奥深く沈んでいった。ライオラはようやくこの思いを心の中で言葉にする。認めれば辛いを思いをするだけだと、心の奥底に無理やり沈めて来た言葉を。


――……ああ私、まだ殿下のことが好きなのね。


 別れの言葉を受け入れたくなかった、自信のわがままな心を自覚する。

 だがいつまでも思い出に縋ってはいられない。婚約破棄の発表はすぐのはず。耐えろ、耐えるのだ。胸の中の言葉がこんなに痛かったことがあっただろうか。

 音楽が始まる。緩やかなビオラの音が会場を包み込む。

 コツリと靴音が鳴り、マルクトが動く。彼は腰を折り、下げた頭に合わせはらりと黒髪が流れ落ちた。ライオラもマルクトの動きと同時に膝を折る。

 音楽が進み、マルクトの手が差し出されると、その手を取り組み合った。背の高い彼の肩に、細い腕を伸ばす。

 近付いた距離。彼の吐息が頭にかかる。髪をくすぐられたような感覚に、ライオラはきゅっと彼の肩を掴んだ。

 曲は進む。彼の右足が動き、流れるままマルクトの動きに身を任せた。息の合った動きでステップを刻む。次の動きが何だったかなど、考える必要もない。互いの呼吸が重なる、一体化した足取り。


――あ。


 どうしてか、昔のことを思い出した。

 彼が、今よりもうんと背が低かった頃のこと。

 幼い頃、彼はダンスが苦手だったことを思い出したのだ。最初はライオラが教えていた。何度足を踏まれただろう。いつしかそれは互いに成長していくにつれ、彼に教えられることの方が多くなった。

 ツンと鼻を刺してくる感覚。ライオラはハッと目を見開く。


――どうして、今それを思い出して……だめよ、忘れて。今は踊らないと。


 喉の奥から込み上げてくる熱い物を必死に飲み込む。

 視界は滲みかけ、泣き出してしまいそうだった。

 彼のリードは少しばかり強引だ。だが泣きたくなる程優しかった。

 慣れたステップ、慣れた息遣い。全てがライオラに合わせられていた。

 だがどうしてだろう。いつもなら息は切れないのに、今日は胸が重く苦しい。


「ライオラ……」

「……」


マルクトの声が頭上に落ちる。


「…………それはお前が選んだのか」

「……」


 低く探るような声。ライオラは答えられなかった。今声を出したら、きっと震えてしまうから。

 どうしてそんなことを尋ねるの、そう思ったライオラは彼を見上げた。彼の赤の瞳とかちあう。

 ステップが大きくなり、くるりと向きが変わる。その時、腕を引かれて彼の顔がグッと近づいた。唇が触れそうな距離だが、ライオラは顔を背けなかった。視界いっぱいに映る彼の瞳の赤色に意識が奪われる。


――……赤い、王家の色。


 心が焼かれる。綺麗だと言う言葉一つで片付けるには惜しい程、深い赤。

 己だけが見つめていることを許された色だったのに……そんな独占欲が去来する。


「……ッ」

「ライオラ……」


 甘く、でもどこか冷たい低い声。彼から目を離せない。突き放されたのに、まるでその声にまた手繰り寄せられていくかのようで。


――そんな声で呼ばないで……。


 音楽は終局へと向かう。

 何度ドレスの裾を翻しただろうか。どれくらいの時間、踊っていたかも覚えていない。やがてステップは緩やかになり、奏でられていた音楽は鳴り止んだ。

 観客の拍手を浴びながら、彼と共に貴賓席に戻ろうとする。だがどうしてか足に力が入らない気がし、ライオラは途中で立ち止まった。


「ライオラ?」

「……ッ、私」


 彼の声が聞こえると、胸が軋むように痛んだ。目頭は熱くなり、染みるような痛みが鼻腔を突く。


――ウソ、嫌だわ。このまま、ここにいたら私は……!


 頭の中が熱に侵されたかのように、どんどん思考が鈍くなっていく。少しでも考え事をすると、すぐにでも涙が溢れ出そうであった。


「殿下! 私、少し席を外しますわね!」

「あ、ライオラ⁉︎」


 踵を返し外に向かう。

 待てと声をかけられた気がし振り返ったが、初老の男性に話しかけられる彼の姿を認める。

 来賓の一人だ。慌てた様子の彼の目がライオラに向けられるが、引き返すことなく外に向かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