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亡蜀記  作者: コルシカ
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狄道

三十九


 皇帝が交代し、若い皇帝が即位すると政変がおきやすくなるのは、魏でもおなじであった。

 もはや司馬氏の王朝と化している魏では、大将軍の司馬師が李豊らの謀叛を事前に察知し粛清して、なんと皇帝の曹芳を廃してしまったのである。

 嘉平六年(二五四)のことである。

 あたらしい皇帝は、高貴郷候の曹髦となった。二代皇帝曹叡の弟である、曹霖の子である。

 その司馬師の所行に、義憤を抱いた者がいた。鎮東将軍の毌丘倹である。

 正元二年(二五五)に、毌丘倹は部下の文欽とはかって叛乱をおこした。

 目の上の瘤を除去したばかりの司馬師は病牀にあったが、病をおして叛乱の鎮圧にあたり、戦場で傷口がひらいてこれがもとで死ぬことになる。

 司馬師の後継は、弟の衛将軍である司馬昭となった。すぐさま大将軍に任じられ、宰相の地位に就いたので、さほどの動揺はおこらなかった。

 おなじ年、蜀では延煕十八年(二五五)である。

 軍事総督である姜維は、魏の隴西郡に侵攻した。

 費禕が亡くなってから、姜維は頭上の重しが取れたように、毎年魏への出師をおこなってきた。

 前年の延煕十七年(二五四)の六月には、督中外諸軍事を加官されて、狄道を攻めた。

 魏の狄道県長である李簡が、内応を申し出たからである。

 盪寇将軍の張嶷とともに狄道に入った姜維は、軍資を得て東進して隴西郡の郡府を包囲した。

 魏は討蜀護軍の徐質が迎撃し、激戦となった。このとき張嶷は病身であったので、身を兵車にのせて徐質の兵を多数倒したが、激戦の傷がもとで亡くなった。

 かれが長年統治してきた越嶲郡の蛮族たちは、張嶷の人となりを偲んでおおいに泣いたという。

 姜維は張嶷の仇である徐質を斬って、河関、狄道、臨洮三県の民を蜀に連れ帰り、緜竹と繁県に住まわせた。

 このたび姜維が隴西郡を攻めたのは、魏に毌丘倹の叛乱があったことに起因している。

 「魏の揚州は、しばらく動揺がおさまるまい。それなら西方の軍事は手薄になる……兵のすくない雍州を攻めれば、勝つことができる」

 姜維は雍州における東西の交通を遮断して、雍州の西部からそれより西の涼州すべてを蜀の領土にしようと画策したのである。

 「そのことは、承知しているのですが」

 と反対意見を述べたのは、征西大将軍の張翼である。

 張嶷らが亡きいま、姜維のたよりは張翼と廖化といった宿将である。

 張翼は劉備が益州を平定したとき書佐に任命され、職務への熱心さを諸葛亮に買われ、中央政府で尚書となり、都亭候に封ぜられ征西大将軍にまでのぼっている。

 衛将軍の姜維の方が張翼より軍籍は上なので、張翼はへりくだって意見をいう立場である。

 「わが国はたびかさなる出師で疲弊しており、今年は疲れをとるべきではないでしょうか」

 姜維は、病身をおして陣没した張嶷のことを思い出した。

 (張嶷の仇である徐質は斬った……張嶷も蜀の領土の拡大をねがって戦場にでたのだ)

 「いまは、わが国にとって出師する好機だ。

 こんどこそ、勝ってみせるよ」

 姜維は、張翼の意見をしりぞけた。

 姜維は張翼を従え、車騎将軍の夏侯覇をともなった。いうまでもなく、魏から蜀へ投降した将である。

 「魏の内情は、われが熟知しています。かならずや役に立ってみせますぞ」

 夏侯覇も老将といっていい年齢ではあるが、姜維に自信をもっていった。

 「はは、夏侯将軍。もう漢(蜀)からは逃れられませぬぞ」

 姜維も笑って答えた。夏侯覇は親戚の曹氏をないがしろにしている司馬氏を憎んでいる。

 張翼は、この出師の前に鎮南大将軍に位をすすめられた。

 (たしかに、わが軍は疲弊しているが勝機があるかもしれぬ……)

