第7話「虫刺されの薬」
男の子は、腕じゅうを真っ赤にして、しきりに掻いていた。
「だめよ、トム。掻いちゃ」
母親が手を押さえるたび、トムは涙目で身をよじる。見ると、肘の内側が掻き壊して血がにじんでいた。虫に刺された痒みを我慢できず、皮膚を傷つけてしまっている。
「掻くと、もっとひどくなります。痒みを抑える軟膏を、作りましょう」
僕がそう言うと、母親は、すがるような目になった。
「ほんとかね。この子、夜も眠れないくらいで……」
「少し、時間をください。きっと、楽にしてあげます」
◇
家に戻り、僕は窓辺の鉢に手を伸ばした。
月見草。王都からずっと大事に運んできた草だ。気難しいこの草は、辺境の窓辺でも、夜になると小さな花を開いてくれた。そして今、その花の跡に、いくつかの種をつけている。
この種が、いる。
月見草の種には、肌のほてりを冷やし、炎症を鎮める成分が含まれている。痒みの正体は、皮膚の中で起きている小さな炎症だ。それを冷ましてやれば、掻きたい衝動も自然とおさまる。
旅のあいだ、何度も枯らしかけた草だった。それが今、一人の子の役に立とうとしている。僕は熟した種をそっと摘み、まず日に当てて乾かした。
種は、しっかり乾かすことが肝心だ。水気が残っていると、軟膏にしたとき、傷んで腐りやすくなる。半日ほど天日に置くと、種は、指で押すとぱきりと割れるくらいに乾いた。
◇
乾いた種を乳鉢に入れる。
すりこぎを転がすように動かす。ころ、ころ、と種が砕けて、わずかに油のにじんだ、しっとりした粉になっていく。月見草の種は、油をよく含んでいる。この油そのものが、肌を冷やす薬になるのだ。
けれど、ここで一つ困ったことがあった。
砕いただけでは、粉に殻のかけらが混じってしまう。殻は肌をこすって、かえって刺激になる。きめの細かいなめらかな軟膏にするには、殻を取り除かなければならない。
そこで、僕は布を使った。
目の細かい麻布を、椀の上にぴんと張る。その上に砕いた種を乗せ、軽く揺すってやると、細かな粉だけが、さらさらと布を通って落ちていった。殻のかけらは、布の上に残る。簡単なふるいだ。
──いつか、もっと楽にできる仕組みを作りたいな。
ふと、そんなことを思った。魔法陣の理論をうまく使えば、粉をより分ける作業も手をかけずにこなせるかもしれない。けれど、それはまた今度だ。今は、目の前の一椀分でじゅうぶんだった。
◇
ふるった粉に、道ばたで摘んできた癒し草の汁を少し加える。癒し草は、傷の治りを助けてくれる。掻き壊した肌を、内側から塞いでいくためだ。
最後に、溶かした蜜蝋と練り合わせる。
湯せんでゆるめた蜜蝋に、月見草の粉と癒し草の汁を混ぜ、木べらでゆっくりと練る。だんだんと、とろりとした薄い黄色の軟膏になっていく。蜜蝋は、肌の上で膜になって、薬の成分を長く留めてくれる。掻いても、じかに傷が広がらない盾にもなる。
練り上がった軟膏を指ですくう。ひんやりと、なめらかな感触。鼻を近づけると、ほのかに甘い月見草の匂いがした。
──できた。
◇
翌日、僕はトムの家を訪ねた。
軟膏を、腫れた腕にそっと塗り広げる。
「つめたい……」
トムが、目をぱちくりさせた。
「すぐには消えないよ。でも、掻かずに待っていてごらん」
しばらくすると、トムの手が、だんだんと止まっていった。あれだけ掻きむしっていた腕を不思議そうに見つめている。
「かゆいの、ちょっとへった」
母親が、ほっと息をついた。
「ああ、よかった……ありがとう、先生。何とお礼をしたらいいか」
先生。ガレオに続いて、また、そう呼ばれた。
僕は、少し照れながら、軟膏の小さな壺を母親に渡した。
「朝と夜、薄く塗ってあげてください。掻き壊さなければ、数日でよくなります」
◇
家に帰る道で、僕は空を見上げた。
ガレオの足。トムの腕。一つずつだけれど、確かに僕の薬が村の役に立っている。
月見草も、ようやく王都から来た甲斐があったというものだ。
次は、畑の癒し草が、そろそろ芽を出す頃だろう。自分の畑で採れた薬草で、薬を作れる日も近い。
それに——ふるいのことを思い出す。手仕事は好きだけれど、楽にできる工夫があるなら、村のためにも考えてみる価値はありそうだ。




