十八話 ダンスパーティーの日
冬の気配が濃く近いた日。
夕日が沈む頃、学園は華やかな音楽に包まれていた。
今日はダンスパーティーの日だ。
ライオラは大きな扉の前に立ち、深呼吸を数回繰り返す。更けていく夜を思わせる濃紺のドレスの上で、手を握り締める。
――私はライオラ・フォン・エーデル。代々王家に仕え、国を、民を守ってきた由緒正しきエーデル公爵家の娘。さあ……前を向いて歩きなさい。自信のない顔なんて見せてはだめよ。
目の前の大きな扉を見上げた。それはまるで巨大な門の様にライオラの前に立ちふさがっていた。
従者のハロルドがすぐ側に付き添う。
「お嬢様。ご準備は」
「……ええ、問題ないわ。行きましょう、ハロルド」
ライオラの纏うドレスに合わせ、従者のハロルドは同じ濃紺の衣装に身を包んでいる。袖口にはエーデル家の家紋であるユリの花の家紋が、明るめの青の糸の刺繍で施されている。彼は白い手袋に包まれた手をライオラに差し出した。
「では、お嬢様」
ライオラはハロルドの手を取った。重厚感のある扉がゆっくりと開かれる。
一歩、また一歩と踏み出せば、聞こえていたバイオリンの華やかな音楽が不自然に止んだ。
一斉に向けられる視線。冷たい風に吹かれた気がした。ライオラは注目の的であった。
――やはり気になるわよね……。
会場の隅々聞こえてくる声に、ライオラは臆せず耳を傾ける。
「エーデル公爵令嬢の隣にいるのは誰だ……」
「どうしていつもの王家の赤を着てないの……」
「あれ、殿下と一緒じゃない……?」
「やはりあの噂は本当なのか……?」
聞いてみれば、驚いているような声が多い。会場のざわめきは、すべてライオラへ向けられたものだった。
ふと、誰かの言葉が耳に入る。
「あの方は誰……ライオラ様をエスコートだなんて。恐れ知らずにも程がありますわ……」
どうやらハロルドのことを知らないようだ。ライオラは笑みを貼り付け、声の主を振り返った。
「そちらの」
「!」
「……どなたでしょう? ああ、デルマー伯爵家の、リーネ嬢ではありませんこと」
見つけたのは、茶髪の女子生徒。彼女が着ているのは黄色のオーガンジーをふんだんに使った、お菓子のクリームを思わせるようなドレス。重ねられたスカートのドレープが、彼女の可愛らしい顔つきを際立たせている。
リーネはライオラに話しかけられるとは思わなかったのか、怯えたように後ずさった。
「ラ、ライオラ様。これは、その」
「彼は私の従者です。私が、我がエーデル家のお付きの者と歩いていては、おかしくて? それに彼は侯爵家の出で、この学園の生徒でもあります。この場にいることに、何もおかしなことはございませんでしてよ」
「そ、そう、だったのですね。存じ上げておらず……ライオラ様が、そうおっしゃるなら……」
リーネはそう言って、頭を下げるとライオラから逃げるように人混みに隠れてしまった。
――怖がらせてしまったかしら……。
脅すつもりはなかったが、ハロルドに辱めを受けさせるわけにはいかない。彼に会場までの付き添いを頼んだのはライオラだからだ。
「ライオラ」
「……殿下」
会場の奥から、凛とした低い声が響いた。ずしりと心に重い影が落ちそうになる。だがこんな人目のある場所で落ち込んではいけない。
――ああ、もういらっしゃっていたのね。
背筋を伸ばすと、ライオラは笑顔を絶やさず声の主を振り返った。
「殿下、どうなさいました? わざわざこちらまで降りてこずとも、私の方から向かいましたのに」
「ライオラ。なぜ、着てこなかった」
「……何を」
淡々と答える。彼の問いに心当たりはあったが、あえて知らないふりをした。