 張翼はきもちを切り替えて、魏の戦力を分析してそう思った。

 隴西郡の郡府は襄武にあるが、姜維はそちらにむかわず、西部の枹罕にむかった。

 魏の雍州刺史は、王経である。あざなを彦緯といい、清河出身で冀州の名士とうたわれた人物である。

 大将軍の曹爽が実権をにぎっていたとき、江夏太守となった。だが曹爽から絹が送られてきて、

 「呉と貿易して、利益をあげよ」

 と命じられると、

 「敵と商売をするなど、節をまげることはできぬ」

 と曹爽からの文書を開きもせず、官を棄てて帰郷した。

さて王経の母は、賢母である。王経から事情を聞くと、

「かってに官を棄てるとは、不忠の子ですから、杖で五十回打ち据えてください」

と王経を官吏に打ち据えさせた。

「王経の母は、みごとよな」

曹爽もこれ以上、王経を罰しようとしなかった。母の機転で王経は救われたのである。

「王経は名士ではあるものの、武に長じているわけではありません」

夏侯覇は雍州刺史が王経であることを知っているので、姜維に策をもちいれば王経に勝てる、と進言した。

「策か……」

それを聞いた姜維は自慢の知嚢で、用兵の策をねりあげた。

たしかに王経は官民に尊敬される存在ではあるが、用兵には長じていない。

蜀軍が魏の国境から侵入したという報告に接した王経は、さっそく征西大将軍の陳泰に急報した。

「姜維、夏侯覇らが、三道から祁山、石営、金城にむかいつつあり。ゆえにこちらも兵をみっつに分け、さらに涼州の軍も使いたし」

陳泰は王経からの書簡を熟読して、疑問をもった。

「蜀軍が三道から侵攻するなどなさそうではあるが……敵の策にまどわされているのではないか」

敵は稀代の策士である姜維と、魏の内情にくわしい夏侯覇である。

陳泰は王経に自重をもとめるべく、書簡をだした。

「蜀軍が三道をつかうのは、不可能です。また自軍を分けるのは各個撃破されるので、忌むべきものです。

涼州軍を州境をこえてよびだすのも、よくない。ここは東西の軍勢が合流するのをまってからすすんでください」

陳泰のもとに、続報がはいった。

「敵の兵力は数万。枹罕にむかいつつあり」

陳泰は、うめいた。

「やはり……蜀軍はひとつの道しか使っていない。東進して洮水にむかい、狄道を攻略するつもりだ」

洮水は長く幅広い川で、隴西郡をつらぬき河水にそそいでいる。洮水のほとりには狄道という大きな県があり、そこが姜維と夏侯覇の標的なのである。

「軍をすすめて、狄道に駐屯してください。私の軍と合流して戦いましょう」

陳泰は、急いで王経に使者をおくった。

(間に合えばよいが……)

長安にいる陳泰は軍を急発進させ、西進して陳倉に至った。

ところが陳倉から狄道までは、郡を何個も通過せねばならず、とおい道程となる。

今出した指示が、すぐに王経にとどくはずもない。

陳泰の懸念は、現実のものとなった。

王経は陳泰の使者が到着する前に軍をうごかし、狄道を発進してしまった。北上して故関という土地で迎撃の陣を布いた。

姜維は王経の布陣を見て、

「夏侯将軍がいうとおり、王経は凡将よ。

故関は古く、営所を築くにはもろすぎる。今回こそ魏軍をおおいに撃破できるぞ」

といいきった。

(王経には、策がない。おっとり刀で出てきただけだ)

