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第30話「牛の難産」

 夜更けに、戸を叩く音で起こされた。


 息を切らして立っていたのは、牛飼いのバルトだった。彼の家の牝牛が、お産で、難儀しているという。


「子牛が、なかなか出てこねえんだ。母牛も、もう、ぐったりしちまって……頼む、先生、来てくれ」


 牛は、村にとって、何より大事な財産だ。畑を耕し、乳を出し、荷を運ぶ。その牛の、新しい命がかかっている。僕は、すぐに薬籠を掴んで、バルトの牛小屋へ走った。


 牛小屋では、大きな牝牛が、横たわって、苦しげに息をしていた。お産が始まって、もう長い時間が経っているという。このままでは、子牛も、母牛も、危ない。


 僕は、薬師であって、お産の専門ではない。けれど、リサのお産に立ち会い、ハンナ婆さんから、命の生まれる仕組みを、教わってきた。人も牛も、命が生まれる理は、根っこのところで、同じはずだった。


「落ち着いて。母牛の力を、助けてやりましょう」


 まず、母牛の張りつめた身体を、ほぐすことから始めた。温めた手で、腹を、ゆっくりとさする。こわばった筋がゆるめば、産道も開きやすくなる。それから、力を振り絞れるよう、滋養のある、温かい煎じを、口元へ運んだ。疲れ果てた母牛に、最後のひと踏ん張りの力を、与えるためだ。


 子牛の向きが、少し、悪いようだった。僕は、清潔にした手を添え、母牛がいきむのに合わせて、子牛の出てくる向きを、そっと、導いてやった。決して、無理に引っ張ってはいけない。母牛の力を、邪魔しないように。あくまで、手助けに徹する。薬を出さない見極めと、同じだ。本来の力を、信じて、添える。


 どれほど、そうしていただろう。


 母牛が、ひときわ大きく、いきんだ。その瞬間、つるりと、小さな命が、滑り出てきた。濡れた、黒い毛の塊。子牛だった。


「生まれた……! 生きてる!」


 バルトが、声を上げた。子牛は、ぶるりと身を震わせ、小さく鳴いた。母牛が、ゆっくりと首をめぐらせ、生まれたばかりの我が子を、優しく舐めはじめた。その光景に、僕も、バルトも、しばし、言葉を失った。


 命が、生まれる。それは、何度立ち会っても、胸を打つ。


 僕は、お産で疲れ果てた母牛に、滋養の煎じを、もう一度。失った力を、内側から取り戻させる。リサの産後にしたのと、同じ手当てだった。母牛は、こくこくと煎じを飲み、やがて、落ち着いた寝息を立てはじめた。


「先生がいなかったら、母子ともに、ダメだったかもしれねえ。本当に、ありがとう」


 バルトが、深々と、頭を下げた。


「僕は、手助けをしただけです。産んだのは、母牛の力ですよ」


 翌朝、もう一度様子を見に行くと、子牛は、もう、よろよろと立ち上がり、母牛の乳を、夢中で飲んでいた。その姿は、ただ、愛おしかった。


 薬草学は、命を救うだけではない。新しい命が、この世に出てくるのを、手助けすることもできる。人の命も、牛の命も、等しく尊い。僕の知識が、その小さな命の誕生を、支えられたこと。それは、病を治すのとは、また違った、深い充足を、僕に与えてくれた。


 村には、牛や、山羊や、鶏がいる。家畜の健やかさは、村の暮らしの、土台の一つだ。僕は、人の薬だけでなく、家畜の世話についても、もっと学んでおこうと思った。次は、乳の出が悪くなった山羊のことで、相談を受けている。


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