第8話「畑の実りと、ふるいの工夫」
その朝、畑の土に、小さな緑が並んでいた。
癒し草の、芽だ。
蒔いてから、ずっと待っていた。雨の日も、風の日も。それが今朝、土を割って、淡い若葉を二枚、ちょこんと広げている。
僕は、しゃがんでそっと指を近づけた。触れるか触れないかの加減で、葉の先をなでる。やわらかい。生まれたての、頼りない手触り。鼻を寄せると、癒し草特有の青くて清々しい匂いが、まだほんのりと立っていた。
──育った。
王都の書庫で、文字でしか知らなかった草。それを自分の手で蒔いて、自分の畑で芽吹かせた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。ガレオの足が和らいだときとも、トムの痒みが引いたときとも違う。これは、土と一緒に積み上げた時間が、形になった喜びだった。
間引いた若葉を、数枚だけ摘む。混みすぎた芽を整えてやるのも、世話のうちだ。摘んだ若葉は、軽い傷の手当てにさっそく使える。
◇
さて、と僕は立ち上がった。
ずっと、気になっていたことがある。あの麻布のふるいだ。
トムの軟膏を作ったとき、粉から殻を分けるのに、布を手で揺すり続けた。一椀分なら、それでいい。けれど、村の依頼が増えれば、いずれ手が追いつかなくなる。
何か、楽に分ける仕組みが作れないか。
僕は、魔力がゼロだ。だから、魔法で粉を吹き飛ばすことはできない。けれど、魔導薬草学には、もう一つの道がある。
魔法陣だ。
多くの者が誤解しているが、魔法陣は、術者の魔力で動かすものばかりではない。図形そのものが、空気のなかに薄く流れる世界の魔力を呼び込む。器が水を受けるように。だから、図形と素材さえ正しければ、僕のような魔力ゼロでも、ささやかな力を引き出せる。
引き出せるのは、ほんのわずか。だが、粉を分けるくらいの小さな揺れなら、起こせるはずだ。
◇
僕は、木箱を用意した。
底に細かな網を張り、その下に受け皿。箱の側面に、振動を呼ぶ魔法陣を彫り込む。理屈はこうだ。魔法陣が小さく箱を震わせれば、網の上の粉が、ふるいにかけられたように自然と下へ落ちていく。
ガレオが、木箱の組み立てを手伝ってくれた。
「先生の言うことは、半分も分からんがね。木を切って釘を打つなら、おれの仕事だ」
足の調子がいいらしく、彼の手つきは危なげなかった。
魔法陣を彫り終え、僕は箱に粉を乗せて、息を吸った。
──動け。
図形に、そっと指を触れる。
ぶるん、と箱が跳ねた。
「うわっ」
粉が、宙に舞い上がった。揺れが強すぎたのだ。しかも、片側ばかりが大きく震えて、箱がガタガタと傾いている。
ガレオが、腹を抱えて笑った。
「ありゃ、薬よりさきに、粉が逃げてったぞ」
僕は、苦笑いした。けれど、原因はすぐに分かった。
魔法陣の線が、わずかに歪んでいたのだ。図形が左右で揃っていないと、呼び込む力にも偏りが出る。それで片側だけが暴れた。
◇
やり直しだ。
僕は、彫った線を削り、もう一度、定規を当てて慎重に引き直した。左右が、寸分たがわず対になるように。魔法陣は、図形の美しさが、そのまま働きの正確さになる。
二度目。
今度は、指を触れると、箱がすうっと細かく震えはじめた。ぶれもなく、ひそやかに。み、み、み、と、虫の羽音のような小さな唸り。
網の上の粉が、その揺れに乗って、さらさらと下へ落ちていく。殻のかけらだけが、網の上に取り残された。
「……できた」
手で半刻かかっていた作業が、ほんの数えるほどの間で終わった。
「ほう」
ガレオが、目をみはった。
「魔法も使えねえって言ってたのに、こりゃ立派な魔法じゃねえか」
「いいえ。これは、ただの仕組みです。世界の力を、ほんの少し借りているだけで」
自分で魔力を出せなくても、世界に満ちた力を、図形と知恵で引き出すことはできる。最弱の僕が村のために働く道は、きっとここにある。
◇
その夜、僕は手帳に、今日の仕組みを書きとめた。
ふるいの次は、何を楽にしよう。薬草を刻む手間か、煮詰めるときの火加減か。
畑では、癒し草がゆっくりと根を伸ばしている。
一つずつ薬草を育て、一つずつ仕組みを工夫する。僕の薬草ぐらしは、まだ始まったばかりだ。