歴戦の将となっている姜維の目には、敵軍の強弱が手に取るようにわかる。

「蜀軍が、突進してくるだと」

王経は、迷いがない姜維の軍のうごきに動揺した。故関は洮水を背後に築かれており、このままでは背水の陣となってしまう。

「どうする……」

王経が軍への指示をためらっている間に、もう蜀軍が眼前にあらわれた。

魏軍は、背後に洮水があるので不安を抱えている。王経からの指示もないので、士気もふるわない。

両軍が、激突した。

「思ったとおりだ。魏軍のうごきはかたく、士気はひくいぞ」

嘲笑した姜維は、張翼の中軍を前進させた。

「敵兵を、洮水にたたきおとしてやれ」

張翼も、用兵では姜維にひけをとらない。

当たりのよわい魏軍を、あっというまに撃破した。

ちりぢりになった魏軍の頽勢を回復させることを王経はできない。

「刺史(王経)は、船に乗ってください」

側近の将が王経を船に乗せて潰走をはじめたが、いかんせん船の数が足りない。

洮水は幅が広い川で、八月なので川の水で凍死する兵はいないが、それでも対岸まで泳ぎ切ることは不可能である。

川に追い落とされた魏兵はつぎつぎに溺れ、死者の数は一万以上に達した。

久方ぶりに蜀軍の圧勝である。

「よし、これから王経を追うぞ」

姜維は満足そうに笑い、夏侯覇もうなずいた。それに反対したのは、張翼である。

「追撃はおやめになるべきです。すすめばこの大勝利をそこなうことになりかねません」

「なぜ、そのようなことをいう。敗走する兵を追うのは兵法の常道だ」

姜維は、不審な面持ちで張翼を見やった。

張翼は、ひるまない。

「蛇に、足を描くようなことになりまねません」

張翼にすれば、洮水での大勝で姜維の遠征の目的は達せられたので、欲を出さないでほしいと言う思いがある。

「ふん。蛇に翼を描いて、龍にしてやろう」

姜維は張翼の諫言をしりぞけて、全軍を渡河させ、敗走する王経を追った。

王経はさんざんの態で、南下し狄道城に逃げ込んだ。

「報告します。雍州刺史が蜀軍に大敗しました。いまは一万の兵で狄道城に籠もっているということです」

偵探の急報を聞いた陳泰は、

「やはり、使者は間に合わなかったのか」

といい、洛陽にいる司馬昭にありのまま報告書を作成した。

陳泰がこれからなすべきは、できるだけはやく蜀軍を撃退し、狄道城に籠城する王経とその配下の兵を救出することである。

(狄道城にいる兵は一万と聞いたが……王経は三万の兵を率いていたはずだ)

二万の兵が、死傷したということを意味している現状となる。

「急がねばならぬ」

陳泰は陳倉から渭水にそって西進し、上邽にはいった。上邽は天水郡の東部であり、天水郡の郡府は冀県である。

そこに洛陽から使者が到着した。鄧艾が救援にくるという。

行安西将軍の鄧艾は、あざなを士載という。

出身は、南陽郡の棘陽県である。幼い頃父を亡くし官吏になった鄧艾は、最初曹操のもとで稲田守叢草吏という農業官吏になった。

鄧艾は貧しさの中で吏務をつとめたが、土と地形について独学し、

「軍営を設置するにはどこがよいかな……」

と考えみずから測量して地図をつくっていた。

「将軍でもない士載が、なにをばかなことをしているのか」

と同僚はからかったが、人生なにがおこるかわからない。

典農綱紀になった鄧艾は、使者として洛陽にのぼったとき、司馬懿とあった。

「みごとな農業に関する知識だ。これを軍事に転用することもできよう。わがもとにとどまってみないか」

司馬懿に才能をみとめられた鄧艾は、尚書郎に昇進した。

やがて参征西軍事となって西方に派遣され、南安郡の太守となった。

南安郡は天水郡と隴西郡のあいだにあるので、侵攻してくる蜀の姜維となんども戦った。

この戦いで戦功を立てた鄧艾は盪寇将軍となり、城陽太守にうつった。かつて他人に嗤われながらも地形を読むという独習が、鄧艾の人生を切り拓いたといえる。

「鄧艾は、姜維となんども戦っているのでたのもしい。

陳泰はいくらかの安堵をおぼえて、南安郡にむかった。

援軍の将は、鄧艾の他に胡奮と王秘がいる。

胡奮は胡遵の子である。司馬懿の遼東征伐で父子ともに従軍し、大功をたてた。

鄧艾、胡奮ともに用兵にくわしく、司馬昭とすれば万全の救援陣をおくったつもりである。

隴西郡で鄧艾と胡奮らと合流した陳泰は、さっそく郡府である襄武で軍議をひらいた。

まず発言したのは、鄧艾である。

「王経の軍は大敗し、敵軍の士気はあがっていることでしょう。

勝ちに乗じた敵にいきなり当たるのはさけたほうがいいと思います。しかもわが軍の兵は烏合の衆……こちらは要害をえらんで陣をしき、敵の疲弊をまってから救援にむかうのが上策であるとぞんじます」

たしかに魏の救援軍はいそいであつめられた兵ばかりであり、急行により疲弊している。

陳泰は、意外な思いをもって鄧艾の献策を聞いていた。

(鄧艾は、このような慎重な男であったかな……)