――やはり殿下からの贈り物だったのね。選べないわ……王家の色なんて、今の私が……。
身に纏って良いとは思えない。
「君は……っ」
マルクトが言葉を詰まらせた。彼の様子に少しだけ心が揺らぐ。彼の赤を選ぶべきだったのかと。
――ダメよ、間違っていないわ。殿下のことを考えてはいけない……。
この選択で正しかったのだ、そう心の中で言い聞かせると彼の赤い瞳を見据えた。
にこりと笑みを添えて。だが口の端が引き攣る。
「殿下。来賓とのご挨拶があるのではなくて?」
「それは、君も」
「私は……少し会場内を見て回ろうと思います。ご安心を。ハロルドがおりますもの。こちらのことはお気になさらず。殿下は公務にご集中を。学園内でもお忙しいでしょう?」
「ライオラ、待て、話を」
「お嬢様、参りましょう」
ハロルドがマルクトとの間に割って入った。本来ならばありえない行為だ。だが、ライオラが黙認しているのもあり、誰のヤジも飛ばない。
「ええ、ハロルド……では、殿下。また後ほど会いましょう?」
膝を軽く折りマルクトに別れを告げると、ハロルドの手を取り音楽隊がいる方へと向かった。この状況に戸惑っているのだろう、おろおろとした様子の指揮者の前でライオラは立ち止まる。
「とても良い演奏でしたわ。もっと聴いていたいのだけれど……続けてくださるかしら?」
「は、はい。エーデル様」
ライオラは目元をやわらげ微笑む。あの音楽が止まってしまうなんてもったいない。
――それに、静かだと鼓動の音が聞こえてしまって落ち着かない。
緊迫した会場の雰囲気にのまれてはいけない。
今日はダンスパーティーなのだ、楽しまなければ。この催しは学園の生徒であれば自由に参加でき、一般生徒からすれば王侯貴族とのコネクション作りにもってこいの場。純粋に楽しんでいる者もいるだろうが、王立学園で開催されているのには意味がある。彼らのそういった目論見を、ライオラの私情で台無しにするわけにはいかない。
――邪魔をしてはいけないわ。皆、準備してきているもの。
演奏を再開した奏者たちに一礼すると、ライオラは会場の壁際に寄り全体を眺めた。色とりどりの、きらびやかで様々な衣装が目に入る。
――……あら、フィオーネは反対側にいるわね。お皿にたくさん……あの子ったら、そんなに食べて大丈夫なの?
反対の壁際、軽食類が並べられたテーブルの近くに幼馴染の彼女を見つけた。エリオットが小さなケーキがいくつか乗った小皿を持ち彼女に何か言っている。フィオーネがテーブルを指さしているのもあり、大皿から取り分けているところなのだろう。
「声をかけに行きますか、お嬢様?」
「いいえ……楽しそうだもの、邪魔をしたら悪いわ」
「そうですか」
遠目から見ても微笑ましい二人の様子に、重苦しかった心が少しばかり軽くなる。
「お嬢様も何かいただきますか? 取りに行ってきますよ」
「大丈夫よ、ありがとう」
そう言い、今度は会場の最深部、中央の一段と高くなっている場所に視線を動かした。貴賓席の真ん中に、彼の姿を見つける。
――殿下、私を見ておりますの?
マルクトの視線がこちらを向いている気がした。マルクトのすぐ傍らには銀髪を固く整え、黒地の騎士服を模した礼服に身を包んだユーゴが寄り添っている。
――私のことなど気になさらずとも……あら、話しかけられたわ……あの方は?
彼の元に一人の男が近付いた。ライオラも見覚えがあるその男は、王家に仕えている騎士団長のウィンストン卿だ。普段は王の側にいるはずの彼がなぜ学園にと、ライオラは怪訝に思う。
「ハロルド、あの方……」
「ウィンストン卿ですか……珍しい。王城を離れるなんて」




