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第29話「漁師の手」

 川漁のレフは、両手を差し出して、決まり悪そうに言った。


「みっともねえ手で、すまねえ。けど、もう、痛くて網が握れねえんだ」


 レフの手は、ひどい有り様だった。指の節という節が、ぱっくりと割れ、あかぎれになっている。手のひらは荒れてひび割れ、ところどころ、血がにじんでいた。川漁師は、一年じゅう、冷たい水に手を浸す。冬の川は、身を切るように冷たい。その水仕事が、レフの手を、こんなにも痛めつけていた。


「網も、櫂も、握るたびに、割れ目に食い込んで、飛び上がるほど痛む。けど、漁を休めば、その日の飯が食えねえ」


 手は、漁師の命だ。その手が使えなければ、暮らしが立ちゆかない。レフの困りようは、深刻だった。


 僕は、レフの手を、そっと取って調べた。乾いて、硬く、ひび割れた皮膚。冷たい水と、乾いた風に晒され続け、肌を守る脂気が、すっかり失われている。潤いを失った皮膚は、わずかな力で裂けてしまう。これを治すには、二つ。割れた傷を癒すことと、皮膚に潤いと、脂の膜を取り戻すことだ。


「まず、傷を塞ぎます」


 割れ目には、癒し草の軟膏を、ごく薄く。新しい皮膚が、内側から盛り上がってくるのを助ける。だが、これだけでは、また水仕事で、すぐに割れてしまう。肝心なのは、その上から、肌を守る盾を作ることだった。


 僕は、蜜蝋を、たっぷりと使った軟膏を練った。


 蜜蝋は、肌の上で、薄い膜になる。水を弾き、潤いを逃さない。これを、傷を癒す薬の上から、厚めに塗り重ねる。漁に出る前に、この膜で手を覆っておけば、冷たい水が、じかに肌に染み込むのを防いでくれる。羊の皮膚に濃い軟膏を擦り込んだ、あの考え方の応用だった。守りたいものに合わせて、膜の厚さを変える。


「漁から戻ったら、手をぬるま湯で温めて、よく拭いて、もう一度、この軟膏を」


 僕は、レフに、朝と晩の手入れを教えた。荒れた手は、一日では治らない。けれど、毎日、傷を癒し、膜で守り続ければ、少しずつ、肌は元の丈夫さを取り戻していく。


 幾日かして、レフが、晴れやかな顔でやってきた。


「先生、見てくれ。ほら、割れ目が、塞がってきた」


 差し出された手は、まだ荒れてはいたが、あの痛々しいあかぎれは、ずいぶん良くなっていた。指を曲げ伸ばししても、もう、飛び上がるような痛みはないという。


「これで、また網が握れる。家族に、魚を食わせてやれる」


 レフの手は、節くれだって、傷だらけだった。けれど、それは、家族を養うために、冷たい川と格闘してきた、誇り高い手だった。その手を、また働けるようにしてやれたことが、僕は、嬉しかった。


 蜜蝋の膜は、水を弾くだけではない。村の他の水仕事をする者たち――洗濯をする女たち、川で野菜を洗う者たちにも、役に立った。手を守る薬。地味だが、毎日を支える、確かな薬だった。


 人の手は、暮らしそのものを映している。荒れた手には、その人の働きが、刻まれている。僕は、村の人たちの手を見るたびに、その暮らしに、思いを馳せるようになった。次は、洗濯で手を傷める女たちのために、もっと使い心地のいい、手肌の薬を考えてみよう。


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