第2話「荒れ地の開墾」
十日ぶりに馬車を降りると、足が地面の固さを忘れていた。
ミルドの村。王都から馬車を乗り継いで、ようやくたどり着いた辺境だ。
石を積んだだけの低い塀。傾いだ風車。畑はあるが、半分は雑草に呑まれている。寂れている、というのが正直な第一印象だった。けれど、僕の目は別のものを見ていた。
村のはずれに、誰も使っていない荒れ地がある。日当たりがよく、ゆるい斜面で水はけもいい。土の色が、濃い。これは、薬草を育てるのに悪くない土地だ。
村長を訪ね、その荒れ地を貸してほしいと頼んだ。
「あんな石ころだらけの土地を? かまわんが……何を育てる気だね」
白髪の村長は、けげんな顔をした。
「薬草です。少しずつ、畑にしていきます」
村長は、ぽかんとしていた。だが、断る理由もなかったらしい。荒れ地はその日のうちに、僕のものになった。
◇
翌朝、僕は夜明けとともに荒れ地に立った。
まず、石を拾う。これが、思っていた以上の重労働だった。
しゃがんで、土に半分埋まった石を指で掘り起こす。冷たくて湿った土が、爪の間に入りこむ。握ると、ずしりと重い。それを畑の縁へ運んで積む。また戻って、次の石を掘る。
腰が、すぐに悲鳴をあげた。
魔法が使えれば、土ごと石を吹き飛ばせるのだろう。エルマーなら、指を一振りで終わらせる。
でも、僕にはそれができない。だから、一つずつ拾う。
不思議と、嫌ではなかった。むしろ石が一つ減るたびに、土がやわらかく顔を出していく。それが、たまらなく嬉しい。
昼を過ぎる頃には、荒れ地の隅に、僕の背丈ほどの石積みができていた。振り返ると、拾った石の山が、午前中の自分の働きそのものに見えた。
◇
石を除いた土を、今度は鍬で起こす。
借り物の鍬は、刃が錆びていた。振り下ろすと、ガッ、と硬い音がして、手のひらに痺れが走る。土の下に、まだ根や小石が絡んでいるのだ。
何度も振るううちに、土がほぐれてくる。黒くて、ふかふかとした断面が現れる。そこへ顔を近づけると、雨上がりのような深い匂いがした。
──いい土だ。
指で土をすくい、握ってみる。軽く固まって、けれど押すとほろりと崩れる。水と空気の通りがいい証拠だ。この感触を、僕は書庫の文献で何度も読んだ。けれど実際に手のひらで確かめるのは、初めてだった。
文字で知っていたことが、指先の感触に変わる。その瞬間が、僕はたまらなく好きだった。
「ねえ、あんた。何してるの?」
声に振り向くと、少女が一人、立っていた。
十七歳くらいだろうか。日に焼けた頬に、好奇心いっぱいの目。村長の家のほうから来たらしい。
「土を、作っています」
「土を作る? 土はそこにあるじゃない」
「あるだけじゃ駄目なんです。薬草が根を張れるように、ほぐして、息ができるようにしてやる」
少女は、僕の手のなかの土を覗きこんだ。それから起こしたばかりの黒い畝に目をやって、小さく首をかしげた。土を「作る」という言葉が、よほど不思議だったらしい。
「ふうん。あたし、ニナ。村長のとこの孫」
「ロイです。よろしく」
ニナは、しばらく僕の作業を眺めていた。やがて思い出したように言った。
「そういえば、村に薬草に詳しいお婆さんがいるよ。ハンナ婆さん。昔、すごい薬師だったって。あんた、話してみれば?」
僕の手が、止まった。
元・薬師。この辺境に、そんな人がいるのか。
「……ぜひ、お会いしたいです」
「気難しいけどね。明日、案内したげる」
ニナはそう言って、駆けていった。
◇
日が傾くまで、僕は土を起こし続けた。
手のひらには、まめが潰れてひりひりと痛む。腰は、もう自分のものではないみたいだ。けれど目の前には、黒くやわらかな畝が一列、まっすぐ伸びていた。
たった一日で、これだけ。荒れ地が、畑になっていく。その手応えは、痛みよりもずっと大きかった。
鞄から、王都から運んできた月見草の鉢を取り出す。葉は、旅の疲れも見せず青々としていた。
「もう少しだけ、待っていてくれ」
まだ、植えるには早い。土を寝かせ、もう一度起こして、ようやく種が蒔ける。明日は残りの石を拾い、それから約束のハンナ婆さんに会いにいこう。
元・薬師が、この失伝した魔導薬草学を、どこまで知っているだろうか。
まめの痛む手を握りしめると、明日が待ち遠しくてたまらなかった。




