第25話「井戸を澄ます」
村のはずれの井戸の水が、濁ってきた、という話が持ち上がった。
その井戸は、村の北側の家々が使っている、古い井戸だった。春の雪解けの頃から、汲み上げる水が、うっすらと濁り、土くさい匂いがするようになったという。煮沸すれば飲めなくはないが、皆、どこか不安げだった。
僕は、その話を聞いて、背筋が冷たくなった。
澱んだ水、汚れた水が、おそろしい熱病を運ぶ。それは、ハンナからも、たびたび聞かされていたことだった。濁った井戸を、放っておくわけにはいかない。病が出てからでは、遅いのだ。
「井戸を、見せてください」
井戸を覗き込むと、なるほど、水面が濁り、底のほうに、泥のようなものが溜まっているのが見えた。長く使ってきた井戸の壁が崩れ、雪解け水と一緒に、土や落ち葉が流れ込んでいるらしい。
まずは、ガレオたちの力を借りて、井戸をさらえた。底に溜まった泥や、腐った落ち葉を、丁寧に汲み出す。崩れた壁を、石で組み直し、土が流れ込まないようにする。これだけでも、水はだいぶ澄んだ。
だが、それでも、汲み上げた水には、まだ細かな濁りが残っていた。目に見えない、小さな汚れだ。これを、どうにかして取り除きたい。
僕が考えたのは、水を濾す仕組みだった。
大きな桶の底に、小さな穴を開ける。その上に、まず、洗った小石を敷く。次に、粗い砂。その上に、細かい砂。そして、一番上に、砕いた炭を、厚く重ねる。濁った水を、上から注ぐと、水は、炭、細かい砂、粗い砂、小石と、順に通り抜けていく。
炭は、不思議な力を持っている。水の中の、目に見えない汚れや、匂いの元を、吸い取ってくれるのだ。砂の層は、細かなごみを、こし取る。何層も通すうちに、濁った水が、驚くほど澄んでいく。
「これは……すげえ。泥水が、こんなに透き通るのか」
濾された水を、村人が、桶に受けた。注いだときは茶色く濁っていた水が、出てくる頃には、底まで見通せるほど、澄んでいた。
ただ、目に見える濁りが取れても、まだ安心はできない。水の中には、目に見えない、病を起こすものが潜んでいることがある。だから、最後に、もう一手間。
濾した水を、必ず一度、煮沸する。ぐらぐらと煮立たせれば、病の元になるものは、死に絶える。濾して、煮る。この二つをやって、はじめて、本当に安心して飲める水になる。
「面倒に思うかもしれません。でも、この一手間が、村を病から守ります」
僕は、濾し器の作り方と、煮沸の大切さを、北側の家々に、繰り返し伝えた。澄んだ水は、ただ飲み心地がいいだけではない。あの恐ろしい熱病を、村に寄せつけない、何よりの守りなのだ。
濾し器は、村のあちこちの井戸に置かれるようになった。小石と砂と炭。どこにでもあるもので作れる、簡単な仕組みだ。けれど、それが、村の人々の命を、静かに守っている。
病は、出てから治すより、出る前に防ぐほうが、ずっといい。薬で熱を下げるのも大事だが、そもそも病が起きないようにすることは、もっと大事だ。ハンナ婆さんが言っていた。宮廷の医術でも、「疫病は、まず予防を講じるべし」と教えるのだと。
目に見える薬だけが、薬ではない。澄んだ水、清潔な暮らし。そういう、目立たない土台こそが、人々の健やかさを、根っこから支えている。僕は、村じゅうの井戸を、一つひとつ見て回ろうと思った。どこかに、また濁りかけた井戸があるかもしれない。病が芽吹く前に、摘んでおくために。