戦術にすぐれていると聞いていたが、平凡な策でありすぎる。

「姜維は軽兵を率いてわが国に侵入してきた。その狙いは野戦で王経を撃破することで、その目的は達したといっていい。

このままだと姜維は勢いをかって東進し、櫟陽に備蓄している穀物を奪い、羌族を招いて雍州に降伏せよとの檄を飛ばしかねない。

狄道城にはりつけになっているいまこそ、蜀軍の兵糧を断つことが先決だ。

わが軍は高所から攻め下って姜維にあたれば、戦わずして勝利を得ることができよう」

陳泰の策はあくまで積極策で、これこそ上策であるといえよう。

鄧艾は、おのれを恥じるように、目を下げて陳泰の策に同意した。

胡奮や王秘にも、反論はない。陳泰は全軍で出撃した。

襄武から狄道に行くには、南路と北路がある。南路のほうがなだらかで、早く着くことができる。

陳泰は敢然と、

「高城嶺を越える」

といった。迂回して北路を越え、姜維を急襲するのである。

八月なので山に雪はなく、高城嶺の山越えは不可能ではない。

(姜維は、南路からわれらが来ると偵探を出しているであろうから、裏をかいてやる)

陳泰の策とは、これである。

洛陽では司馬昭が、

「諸葛亮さえできなかったことを、姜維ができるはずはないが……王経が籠城している狄道城の兵糧が心配だ」

と考え、叔父の司馬孚に兵をさずけて陳泰を後援させた。

北路をすすんだ陳泰の軍は、姜維の偵探に見つからなかった。

「夜明けとともに、姜維の包囲軍を急襲してはいかがでしょう」

胡奮の献策に、陳泰は即答した。

「われらの第一の目的は、城内の将兵を救出するものである。

姜維の相手は、それからでもできよう」

陳泰は城内の将兵に援軍の到着を報せるために、烽火をあげさせ、太鼓と笛を鳴らさせた。

「救援か……」

王経をはじめ、城内で防戦に疲弊していた将兵たちの気力が復活した。

「魏軍に、救援があらわれました」

姜維は夜中に飛び起きて、狄道城が烽火に照らされ、太鼓と笛の音で活発化しているのを見た。

「敵は、北路から来たのか……」

姜維は内心狼狽したが、強気の姿勢はくずさない。

なにしろ魏軍の総兵力は把握できていないし、狄道城内から出撃する城兵にも兵をさかねばならない事態となった。

朝になって、姜維は軍をすすめた。陳泰は高所から攻めるので、心にゆとりがある。

「一気に駆け下って、蜀軍をけちらすぞ」

坂道を駆け下ってくる魏軍と、蜀軍は激突した。激戦となり、昼になっても決着はつかない。

(さすがは姜維……やるな)

陳泰は、姜維のねばりづよい戦いに敵ながら感心した。

やがて鄧艾と王秘の軍も戦闘にくわわり、一進一退の混戦となった。

「城内から、狼煙があがっています」

姜維のもとに、軍吏が駆け込んできた。

「なんだと。敵の援軍か……」

姜維はこれ以上魏軍が増えるまえに、撤退の命令をくだした。

「退くぞ。後拒はわれがおこなう」

姜維自身が殿軍をひきいて、蜀軍の旗は後退しはじめた。

「よし。がまんくらべに勝ったぞ。太鼓を打ち鳴らせ。姜維を追撃する」

陳泰は、熾烈に本陣を前進させた。鄧艾と王秘も側面攻撃をおこなったため、蜀軍は退却におおきな被害をだした。

狄道城の包囲は、解かれた。

陳泰には、気になることがある。なぜ城内から戦闘中に狼煙があがったのか。

あれは、援軍到着の狼煙である。陳泰たちは前夜にすでに到着している。

城内の将兵をねぎらった陳泰は、王経に狼煙の理由を訊いた。

「あれは、涼州刺史からの援軍です。涼州軍が金城を発して、沃干阪に到着したとのことです。もう、雍州にはいっているかもしれません」

陳泰は、わずかに不機嫌な顔をした。

さきに王経には狄道で待って陳泰らと合流して戦うように命じたのに、城を出て大敗した。また涼州の軍をよぶまでもない、といいふくめておいたのに、涼州に救援をもとめている。

(王経は無能ではないが、軍事にはむいていないな)

