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第一話 蕨が東京になった日

 二〇二六年九月。


 東京駅の東海道・山陽新幹線ホームでは、今日も大勢の人が行き交っていた。


 大きなキャリーケースを引く家族連れ、スマートフォンを見ながら足早に歩く会社員、ホームの端で列車を待つ外国人観光客。発車時刻を知らせる放送が流れるたびに人の列が動き、降りてきた乗客と、これから乗り込む乗客が入り混じっている。


 その頭上にある発車案内には、新大阪や博多といった見慣れた行き先に混じって、もう一つの文字が表示されていた。


 蕨。


 東京駅を終点とせず、そのまま北へ向かう新幹線が走るようになって、もう随分と経つ。


 新大阪から名古屋、新横浜、品川、東京を経て蕨へ。


 開業した頃こそ、東京駅のホームに表示された「蕨」の二文字を珍しがって写真を撮る人も多かったが、今ではわざわざ足を止める者もほとんどいない。


 蕨へ向かう乗客は発車時刻を確かめ、いつものように列へ並ぶ。隣では出張帰りらしい男が電話を掛け、少し離れたところでは、子供がホームへ滑り込んできた列車を指差していた。


 誰も行き先を不思議には思わない。


 それほど、蕨という都市の存在は当たり前になっていた。


 しかし、百五十年ほど前の蕨を知る人間がこの光景を見たら、何の冗談だと思うだろう。


 かつての蕨は、中山道で江戸日本橋から二番目に置かれた、小さな宿場町だった。


 江戸を出た旅人が板橋宿を過ぎ、さらに北へ向かうと蕨宿にたどり着く。旅籠や商家が軒を連ね、馬や荷車が行き交っていたとはいえ、周辺には岩槻のような城下町もあれば、浦和や大宮にもそれぞれの商いや暮らしがあった。


 当時の人々に、百五十年後には蕨が五百万人を超える都市になると話しても、まともに取り合ってもらえなかったに違いない。


 ところが、現在の蕨は違う。


 東京都蕨区。


 東京二十三区に続く、二十四番目の特別区。


 人口、約五百十二万人。


 長い年月をかけて周辺地域を取り込みながら成長した蕨は、かつての宿場町とは比較にならないほど広い地域を占め、東京北部を代表する巨大都市になっていた。


 蕨駅周辺には高層ビルが立ち並び、朝夕には駅へ向かう人々の波が途切れることはない。東京方面へ通勤する者がいれば、反対に都心から蕨へ働きに来る者もいる。巨大な駅の構内では、いくつもの路線から降りてきた乗客が行き先ごとに分かれ、地下鉄や私鉄のホームへ吸い込まれていった。


 駅を離れれば企業の本社や商業施設が並び、その間をバスや車が絶え間なく走っている。新幹線だけでなく、成田空港へ向かう直通列車もあり、近年では品川を起点とするリニア中央新幹線を蕨まで延ばす構想まで持ち上がっていた。


 東京北部最大の副都心。


 そんな呼び方をされても、今の蕨を知る人間なら、特に大げさだとは思わないだろう。


 それほど、この町は大きくなっていた。


 しかし、不思議なことに、これだけの巨大都市になっても、蕨には昔の姿が残っている場所が少なくなかった。


 駅前の大通りから一本外れ、中山道の方へ歩いていけば、高層マンションの陰から突然、古い商家のような建物が顔を出す。車が一台通れるかどうかという細い道が残り、近代的なビルの間には小さな祠まである。


 その先には、どう考えても自動車が走ることなど想定していなかった時代の、曲がりくねった路地が続いていた。


 昔から続く店の隣に新しい飲食店が入り、その向かいには高層マンションが建っている。昼間は会社員であふれる通りなのに、夕方になると近所の年寄りが店先へ椅子を出し、顔なじみと世間話をしていることもあった。


 蕨は、古い町をすべて壊して新しくなったわけではない。


 宿場町だった頃の道筋を残したまま、その周りに新しい建物が増え、さらに大きな道路や鉄道が造られた。時代が変わるたびに少しずつ姿を変えながら、昔の蕨の上へ新しい蕨を積み重ねてきたのである。


 土地の事情も複雑だった。


 駅から少し歩けば、周囲の建物とは不釣り合いなほど古い物件が残っている。すぐ隣には立派なビルが建っているのに、信じられないほど安い家賃で昔から商売を続けている店もあった。


 なぜ、こんな場所に古い建物が残っているのか。


 聞く相手によって答えは違う。


 昔からの持ち主が手放さなかったという者もいれば、土地の権利が複雑になっているからだという者もいる。道路を造る時に揉めたとか、県庁があった頃からの話だとか、東京へ編入される時に何かあったらしいと話す者までいた。


 どの話も、それなりに本当らしく聞こえる。しかし、いつ誰が何を決め、どうして今の形になったのかまで説明できる人間は、ほとんどいなかった。


 蕨には、そんな話が妙に多い。


 そして、その中でも一番大きな疑問がある。


 なぜ、蕨だったのか。


 浦和でも大宮でもなく、川口でもない。中山道沿いにあった、あの小さな宿場町が、なぜ五百万人を超える巨大都市になり、最後には東京二十四番目の特別区となったのか。


 その始まりをたどると、明治の初めに行き着く。


 江戸幕府がなくなり、藩が廃止され、新しい県が置かれた時代。蕨の周辺でも、それまでの仕組みが大きく変わり始めていた。


 明治四年、埼玉県が成立した際、県庁は当初岩槻に置かれる予定だった。しかし、庁舎などの事情から実際には浦和の旧庁舎が使われることになり、県庁を迎えようとしていた蕨の望みは実らなかった。


