第14話「水を引く」
薬草園が広がってから、水やりがひと苦労になっていた。
桶を提げて、川と畑を何十往復もする。冬の水は骨まで凍みるほど冷たい。手がかじかんで感覚がなくなる頃、ようやく畑の半分が湿るくらいだ。
──川から畑へ、水がひとりでに流れてくれたら。
けれど川は、畑より少しだけ低い場所にある。水は低いほうへしか流れない。畑までどうやって持ち上げるか。それが難しかった。
◇
考えた末に、僕は水車を作ることにした。
川の流れで大きな輪を回す。輪のふちに、小さな桶をいくつも取り付けておく。輪が回れば桶が川の水をすくい上げ、てっぺんで、上に置いた樋へこぼす。あとは、その樋から畑まで、ゆるい傾きの水路をつなげば水は自分で流れていく。
ガレオと二人、川辺で水車を組み上げた。
木の羽根を、輪に並べて打ちつける。川の水音が絶え間なく響く。冷たい飛沫が頬にかかった。
さあ、と川に据えてみる。けれど水車は、ごとり、と少し回って、すぐ止まってしまった。
「羽根の、角度か……」
羽根が流れに対して寝すぎていた。これでは水の力をうまく受けられない。僕は羽根を一枚ずつ、立て気味に付け直した。
もう一度。今度は輪が、ぎい、ぎい、と回りはじめた。桶が水をすくい、てっぺんで、しゃあ、と樋へこぼす。水が水路をつうっと伝っていった。
◇
「ほう。水車かい。なつかしいねえ」
声に振り向くと、ハンナが杖をついて立っていた。村一番奥の、蔦の絡まる家から、わざわざ出てきたらしい。
「冬の川は、流れにむらがある。日によって、勢いが変わるだろう」
「はい。回ったり、止まったり、安定しなくて」
「軸に、ちいさな魔法陣を、噛ませてみな。流れのむらを、ならす程度のね」
言われて僕ははっとした。その手があった。
軸に、ごく小さな魔法陣を仕込む。流れが弱まれば、ほんの少し回転を助ける。強すぎれば、わずかに抑える。むらをならすだけ。やがて水車は、とろとろと一定の速さで回りつづけた。
ハンナは、それを目を細めて見ていた。
「……あんた、ほんとに、宮廷にいたあたしより、よっぽど薬師だよ」
◇
ぽつり、と。ハンナが昔のことを話しはじめた。
「あたしはね、若い頃、王都の宮廷薬師だったんだ」
思いがけない言葉に僕は手を止めた。
「腕は、悪くなかった。けどね、宮廷ってところは、魔力がすべてさ。強い魔法で、ぱっと傷を治す。それが、上等な薬師。あたしみたいに、草を煎じて、手間をかける者は、田舎くさいと、笑われた」
ハンナの声に、苦いものがにじんだ。
「魔導薬草学なんて、金にならん、古くさい学問だ、とね。ギルドの連中は、儲かる魔法薬ばかり、高く売りつけた。貧しい者には、手が届かない値でさ」
──都の薬は、高くて手が出ない。
隣村の老人の言葉が、ふいによみがえった。
「嫌になって、あたしは王都を捨てた。こんな辺境まで、逃げてきたのさ」
◇
ハンナは、回りつづける水車をじっと見つめた。
「だからね。あんたが来たとき、驚いたよ。魔力ゼロだと笑われて、王都を追われた若造が、よりにもよって、魔導薬草学を、本気でやってるんだから」
その目が、やわらかく潤んでいた。
「あんたの薬は、あたしが王都で作りたくて、作れなかった薬だよ。手間をかけて、貧しい者にも届く、本物の薬さ」
僕は胸がいっぱいになった。
王都で、最弱と笑われた僕。王都を、捨ててきたハンナ。捨てられた者と、捨ててきた者。けれど二人とも、この辺境で同じものを信じていた。
「ハンナさん。教えてください。あなたが王都で、作りたかった薬を」
ハンナは、ふん、と鼻を鳴らした。けれど、その口元はたしかに、笑っていた。
「……ああ。みっちり、仕込んでやるよ」
◇
水車は、今日もとろとろと回っている。
川の水が、畑のすみずみまでひとりでに流れていく。もう、凍える手で桶を運ばなくていい。
ハンナから学べることが、まだ山ほどある。失われた薬の知識が、この辺境でまた芽を吹こうとしていた。
──次は、ハンナさん直伝の薬を、作ってみよう。




