第37話「種を蒔く子らへ」
春の、よく晴れた日。僕は、また、子供たちを、薬草園に集めた。
前に、薬草の見分け方を教えたとき、約束したのだ。次は、薬草の育て方を、教えよう、と。子供たちは、その日を、楽しみにしていてくれたらしい。みんな、わくわくした顔で、小さな手に、それぞれの種を、握りしめている。
「今日は、みんなに、薬草を、種から育ててもらいます」
僕は、子供たちに、畑の一画を、分け与えた。一人ひとりの、小さな畑だ。そこに、自分の手で、種を蒔き、水をやり、育てる。育てる喜びを、知ってほしかった。
まず、土を、耕すことから。
「土は、薬草の、ベッドです。ふかふかにして、寝心地を、よくしてあげましょう」
子供たちは、小さな手で、一生懸命、土を耕した。石を取り除き、固まった土を、ほぐす。中には、ミミズを見つけて、歓声をあげる子もいた。
「先生、ミミズがいた! 気持ち悪い!」
「いや、ミミズは、畑の友達だよ。あいつらが、土を耕して、豊かにしてくれる。大事にしてやって」
子供たちは、目を丸くして、ミミズを、そっと、土に戻した。
次に、種の蒔き方。癒し草の種は、浅く、指三本ぶんの、間をあけて。土を、薄くかけて、霧のように、優しく、水をやる。僕が、最初に、この村で、癒し草を蒔いたときと、同じやり方だ。あのときの、土の感触を、今、子供たちの小さな手に、伝えている。
「強く、水をやっちゃ、だめだよ。種が、流れちゃうからね。優しく、優しく」
子供たちは、真剣な顔で、霧のような水を、種に、そそいだ。
それから、毎日、子供たちは、自分の畑に、通った。芽が出た、と喜び、双葉が開いた、と駆けてくる。水をやり、雑草を抜き、虫がついていないか、確かめる。世話をするうちに、子供たちの顔は、少しずつ、薬草を育てる者の、優しい顔に、なっていった。
命を、育てる。それは、命を、慈しむことだ。
自分が蒔いた種が、芽を出し、葉を広げ、やがて、誰かの薬になる。その一部始終を、自分の手で、見届ける。その経験は、きっと、子供たちの中に、大切な何かを、残すだろう。薬草を育てる手は、いつか、人を癒す手に、なるかもしれない。
夏のはじめ、子供たちの小さな畑で、癒し草が、立派に、育った。
「先生、見て! こんなに、大きくなった!」
誇らしげに、自分の育てた薬草を、見せてくれる子供たち。その目は、きらきらと、輝いていた。自分の手で、命を育てた、その喜び。それは、何ものにも、代えがたい。
ハンナ婆さんから、僕へ。僕から、若者たちへ。そして、この、小さな子供たちへ。薬草学は、こうして、いちばん幼い手にまで、種を蒔いている。この子たちが、大きくなったとき、村は、もっと、健やかになっているだろう。
育てる喜びを知った子供たちは、もう、薬草を、ただの草とは、見ないだろう。一本の草に宿る、命と、力を、知っている。その心が、いつか、この辺境を、もっと、豊かにしていく。種を蒔くように、僕は、子供たちの心に、薬草を慈しむ気持ちを、蒔いた。その芽が育つのを、楽しみに、見守っていこう。




