十五話 揺らぎ合う心
「ええ。殿下のために、二人で考えていたの」
「な、何を」
「なにをって、魔法の呪文ですわ」
胸を張って答えた。言われたマルクトは口を開いたまま固まっている。
「いざという時、すぐに呪文が出てこないといけないと思いまして。こちらはまだ未完成ですのでお見せできませんが、こちらでしたら。はい、殿下」
「あ、ああ。ライオラ?」
「少しでもお役に立てていたら、良いのですけど」
「ああ……ああ、もう十分すぎるくらいだが」
閉じたばかりのノートではなく、その下に置いていた別の薄い方を手渡した。マルクトの手が、受け取るまでに上がったり下がったりを繰り返す。
「さあ、受け取ってください」
「……すぅ……ハロルド、何を笑っている」
「……っ……いいえ。笑っておりません。お嬢様が殿下の為に考えに考え抜き作られたお品です。お納めを」
「マルクト様。早く受け取ってください。ライオラ様に失礼ですよ」
ユーゴの一声もあり、マルクトがやっと受け取った。
「ありがとうございますわ、殿下。後でご覧ください。詠唱時に発音しにくい箇所がありましたら、教えてください。すぐ修正案を考えますから」
ライオラは出来る限りの笑顔を浮かべる。いつでも貴方の助けになると。家臣の一人として頼って欲しい。
「ああ……後で、見させてもらおう……」
少しかすれたような声で返事があった。彼はノートを小脇に抱えると、ユーゴに視線を向けた。見られているユーゴはというと、まっすぐにマルクトを見つめ返している。
「……」
「……」
マルクトが一人で頷く。二人の間で言葉のいらないやり取りを交わしたようだ。何かしらとライオラは見守り続ける。マルクトが視線を戻し、ライオラは赤い瞳に捉われる。
「ライオラ、君に送った」
「ああああ! ライオラさーん!」
「あら、この声は……ハルね?」
マルクトが何か言おうとした瞬間、妖精ハルの声がどこからか聞こえて来た。周囲を見渡すと、テラス席の端で手すりをよじ登っているハルの姿を見つける。ハルと目が合うと、彼女は細く小さな腕をライオラに向けて振った。まるで一輪の花が風に揺れるかのような可愛らしい動きだ。
「ハル、まあ、あんなところに。大丈夫かしら?」
「んしょ……はぁい! ライオラさん、こんにちは! わあ! おいしそうですねぇ! なんですか、これ?」
ハルは手すりを登りきると、小さな羽をばたつかせながらライオラ達がいるテーブルまで空を飛んで来た。ライオラの前で停止すると、テーブルにあるクッキーと紅茶を見て目を不思議そうにぱちくりさせる。
「クッキーもこちらのマドレーヌも、ハロルドがすべて用意した物よ」
「おかしですかぁ!」
きらきらと星のように目が輝いている。
「召し上がってみる?」
「いいんですかぁ! わぁ!」
まるで子どものようにはしゃぐ彼女。ライオラは余っていたナフキンを折りたたみ、ハルが食べやすいようにと、クッキーを四等分に砕きその上に置いた。
「このくらいの大きさで大丈夫かしら?」
「わあああ! ありがとうございますぅ!」
そう言ってハルはナフキンの前に降り立つ。
「いただきまーっす! はむっ」
ハルは座って小さな両手でクッキーのかけらを持ち上げると、大きな口を開けほおばった。ぼりぼりと小さな咀嚼音が聞こえる。
「……っ! わ! わ! ハロルドさん!」
「はい」
「おいしいです! ワタシはじめてです! こんなにおいしいのは! ハロルドさんはすごいんですねぇ!」
「おお、妖精様のお口にも合いましたか。お褒めにあずかり、光栄でございます」
「おいしいですよぉ! ライオラさん、うらやましいですー! いつも食べてるんですかぁ!」
「うふふ、エーデル家自慢の味よ?」
ハルは両頬を押さえ体をくねらせる。よほど美味しかったのだろう、顔が幸せそうだ。
ライオラはそういえばと、マルクトが何か言いかけていなかったかと思い出す。
「そういえば殿下、先程何か仰いました?」
「……いや、なんでもない」
そう言うと、彼はくるりと踵を返してしまった。
目を丸くし驚いた様子のユーゴを視界に捉える。
ユーゴはライオラに慌てて頭を下げると、すぐにマルクトの後を追いかけた。何でもないと彼は言ったが、明らかに何か言いかけていた気がするのだが。
テーブルの方に視線を落とすと、おかわりのかけらを持ったハルがマルクトが立ち去った場所を眺めている。
「ハル、どうかなさいました?」
「……おーじさまは、いくじなしなのですぅ」
「いくじ……? 何のことですの?」
「いーえー! ちゃんといったらいいのに。こちらもいっただきまーす!」
ハルはしなやかに髪を左右に靡かせると、クッキーの欠けらに齧りついた。




