第21話「眠れぬ夜に」
その相談は、村の織り手の女、マーサが持ってきた。
「ここのところ、夜どおし眠れないんですよ。床に就いても、目だけが冴えてしまって。明け方にうとうとする頃には、もう起きる刻限で」
マーサは、目の下に濃い隈をこしらえていた。織物は、村の大事な稼ぎだ。細かな糸を扱う仕事だから、寝不足で手元が狂えば、一日の仕事が台無しになる。本人も、それがわかっているから、よけいに「眠らねば」と焦る。焦るほどに、眠りは遠のく。
「眠れないのには、いろいろな理由があります。少し、話を聞かせてください」
僕は、すぐに薬を出さなかった。眠れないというのは、身体の不調のこともあれば、心の重さのこともある。原因を取り違えれば、薬は効かない。
話を聞くうちに、見えてきた。マーサは、半年前に連れ合いを亡くしていた。気丈に働いてはいるが、夜、一人になると、いろいろな思いが胸に押し寄せてくるのだという。眠れないのは、身体のせいだけではなかった。
強い眠り薬で、無理に意識を断つこともできる。けれど、それは違う気がした。心が起こしている波を、薬で叩いて眠らせるのは、あのハンナ婆さんの言う「番犬を眠らせる」やり方だ。マーサに必要なのは、気を失うような眠りではなく、張りつめた心が、自分でほどけていく手助けだった。
「薬ではなく、香りを使いましょう」
僕が選んだのは、心を落ち着けるいくつかの薬草だった。
まず、月見草の花。夜に咲くこの花には、ほのかに甘く、気を鎮める香りがある。それから、薄荷に似た涼やかな葉を少し。鼻の通りをよくし、頭の奥のざわつきを払う。最後に、乾かした薬草の根を、ごく少し。土のような、落ち着いた深い香りが、心を地に下ろしてくれる。
これらを、よく乾かして、細かく砕いた。砕くほどに、香りが立つ。月見草の甘さ、薄荷の涼しさ、根の深い匂い。三つが混ざり合って、不思議と懐かしいような、安らかな香りになった。
僕は、それを小さな麻の袋に詰めた。香り袋だ。枕元に置けば、眠るあいだじゅう、ほのかに香りが立ちのぼる。きつすぎない、優しい香り。眠りを強いるのではなく、眠りに誘う香りだ。
「これを、枕のそばに。それと、寝る前に、白湯をひとつ」
僕は、香り袋に添えて、温かい飲みものの作り方も教えた。心を落ち着ける薬草を、ごく薄く煎じ、蜜を溶いたもの。眠り薬ではない。ただ、身体の内側から温まると、人は自然と、眠りに向かいやすくなる。冷えた身体は、眠りを妨げるからだ。
「それから、マーサさん。眠れない夜は、無理に眠ろうとしないことです」
「眠ろうとしては、いけないんですか」
「ええ。眠らねばと思うほど、心は身構えてしまう。眠れなければ、それでもいい。香りを嗅いで、温かいものを飲んで、ただ横になっている。それだけで、身体は休まります。眠りは、追いかけると逃げるものですから」
マーサは、少し驚いたような顔をして、それから、ふっと肩の力を抜いた。
「……そうですね。わたし、眠らなきゃ、眠らなきゃって、そればっかりでした」
数日して、マーサが、礼を言いに訪ねてきた。目の下の隈は、いくらか薄くなっていた。
「あの香り、不思議ですね。嗅いでいると、亡くなった人と、穏やかに話しているような心地になるんです。それで、いつのまにか眠っていて」
マーサは、そう言って、少し涙ぐんだ。けれど、それは辛い涙ではなさそうだった。
「眠れた朝は、糸がよく見えます。仕事が、はかどって」
僕は、香り袋の作り方を、マーサに教えた。これなら、自分でも作れる。月見草も薄荷も、畑にいくらでもある。薬は、ときに、相手の手のなかで作れるようにしてやることが、一番いい。いつまでも僕を頼るのではなく、自分の手で、自分を癒せるように。
眠りは、薬で奪い取るものではない。そっと、戻ってくるのを待つもの。マーサの穏やかな顔を見て、僕は、そんなことを思った。
心の不調に効く薬を、もっと知りたくなった。失伝した魔導薬草学には、きっと、身体だけでなく、心を整える知恵も、たくさん眠っているはずだ。明日は、香りの効く薬草を、もう少し畑の隅に増やしてみよう。




