表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/54

第3話「ハンナ婆さん」


 翌日の昼前、ニナが約束どおり、僕を迎えに来た。


「こっちだよ。ハンナ婆さんの家、村の一番奥なんだ」


 ニナの後について、村のはずれの小道を歩く。やがて、蔦の絡んだ古い石造りの家が見えてきた。煙突から、細い煙がまっすぐ立ちのぼっている。窓辺には、見慣れない鉢植えがいくつも並んでいた。


 ──あれは、熱冷ましの根草だ。


 思わず足を止めた。手入れの行き届いた葉の色。素人の趣味ではない。


 戸を叩くと、しわがれた声が返ってきた。


「ニナかい。……知らない男の足音もするね」


 戸が開く。腰の曲がった、小柄な老婆だった。鋭い目が、僕を頭のてっぺんから爪先まで、ひと舐めに見た。


「王都のにおいがする。魔導士か。こんな辺境に、何の用だい」


「ロイ・ハーヴェンと申します。薬草を育てに来ました。あなたが元・薬師だと聞いて、お話を伺いたく――」


「ふん」


 ハンナ婆さんは、鼻で笑った。


「魔導士が薬草? 笑わせる。あんたら、魔法で傷をふさいで終わりだろう。土をいじる泥仕事を、半月もすれば放り出すよ。そういうのを、嫌というほど見てきた」


 辛辣だった。けれど、僕は怒る気にならなかった。むしろ、この人は本物だと思った。薬草を甘く見ない者だけが、その厳しさを持てる。


「魔法は、使えません。僕は魔力ゼロの、最弱ですから」


 ハンナの眉が、わずかに動いた。


「だから、土と知識でやるしかないんです。たとえば――」


 僕は、窓辺の鉢を指した。


「あの熱冷ましの根草。葉が少し黄ばんでいます。水のやりすぎです。あの草は乾いた土を好む。根が常に湿っていると、効きめのもとになる成分が薄まってしまう。掘り上げて、砂を混ぜた土に植え替えたほうがいい」


 沈黙が落ちた。


 ニナが、不安そうに僕とハンナを見比べる。


 ハンナ婆さんは、しばらく僕を睨んでいた。それから、ゆっくりと家の奥へ顎をしゃくった。


「……入りな」


 ◇


 家の中は、薬草の匂いで満ちていた。


 乾いた草、土、それから、かすかに苦い樹脂のにおい。天井からは、無数の薬草が逆さに吊るされて乾かしてある。棚には、古びた乳鉢が並んでいた。


 ハンナは、その一つを僕の前に置いた。中に、乾いた葉が数枚入っている。


「やってごらん。これが何か、どう扱うか、手で見せな」


 試されている。僕は乳鉢を引き寄せた。


 葉をひとつまみ、指の腹で確かめる。乾き具合は申し分ない。乳棒を握る。きのう開墾で潰したまめが、まだひりひりと痛んだ。けれど、手は止めない。ゆっくりと、押し回す。


 ごり、ごり、と乾いた葉が砕ける音がした。力を入れすぎると、繊維が潰れて熱を持つ。それでは香りの成分が飛んでしまう。だから、すり潰すのではなく、転がすように、優しく。


 葉が、粉になっていく。乳鉢の底から、すっと清涼な香りが立ちのぼった。


「鎮痛の薬草ですね。関節の痛みに効く。この香りが立つまで挽けば、煎じたとき、よく溶けます」


 顔を上げると、ハンナ婆さんが、目を見開いていた。


 その視線が、僕の手もとに落ちる。土で汚れ、まめの潰れた手だ。


「……その手。きのう今日で、ずいぶん土をいじったね」


「荒れ地を、開墾していました」


 ハンナは、ふっと息を吐いた。長く張りつめていたものが、ゆるむように。


「半月で放り出すと言ったね。撤回するよ。──その挽き方も、その手も、宮廷の薬師でも、ろくに持っちゃいない」


 声が、少し震えていた。


「あんた、本気で魔導薬草学をやってるのかい。あれは、もう誰も学ばない、死んだ学問だよ」


「死んでいません。少なくとも、僕の手のなかでは」


「……ハンナだ。よろしく、ロイ」


 さっきまでの棘が、すっかり消えていた。


 ◇


 帰り道、ニナが興奮した様子で言った。


「すごいよあんた! ハンナ婆さん、村の誰にもあんな顔しないのに!」


 僕は、少し笑った。


 認められた。十年、最弱と呼ばれ続けた知識と、きのう一日で潰したまめ。そのどちらもが、ここで初めて、まっすぐに評価された。魔力では、決して買えなかったものだ。


 ハンナは、別れ際に種を一袋くれた。上等な癒し草の種だ。「あんたの畑が本物か、見せてもらうよ」と、相変わらずの辛口で。


 楽しみだ。明日は、いよいよこの種を蒔こう。寝かせた畝も、ちょうど蒔きどきになる。


 僕の薬草園の、最初の一歩が始まる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