陳泰は、心中で断定した。

一方の蜀軍は、急速に南方に退いている。

姜維が軍をとめたのは、鐘題という土地である。ここも洮水のほとりであり、狄道からは八十里は離れている。

「姜維は、兵糧を長期間用意していまい。冬になれば雪で帰路がふさがれるので、それまでに漢中にひきあげるであろう」

蜀軍を追撃していた陳泰は、そこで狄道に引き返した。

「そのまえに、姜維が逆襲しないともかぎらぬしな……」

陳泰は、念のため狄道城を補修した。

そして上邽までもどって、蜀軍のうごきを監視するために駐屯した。

しかし、陳泰の予想は外れたのである。

「蜀軍は、鐘題に駐屯したまま越冬するようすです」

偵探から報告をうけた陳泰は、苦笑した。

「諸葛亮の輸送兵器……木牛とか流馬とかいったかな。あれを運用しているのだろう」

死んでもわれらは、諸葛亮の影におびえねばならぬ、と陳泰は諦観した。

春になると、姜維は洮水での大勝の功績をみとめられて、大将軍に任じられた。

群臣の最高位に、立ったことになる。

「どうか。蛇足ではなかったであろう」

姜維は、張翼にいった。しかし張翼とすれば、陳泰と戦わなければ軍資をむだに消費しなかったであろうという思いはある。

「われが大将軍になったからには、ふたたび魏軍を撃破し要地を占拠せねばならぬ」

姜維はにぎりこぶしをかためていった。

「鎮西将軍(胡済)と上邽で合流し、陳泰を攻める」

姜維の策とは、これである。

(また策か……)

張翼は、姜維が才能を空回りさせているような気がしてならない。

漢中の守備も兼ねている胡済が軍を出し、南から上邽に迫り、姜維は西から上邽にちかづくというものである。

春が過ぎ、夏になってようやく、

「そのようにしてもかまわぬ」

と劉禅から許可がとどいた。

劉禅と黄皓は、すこしでも兵を休ませたかったので、返答を遅らせたのである。

「これでいい。夏が終われば、上邽を攻めてやる」

滞陣にあきた姜維は、はつらつとした声を出した。

一方の魏の陣営では、姜維がふたたび軍を出すとは思っていない。

「さすがに連年の出兵で、姜維もおとなしくしているでしょう」

と陳泰の側近も憶測している。

(そうかな……)

姜維は、大将軍になったと聞く。それならふたたび兵を出すことにさからうことができる者は蜀にはいない、と陳泰は油断していない。

そうこうするうちに、魏の人事が変更された。王経は更迭され、陳泰は中央に召されて尚書右僕射になったので、西方の守りは鄧艾にまかされることになった。

鄧艾も昇進し、安西将軍、仮節領護東羌校尉となった。

鄧艾も陳泰とおなじく、姜維の好戦癖を知悉している。

「洮西での敗戦は、小さなものではない。

軍は大破され、将は殺害され、食料庫は空荷なり、百姓は流浪し、いまが存亡の危機であることにちがいはない。

わが軍の実態は虚弱であり、蜀軍は練度が高く、武器もすぐれている。

それにひきかえ、わが軍は将兵ともに交代したばかりで軍務になじまず、武器も貧弱だ」

鄧艾は、じっさいに姜維と矛を合わせてみて、そのてごわさに、

(わが生涯の好敵手よ)

とのてごたえを感じている。自軍と蜀軍をくらべてみても、蜀軍にまさるのは数だけである。

「ゆえに、姜維はかならずふたたび魏を攻める」

と断言した。

諸将は姜維が鐘題から撤退して益州にひきあげたと思っていたが、姜維は七月に天水郡の祁山にむけて軍をうごかした。

「姜維は、益州にもどったのではなかったのか」

「おそろしいまでの執念よ……」

魏の諸将は意表を衝かれたが、

「こうなるのは予想していたよ」

と鄧艾だけは狼狽しなかった。

「祁山には、すでに刈り取りができるまでに成長した麦がある。姜維は、それを奪おうとするであろう」

と鄧艾は軍備を厚くして、蜀軍をまちかまえていた。

「敵が軍をおいているというのは、ほんとうか」

姜維も敵将の鄧艾を、

(あなどれぬ敵よ……)

