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第18話「羊飼いの困りごと」

 羊飼いのザックは、土間の隅で帽子を握りしめたまま、なかなか本題に入れずにいた。


「人の薬を、獣に使うってのは……できるもんかね」


 僕は白湯を一杯出して、ゆっくり話すよう促した。ザックの羊が、ひと月ほど前から毛の抜ける病にかかっているという。最初は一頭だったのが、今では五頭。地肌が赤くただれ、痒がって柵に身体をこすりつける。掻き壊した傷から、また別の羊にうつっていく。


「春には毛を刈って、街に売りに行く。乳もチーズにして村に回してる。このまま広がったら、群れが全部やられちまう」


 羊飼いにとって羊は、財産であり、暮らしそのものだ。村の毛織物も乳も、ザックの群れが支えている。一頭の病が、村ぜんたいの冬の蓄えに関わってくる。


「診てみないと、なんとも言えません。連れてこられますか」


 一番ひどい一頭を、ザックが縄で引いてきた。間近で見ると、ひどい有り様だった。脇腹の毛がごっそり抜け、地肌が赤黒くただれている。指でそっと触れると、熱を持っていた。炎症だ。掻き壊した傷から、じくじくと汁が滲んでいる。


 人の肌の炎症なら、月見草で冷やし、山藍で血のめぐりを助ける。だが羊の皮膚は、人のそれよりずっと厚い。表面に薬を塗っても、奥のただれまで届かなければ意味がない。


「薬の練り方を、変えてみます」


 まず山藍を湯せんにかけた。この葉は熱に弱く、煮立てると効きが飛んでしまう。だから湯の上で、じっくりと成分だけを引き出す。葉裏の紫が、湯気に溶けるように色を移していく。次に血止め草を加えた。茎を折るとねばつく透明な汁が、傷口に膜を張り、掻き壊しを抑えてくれる。


 ここからが、いつもと違うところだった。


 人に使う軟膏なら、肌になじむよう柔らかく練る。けれど羊の厚い皮膚には、それでは表面で乾いて終わってしまう。僕は蜜蝋を多めに溶かし、薬をぐっと濃く、固めに練り上げた。指で掬うと、ぽってりと重い。これくらい濃ければ、毛をかき分けて地肌に擦り込んだとき、奥までじわりと染みていく。


 ついこのあいだ、幼いメルのために薬を薄めたばかりだった。今度はその逆だ。薄めるも、濃くするも、相手の身体に合わせて加減する。薬の強さは、いつだって塗る者・飲む者に合わせて決めるものだった。


 ただ、困ったことがひとつ。


 羊の身体は大きい。脇腹も、背も、脚の付け根も。これを指で塗っていたら、一頭でも日が暮れる。五頭、いずれ群れ全部となれば、とても手が回らない。


「ガレオに、道具を頼みましょう」


 翌日、ガレオの所へ寄った。事情を話すと、彼はあごをさすって、すぐに見当をつけた。


「柄の先に、毛束をくくりつけりゃいい。刷毛だな。それで薬をひと撫でしてやれば、広い面も一気だ」


 ガレオが作ってくれたのは、短い柄の先に、柔らかな獣毛を束ねた刷毛だった。試しに薬を含ませ、羊の脇腹をひと撫でする。指でちまちま塗っていたのが嘘のように、薬がさっと広がった。毛をかき分け、地肌にまで届く。これなら一頭が、あっという間だ。


「いいですね。これなら群れ全部でも回せる」


 まずは連れてきた一頭で、効きを確かめることにした。いきなり群れ全部に塗って、もし合わなかったら、かえって被害を広げてしまう。一頭で確かめてから。それが薬を扱う者の、守るべき順番だった。


 軟膏の濃さは、一度では決まらなかった。初めの練りは少し固すぎて、毛にからんで地肌まで届きにくい。蜜蝋をわずかに減らし、二度目でちょうど良くなった。朝晩、刷毛で薬を塗る。三日も経つと、ただれの赤みが引きはじめた。痒みが和らいだのか、羊は柵に身体をこすりつけるのをやめた。五日目には、抜けた地肌に、うっすらと細かな毛が生えはじめていた。


「先生、すげえ。あいつ、すっかり落ち着いた」


 ザックの肩から、力が抜けていくのがわかった。確かな手応えを得て、僕たちは残りの四頭にも薬を塗りはじめた。ザックも刷毛の使い方を覚え、自分で塗れるようになった。これで群れに広がる前に、押さえ込める。


「礼に、刈った毛を分けるよ。今年いちばんのやつを」


「助かります。羊毛は、薬草を冬に乾かすとき、温度を保つのに使えますから」


 ザックを見送ったあと、僕は刷毛を井戸の水で洗った。獣毛のあいだに残った薬を、丁寧に揉み出す。道具は、手入れをすれば長く使える。


 人の薬が、獣にも効く。考えてみれば、当たり前のことだった。炎症は炎症、傷は傷だ。身体の大きさと皮膚の厚さに合わせて加減すれば、薬の理屈はどんな相手にも通じる。失伝した魔導薬草学は、きっとそういう広がりまで含んでいた学問だったのだろう。


 また少し、村の役に立てた。羊が無事なら、冬の毛織物も乳も守られる。小さな薬が、村の暮らしの根を支えている。そう思うと、すり減った刷毛の毛先さえ、愛おしく見えた。


 翌朝、薬草園で土をいじっていると、ニナが駆け込んできた。いつもの明るさがなく、眉を曇らせている。


「ロイさん。あのね、わたしの幼馴染のことなんだけど……ちょっと、相談に乗ってほしくて」


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