第1話「追放と希望」
「ロイ・ハーヴェン。きみを、王立魔術ギルドから除名する」
大広間の中央でその一言を聞いたとき、僕はまず、天井の高さに目をやった。
磨かれた大理石の柱が、ずらりと並んでいる。その柱の根もとに、苔がうっすらと張りついていた。湿気の多いこの建物に向いた苔だ。乾かして煎じれば、軽い止血薬になる。そんなことを、僕はぼんやり考えていた。
「聞いているのか、最弱の魔導士殿」
同期のエルマーがせせら笑った。彼の指先で、小さな炎がぱちぱちと躍っている。初級魔法だが、僕には一生かけても灯せない火だ。
僕の魔力量は、測定不能。正確に言えば、ゼロに限りなく近い。魔石をかざしても、針はぴくりとも動かない。十五で入門してから十年、僕はずっと「最弱」と呼ばれてきた。
「火の一つも出せない魔導士に、ギルドの席を与える余裕はない。わかるな」
ギルド長が、書類を僕のほうへ滑らせた。除名の通知だ。
僕はそれを手に取った。指先は、思ったより震えていない。自分でも少し意外だった。
「……わかりました」
ざわめきが広がった。すがりつくと思っていたのだろう。十年いた場所だ。普通なら、泣いて、許しを乞う場面なのかもしれない。
けれど、僕の頭を占めていたのは、別のことだった。
──これで、もう、誰にも止められない。
魔力がないぶん、僕はずっと書庫に通っていた。誰も読まない、埃をかぶった棚の奥。そこで僕は、失われた学問と出会った。
『魔導薬草学』。
魔力に頼らず、植物そのものの力と、魔法陣の理論を組み合わせて薬を作る、古い技術体系だ。今では誰も学ばない。魔法一発で傷を治せる時代に、わざわざ草を煎じる者などいないからだ。
ふと、思う。このギルドだって、薬は作れない。怪我をすれば、どこかの工房から治癒の魔法薬を買ってくるだけだ。誰も、自分の手では何ひとつ調合できない。
でも、僕にはそれができる。知れば知るほど、僕はその技術に夢中になった。
「荷物をまとめて、今日中に出ていけ。寮の部屋も、もう使えん」
僕は一礼して、大広間を出た。
背中に、エルマーたちの笑い声が刺さった。不思議と、痛くはなかった。
◇
寮の部屋に戻り、僕は荷造りを始めた。
服が数着。それから、書庫から書き写した手帳の束。これが僕の十年分の財産だ。
棚の上に、小さな鉢が置いてある。窓辺で育てている月見草だ。葉に触れると、ひやりと湿った感触が指に返ってきた。夜にだけ花を開く、気難しい草。けれど、その種を干して砕けば、肌の炎症を抑える軟膏になる。
僕は鉢を布でくるみ、鞄の一番上にそっと入れた。これだけは、置いていけない。
窓の外を見る。王都の空は、いつも煙でかすんでいる。
──辺境に、行こう。
書庫の地図で見た村の名を、思い出していた。ミルド。王都から馬車を乗り継いで十日。寂れた辺境の村だが、その周辺には薬草が自生する豊かな土壌が広がっているはずだった。古い文献に、そう記されていた。
誰の目もない場所で、土を耕し、薬草を育て、好きなだけ研究をして暮らす。
それは、追放された者の逃避ではない。むしろ、十年ずっと夢見てきた暮らしへの出発だった。
鞄を背負うと、思ったよりも軽かった。
◇
城門を出て、街道を歩く。
春のはじめの風が、頬を撫でていった。王都の壁を一歩離れただけで、空気の匂いが変わる。土と、若い草の匂いだ。
道ばたに、見覚えのある葉が茂っていた。立ち止まって、しゃがみこむ。
ギザギザの葉に、細かな白い毛。間違いない、癒し草だ。すり潰して傷に当てれば、膿むのを防いでくれる。誰も見向きもしない、ただの雑草。だが、使い方を知っていれば、これは立派な薬になる。
僕は一枚だけ葉を摘み、指の腹で揉んでみた。青い汁がじわりと滲み出す。鼻を近づけると、苦くて、けれどどこか清々しい香りが立った。
その香りが、肩の力を抜いていく。
──そうだ。これでいい。
魔法は、使えない。火も出せないし、傷も一瞬では治せない。
でも、僕には知識がある。手間を惜しまない覚悟もある。土を選び、水をやり、葉を乾かし、根を砕く。その地道な工程の先にしか生まれない薬が、確かにあるのだ。
それは、魔力では決して買えないものだった。
立ち上がり、摘んだ葉を手帳の間に挟む。押し葉にして、村に着いたら標本にしよう。
街道の先に、なだらかな丘が続いている。その向こうに、僕の新しい暮らしがある。
「待っていてくれ、ミルドの村」
誰にともなく、僕はそう呟いた。
足どりは、十年で一番軽かった。
まずは荒れ地を耕す道具を、どこかで手に入れなければ。それから最初に植えるのは、やはり癒し草がいい。丈夫で、育てやすくて、何より一番、人の役に立つ。
僕の、辺境での薬草ぐらしが、今、始まる。