と知りつつある。軍を北にむけて、南安郡の董亭を通過し郡府を襲撃しようとした。

「そうくると思っていた」

鄧艾は偵探を蜀軍に尾行させており、蜀軍が北上するとみるや、武城山に布陣してその行く手をさえぎった。

「前方に魏軍あり。旗から将は鄧艾だと思われます」

姜維に、もはや迷いはない。

「鄧艾か、それでこそよ。前進して山を奪うぞ」

鄧艾は難敵だが、魏軍は蜀軍に比して弱い。

姜維は、そのようにあまく見積もっていた。しかしさきに鄧艾に訓示された軍は覚悟があり、なかなか手強い。

(やるな……)

押され気味となった蜀軍は、いったん兵を退き、そのまま夜行して東進し、上邽を襲撃しようとした。

「鎮西将軍(胡済)の軍と合流するぞ」

胡済はすでに上邽に先行しているはずなので、これだけ鄧艾の軍をひきつければ策に反故はない。

姜維が率いているのは、鎧など装備の少ない軽兵なので、うごきははやい。

胡済には上邽城を攻略するため、攻城兵器を携行させている。

鄧艾は翌朝、姜維が兵を移動させた事を知り、

「われらは、このまま姜維を追尾するぞ」

とすばやく軍をうごかした。

姜維はおのれの軍のはやさと、攻城兵器を携行している胡済の軍のはやさを計算しきれていなかった。

「胡済は、まだ到着していないのか」

急速に鄧艾から距離を詰められている姜維は、おもわず軍吏に訊いた。

「鎮西将軍の軍は、見あたりません」

偵探の報告を受け、うしろをふりかえった姜維は、鄧艾の軍に追いつかれたことを知った。

「こうなれば、戦うしかない」

決意をかためた姜維は軍頭を返して、段谷という土地で鄧艾の軍と激突した。

胡済の軍と連携して戦うという策がやぶれたいま、強い蜀軍の士気は下がっていたというほかない。

鄧艾軍にさんざんにたたかれて、姜維軍は四分五裂した。

魏軍の攻勢により、蜀兵の多くが戦死して追撃をうけた。

段谷の戦いは、蜀軍の大敗である。

敗死した兵のなかには隴西郡の諸族の兵がふくまれていて、せっかく蜀に心を寄せていたかれらの肉親たちは、

「こたびの大敗は、大将軍のせいだ」

と離反する者もおおかった。

せっかく長年隴西郡に出師して、諸族の信頼を得てきた姜維は、この失策による大敗でおおきな信頼を失った。

これから隴西郡を攻めるときには、かれらの協力は得られないであろう。

失意の帰還をして劉禅に復命した姜維は、諸葛亮が街亭で敗北したときの例にならって、

「私の官位をおとしてください」

と慚愧にまみれた。

大将軍だった姜維は、後将軍、行大将軍事に降格された。

段谷での敗北は、胡済のせいでもあるが、

「鎮西将軍(胡済)に罪はない」

と姜維は、胡済を攻めなかった。

(さきの諸葛恪の戦といい、こんかいの胡済との連携といい、他人に戦をゆだねたわれが悪かった)

姜維の心中は、そういうものであった。

張翼は、

(やはり狄道の勝利から戦をひきずったことから、蛇足になった)

と悔やんだ。

姜維もそのことを自覚したであろうが、じぶんにからい評価をしてくる張翼を遠ざけることはしなかった。

張翼も姜維を批判しながら、

(姜維の蜀を思うこころは、忠武候に劣らぬものがある)

と姜維から生涯離れなかった。

姜維はそれでも、魏の隙があれば出師して汚名をすすぎたい、とじりじりしている。

朝廷でも、敗戦により空気は重い。

黄皓が眉をひそめて、

「後将軍(姜維)は、戦いに取り憑かれております。かれの実績はおおきいとはいえ、元帥の地位を交代させた方がよろしいのではないでしょうか……」

と劉禅に進言した。

「ふむ……しかし、後将軍のほかにだれがわが軍をまとめられるかな」

劉禅は、費禕が亡くなってから連年大兵をうごかす姜維に辟易している。

「右大将軍(閻于)はいかがでしょう」

「閻于か……」

閻于は黄皓や諸葛瞻にもちかく、劉禅の意向を汲んで、数万の兵をうごかさず屯田などに力を入れてくれるであろう。

「能力で、後将軍におよぶものはいない。国家の疲弊を顧みてくれるならば、しばらくこのままでようすを見よう」

劉禅は、まだ朝廷内でも諸葛亮を崇拝している者がおおくいることを知っている。

(益州をなるべく無傷のまま、魏に返上したい。無辜の民を殺すのは好まぬ)

劉禅の本心とは、これであった。


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