 最初の誘致は失敗に終わったのである。


 ところが、蕨はそれで諦めなかった。


 数年後、県の行政を見直す動きが起こる中で、県庁所在地を巡る話が再び持ち上がり、今度は蕨が選ばれた。


 浦和に置かれていた県庁が、蕨へ移されたのである。


 一度は失敗した小さな宿場町が、数年後には県庁所在地を奪い取ってしまった。


 当然、簡単な話ではなかったはずだ。


 県庁が置かれれば役人が集まり、仕事が生まれ、人や金の流れも変わる。歓迎する者がいれば、面白く思わない者もいただろう。それまで利益を得ていた商人や土地を持つ人々にとっては、県庁の移転が自分たちの商売や暮らしを左右することにもなる。


 それでも県庁は蕨へ移り、町は大きく変わり始めた。


 役所を中心に人が集まり、商いが増え、やがて鉄道や道路の整備も進んだ。周辺の町や村との結びつきが強まるにつれ、かつての宿場町は県庁所在地として発展を続けていった。


 ところが、それから数十年後。


 **蕨は、苦労して手に入れた県庁を、自ら手放すことになる。**


 東京の都市圏が北へ広がり、蕨と東京との結びつきが強まる中で、県庁所在地として残るよりも、東京へ編入された方が町の将来につながると考える人々が現れたのである。


 もちろん、反対する者もいた。


 長い年月をかけて築いてきた県庁所在地としての地位を、簡単に手放してよいはずがない。県庁が移れば仕事を失う者もいれば、それまで町の発展を支えてきた商人たちの利害も変わる。


 それでも、最終的に蕨は東京へ編入される道を選んだ。


 かつて浦和から奪い取った県庁は再び浦和へ戻り、蕨は東京の一部となった。その後、東京都の成立と戦後の行政再編を経て、二十四番目の特別区として新たな歴史を歩み始める。


 県庁を欲しがり、一度は失敗し、数年後に奪い取り、最後には自分たちから手放した。


 その間に何があったのか。


 学校の教科書を開けば、行政改革や交通の発達、周辺地域との合併といった説明が年代順に並んでいる。試験であれば、それを覚えておけば十分だった。


 しかし、その決定に至るまで、人々がどんな話をしていたのかまでは分からない。


 浦和や岩槻の人々は、何を考えていたのだろう。


 東京の役人たちは、どう判断したのだろう。


 そして、蕨に暮らす人々は、町が変わっていくことをどう受け止めていたのだろうか。


 歴史に名前を残した政治家や役人、有力な商人たちの記録なら、今でもそれなりに残っている。


 だが、その時代を生きていた普通の人間が何を考え、誰と話し、どこで酒を飲んでいたのかまで、歴史書に書かれているわけではない。


 朝になれば店を開け、客が来れば飯を出し、荷が届けば運ぶ。仕事が終われば知り合いと酒を飲み、明日のことを少しだけ考える。


 そんな当たり前の毎日の中で交わされた何気ない一言が、思いもよらないところへつながったこともあったかもしれない。


 もちろん、当時の人々は自分たちが百五十年後の町を変えるなどとは考えていなかっただろう。


 ただ、現在の蕨には、その時代から続いている一族がいる。


 政治家の家ではないし、大企業を興した一族でもない。今も広大な土地を持つ地主というわけでもなかった。


 江戸の終わりから明治にかけて、宿場で暮らす人々の身体を診ていた者がいた。


 腰を痛めた旅人が来れば揉み、肩が上がらない者がいれば動きを確かめ、必要なら灸を据える。時代が変わり、施術の方法や呼び方が変わっても、その一族は不思議と身体に関わる仕事を続けてきた。


 その子孫の一人が、今も蕨駅から歩いて二分ほどの場所で整体院を営んでいる。


 五十歳で、資格は鍼灸師。


 三十年以上続けてきた仕事の中心は整体だった。


 酒が好きで、仕事が終われば飲みに行く。それも、かなり飲む。


 蕨で生まれ育ち、この町が好きなくせに、どうして蕨がこんな巨大都市になったのかと詳しく聞かれても、まともに答えられる自信はなかった。


 県庁があったことくらいは知っている。


 昔は浦和に負けたのに、後から県庁を奪い取り、最後には東京になるため手放した。学校で習った覚えはあるが、それが自分の生活とどう関係するのかなど、考えたこともなかった。


 本人にとっては、百五十年前の県庁所在地がどこだったかより、今日の仕事が何時に終わるかの方が重要だった。


 そして、仕事が終われば今度は何を飲むか考える。


 もっとも、その一族の先祖が本当に歴史と無関係だったのかどうかは、また別の話である。


 少なくとも、本人はそんなことを考えたこともなかった。


 名前は、由三。


 そして今日も、最後の客の施術がそろそろ終わろうとしていた。


***


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