第3話「ハンナ婆さん」
翌日の昼前、ニナが約束どおり、僕を迎えに来た。
「こっちだよ。ハンナ婆さんの家、村の一番奥なんだ」
ニナの後について、村のはずれの小道を歩く。やがて、蔦の絡んだ古い石造りの家が見えてきた。煙突から、細い煙がまっすぐ立ちのぼっている。窓辺には、見慣れない鉢植えがいくつも並んでいた。
──あれは、熱冷ましの根草だ。
思わず足を止めた。手入れの行き届いた葉の色。素人の趣味ではない。
戸を叩くと、しわがれた声が返ってきた。
「ニナかい。……知らない男の足音もするね」
戸が開く。腰の曲がった、小柄な老婆だった。鋭い目が、僕を頭のてっぺんから爪先まで、ひと舐めに見た。
「王都のにおいがする。魔導士か。こんな辺境に、何の用だい」
「ロイ・ハーヴェンと申します。薬草を育てに来ました。あなたが元・薬師だと聞いて、お話を伺いたく――」
「ふん」
ハンナ婆さんは、鼻で笑った。
「魔導士が薬草? 笑わせる。あんたら、魔法で傷をふさいで終わりだろう。土をいじる泥仕事を、半月もすれば放り出すよ。そういうのを、嫌というほど見てきた」
辛辣だった。けれど、僕は怒る気にならなかった。むしろ、この人は本物だと思った。薬草を甘く見ない者だけが、その厳しさを持てる。
「魔法は、使えません。僕は魔力ゼロの、最弱ですから」
ハンナの眉が、わずかに動いた。
「だから、土と知識でやるしかないんです。たとえば――」
僕は、窓辺の鉢を指した。
「あの熱冷ましの根草。葉が少し黄ばんでいます。水のやりすぎです。あの草は乾いた土を好む。根が常に湿っていると、効きめのもとになる成分が薄まってしまう。掘り上げて、砂を混ぜた土に植え替えたほうがいい」
沈黙が落ちた。
ニナが、不安そうに僕とハンナを見比べる。
ハンナ婆さんは、しばらく僕を睨んでいた。それから、ゆっくりと家の奥へ顎をしゃくった。
「……入りな」
◇
家の中は、薬草の匂いで満ちていた。
乾いた草、土、それから、かすかに苦い樹脂のにおい。天井からは、無数の薬草が逆さに吊るされて乾かしてある。棚には、古びた乳鉢が並んでいた。
ハンナは、その一つを僕の前に置いた。中に、乾いた葉が数枚入っている。
「やってごらん。これが何か、どう扱うか、手で見せな」
試されている。僕は乳鉢を引き寄せた。
葉をひとつまみ、指の腹で確かめる。乾き具合は申し分ない。乳棒を握る。きのう開墾で潰したまめが、まだひりひりと痛んだ。けれど、手は止めない。ゆっくりと、押し回す。
ごり、ごり、と乾いた葉が砕ける音がした。力を入れすぎると、繊維が潰れて熱を持つ。それでは香りの成分が飛んでしまう。だから、すり潰すのではなく、転がすように、優しく。
葉が、粉になっていく。乳鉢の底から、すっと清涼な香りが立ちのぼった。
「鎮痛の薬草ですね。関節の痛みに効く。この香りが立つまで挽けば、煎じたとき、よく溶けます」
顔を上げると、ハンナ婆さんが、目を見開いていた。
その視線が、僕の手もとに落ちる。土で汚れ、まめの潰れた手だ。
「……その手。きのう今日で、ずいぶん土をいじったね」
「荒れ地を、開墾していました」
ハンナは、ふっと息を吐いた。長く張りつめていたものが、ゆるむように。
「半月で放り出すと言ったね。撤回するよ。──その挽き方も、その手も、宮廷の薬師でも、ろくに持っちゃいない」
声が、少し震えていた。
「あんた、本気で魔導薬草学をやってるのかい。あれは、もう誰も学ばない、死んだ学問だよ」
「死んでいません。少なくとも、僕の手のなかでは」
「……ハンナだ。よろしく、ロイ」
さっきまでの棘が、すっかり消えていた。
◇
帰り道、ニナが興奮した様子で言った。
「すごいよあんた! ハンナ婆さん、村の誰にもあんな顔しないのに!」
僕は、少し笑った。
認められた。十年、最弱と呼ばれ続けた知識と、きのう一日で潰したまめ。そのどちらもが、ここで初めて、まっすぐに評価された。魔力では、決して買えなかったものだ。
ハンナは、別れ際に種を一袋くれた。上等な癒し草の種だ。「あんたの畑が本物か、見せてもらうよ」と、相変わらずの辛口で。
楽しみだ。明日は、いよいよこの種を蒔こう。寝かせた畝も、ちょうど蒔きどきになる。
僕の薬草園の、最初の一歩が始まる。




