第26話「畑を守る薬」
その年は、虫が多かった。
夏の盛り、ヨナスじいさんが、苦い顔で畑にやってきた。あの頑固な老農夫だ。腰を治してやって以来、口は悪いが、何かと僕を頼ってくれるようになった。
「おい、薬師。野菜の葉が、虫に食われて、穴だらけだ。このままじゃ、秋の収穫が台無しになる」
畑を見に行くと、なるほど、青菜の葉という葉に、小さな穴が無数に開いていた。葉の裏には、緑色の小さな虫が、びっしりとついている。これが、葉を食い荒らしているのだ。畑の作物は、村の食卓を支える、大事な命綱だ。これを守らなければ、冬の暮らしに関わる。
「人や獣に効く薬は作ってきましたが……虫を退ける薬は、また別の話ですね」
僕は、しばらく考え込んだ。虫を、ただ殺せばいいというものではない。畑には、作物の役に立つ虫もいる。花の蜜を運ぶ蜂や、害虫を食べてくれる虫だ。それらまで殺してしまっては、かえって畑が痩せる。狙うのは、葉を食う虫だけを、遠ざけること。
ここでも、加減が肝心だった。
僕は、香りの強い薬草に目をつけた。虫の多くは、きつい匂いを嫌う。とくに、薄荷のような清涼な香りや、苦みの強い草の匂いを、虫は避ける。これを使えば、虫を殺さずとも、葉から遠ざけることができる。
香りの強い薬草を、何種類か、水に浸して、じっくりと成分を煮出した。煮詰めた汁を、さらに水で薄める。濃すぎれば、作物そのものを傷めてしまうからだ。薄荷の涼やかな香りと、苦草の匂いが立つ、緑色の液ができた。
これを、葉の表と裏に、霧のように吹きかける。
「うわ、すごい匂いだな」
ヨナスじいさんが、顔をしかめた。鼻をつくような、強い薬草の香り。人でも顔をしかめるのだから、小さな虫には、よほど耐えがたいだろう。
数日して、畑を見に行くと、効果は明らかだった。葉についていた緑の虫が、ずいぶん減っている。新しく開く葉には、もう穴が開いていない。香りを嫌った虫が、よその草へ移っていったのだ。殺さず、ただ遠ざける。それで、畑は守られた。
「ほう……虫が、寄りつかなくなった。葉が、きれいなままだ」
ヨナスじいさんが、感心したように、青菜の葉を撫でた。
「しかも、蜂は、ちゃんと飛んできてる。花の世話は、してくれてるってわけだ」
「ええ。退けたいのは、葉を食う虫だけですから。畑の役に立つ虫は、残さないと」
この虫除けの液は、雨が降ると流れてしまうから、何度か、かけ直す必要がある。手間はかかる。けれど、畑の作物に、得体の知れない強い毒を撒くよりは、ずっといい。香りで遠ざけるだけだから、その野菜を食べる人にも、害がない。
僕は、虫除けの液の作り方を、ヨナスじいさんをはじめ、村の農夫たちに教えた。畑を持つ者なら、誰でも、自分で作れる。香りの強い薬草を、煮出して、薄めて、撒く。それだけだ。
薬草の力は、人の身体を治すだけではなかった。畑を守り、作物を育て、村の食卓を支えることにも、役立つ。考えてみれば、人が健やかに暮らすには、まず、食べるものが要る。畑を守ることは、巡り巡って、村人の身体を守ることでもあった。
薬草学は、暮らしのあらゆるところに、根を伸ばしていける。人の身体、獣の身体、そして畑。学べば学ぶほど、その広がりに、引き込まれていく。次は、土そのものを豊かにする薬草はないか、調べてみよう。痩せた辺境の土を肥やせれば、もっと多くの作物が、育つはずだ。




