第16話「ひとめぐりの春」
ミルドに、また春が来た。
僕がこの村に来てから、ちょうど一年が経っていた。
あの日、王都を追われて、たった一つの鉢を抱えて、この辺境にたどり着いた。何もない荒れ地にしゃがんで、最初の石を拾った、あの春から。
◇
今、その荒れ地は見渡すかぎりの薬草園になっている。
雪がとけて土がゆるむと、畑のあちこちで芽が顔を出しはじめた。癒し草。山藍。温めの根。一年かけて一つずつ増やしてきた薬草たちが、春の土の匂いのなか、いっせいに緑を伸ばしていく。
畑の奥では、水車がとろとろと回って、すみずみまで水を届けている。冬を越した温室の中では、寒さに弱い草が春を待たずに青々と茂っていた。
朝、僕は薬草園をゆっくりと見回った。
土にしゃがむ。指で、芽吹いたばかりの若葉に触れる。やわらかく、瑞々しい。鼻を近づけると、いくつもの薬草の匂いが混じり合って、春の風に乗ってくる。
──ああ、いい匂いだ。
この匂いのなかにいると、心の底から満たされた気持ちになる。
◇
村は、すっかりにぎやかになっていた。
ガレオが、もう引きずらない足で、荷車に薬を積んでいる。ヨナスは楽になった腰で自分の畑を耕しながら、ときどき、こちらへ野菜を届けてくれる。トムはすっかり元気になって、ほかの子らと畑の周りを駆け回っていた。
「ロイさーん! 新しい畝、もうできたよ!」
ニナが土だらけの手を振って笑う。
一年前、僕に「土を作るって、なに?」と首をかしげた少女は、今では立派に薬草園の世話ができるようになっていた。
そして、村の奥の家からは、ハンナが杖をつきながら、ときおり、僕の調合を覗きにくる。辛口の小言を言いながら、失われた知識を、一つ、また一つと僕に授けてくれる。
◇
その夜。
僕は畑の一角へ足を運んだ。
去年、王都から運んできて、鉢からこの土へ植え替えた、月見草。その株が冬を温室で越して、今、畑に戻っている。
暗がりのなか、月の光を浴びて——白い花が、ひとつ、ふたつとひらいていた。
月見草は夜にだけ花を咲かせる。鉢のなかでは決して見せなかった、のびのびとした花だった。辺境の土に根を張って、初めて咲いた、夜の花。
僕はしばらく、その花を見つめていた。
王都で最弱と笑われた魔導士が。何もない荒れ地で、土を耕し、薬を作り、村の人とつながって。気づけば、こんなにも満ち足りている。
誰にも邪魔されず、好きな薬草の研究をして、暮らす。
たった一つ願っていたことが、この辺境でぜんぶ叶っていた。
「……来て、よかった」
月見草の花に、僕はそっとつぶやいた。
◇
それは、本当に穏やかな夜だった。
けれど。
◇
翌朝、薬草園にいた僕のもとへ、一人の男が馬を駆って駆け込んできた。
隣村の若者だった。荷車で薬を届けたとき、何度も会った顔だ。けれど、その顔は血の気が引いて真っ青だった。
「先生! た、助けてくれ!」
馬から転げ落ちるように、若者が叫んだ。
「うちの村で……北から来た病が、出ちまった! 高い熱で、何人も、倒れて……医者の薬も、ぜんぜん効かねえんだ!」
──北の、熱。
ずっと、遠くの噂だと思っていた、あの病。
それが今、隣村まで来ていた。
僕の手から、若葉の感触がすうっと消えていった。




