第53話「土の匂いのする学び舎」
ギルドが去って、村に、穏やかな日々が戻ってきた。
いや、戻ってきた、というのは正しくない。村は、追放されてきた僕が初めて見た、あの寂れた辺境とは、もう別の場所になっていた。薬草園は地平の際まで広がり、温室では冬でも緑が絶えない。調合小屋は立派な工房になり、街道には、薬を求める人と、薬を運ぶ荷車が、絶えず行き交っている。ミルドの村は、辺境一帯の、医療の拠り所になっていた。
そして今、この村には、新しい風景が一つ、加わっていた。
若者たちが、薬草学を学びに、村へやってくるようになったのだ。
近隣の集落から。遠い町から。中には、王都から、はるばる旅をしてきた者もいた。医者の見習い、薬師を志す娘、ただ薬草が好きだという少年。年も、生まれも、ばらばらだ。けれど皆、土に触れ、薬草を育て、薬を作ることを、学びたいと言ってやってくる。
僕は、惜しまず教えることにした。
膿出し草の見分け方。月見草の蒔き方。煎じの火加減。魔法陣の引き方。かつて宮廷の薬師たちが、秘伝だと抱え込んで腐らせた知識を、僕は、訪ねてくる誰にでも、分け隔てなく分け与えた。知識は、分けるほどに根を張る。それを、この村で、嫌というほど思い知ったからだ。
弟子の一人に、ルカという、痩せた青年がいた。
彼は、王都の魔術学院を追われてきたのだという。理由を訊くと、青年は、うつむいて言った。
「僕は……魔力が、ほとんどないんです。だから、出来損ないだと、笑われて」
その言葉に、かつての自分が、ぴたりと重なった。
「魔力がないことは、薬師には、何の障りにもならない」
僕は、ルカに、乳鉢を手渡した。
「薬草の力を引き出すのに、要るのは魔力じゃない。手間と、知識と、相手を想う心だ。それなら、君にも、いくらでも積める」
ルカは、はっと顔を上げた。その目に、少しずつ、光が戻っていくのがわかった。乳鉢を握る手に、力がこもる。彼が薬草を挽きはじめた、その規則正しい音を聞きながら、僕は、不思議な巡り合わせを思った。
最弱と笑われた僕が、最弱と笑われた若者に、薬を教えている。
かつて宮廷を捨てたハンナ婆さんの知識が、僕を通して、ルカへと渡っていく。知識は、こうして、人から人へ受け継がれていくのだ。一人の代で消えるはずだったものが、いくつもの手のひらを巡って、ずっと先まで続いていく。
その日の夕暮れ、僕は、いつものように薬草園に立った。
畑の月見草が、夜のはじまりに合わせて、白い花を開いていく。追放されてきた春の日、王都から鉢一つで運んできた、あの花だ。今では畑いっぱいに広がって、毎晩、星明かりの下で咲いている。
魔法は、使えないままだ。きっと、この先もずっと。
けれど、手間暇かけた薬で、村はよみがえった。寂れた辺境は、人の集う場所になり、消えかけた学問は、若い手に受け継がれた。派手な魔法の一つも使わずに。
誰にも邪魔されず、好きな薬草を研究して暮らしたい。あの、ささやかな願いは、叶っていた。そしてそれは、これから先も、ずっと続いていく。
月見草の香りを吸い込んで、僕は、明日の畑のことを考えはじめた。




