5話 大、魔術師……?
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「宝物庫へは後日案内いたしましょう」
赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、ギーゼラは言った。ええ、とアルゲは答えた。
「今日はもう疲れたはずだ。早く帰ってお休みなさるのがいいと思います」
「お心遣いに感謝いたします」
アルゲがギーゼラとたわいのない話をしながら廊下を歩いていると、曲がり角から黒い人影がすっと現れた。その影は前方を一切頓着しなかったようで、そのままの勢いでアルゲとぶつかった。
「何をする!」
女の叫び声が上がった。驚いたアルゲは後ずさる。つい謝罪の言葉を述べた。
「ごめんなさい」
その人影は、黒々とした陰気で嫌な装いだった。服はゆったりとしたドレスで、普通のものと違って粗野な、一切飾り気のない服だ。黒色のドレスの縁は紫色で飾られている。それがまたこの服装を陰気なものにしていた。
ギーゼレがその女に言った。
「あなたは――宮廷魔術師殿ではないですか! あなたも不注意でしょう!」
アルゲは女を見た。眼は大きい。だがそれは彼女の美しさに寄与するものではなくて、彼女の陰気な雰囲気を決定づけているような気がする。目の下には大きなクマができていた。化粧の類はしていない。今、彼女は口を反論の準備のためかひくひくと痙攣させていた。髪の毛は紫がかった黒色で、腰下まで長く乱れながら伸びていた。
宮廷魔術師、と思う。アルゲはそういった存在を知っていた。魔術はこの世界では禁忌だ。歴史と女神の神殿がそうさせている。ごく一部の医療に関係するものと、神殿の高位聖職者が施すものとを除いては、一切禁止されている。もし隠れて使えば死刑だ。――ごく一部の例外を除けば。そして、彼女はその例外だった。
「お、お前たちこそ! わたしの道の……邪魔を、するなっ!」
魔術師は指をギーゼラに指しながら反論した。その指はさっとアルゲにも向き、止まる。
「あっ、あっ!」
魔術師は姿勢が悪い。顔を赤らめながら、震える指先でアルゲを指している。
(あら……わたしの美貌に混乱しているわ……)
思って、アルゲはさっきの衝突のお返しをしてやろうと思った。
「でも本当にごめんなさいね。痛かったに違いありませんね」
実際、痛いのは自分の方だ、とアルゲは思う。
そして、アルゲは自分を指す魔術師の指先を、三本の指でそっと優しくつまむ。震える彼女の手を、ゆったりと下へおろした。アルゲは魔術師の顔を見ながら言う。
「どうか許してくださいませ」
あ、あ、と陰気な魔術師はうまく言葉を話せない。
アルゲがつかんだ指を話すと、魔術師はさっと自分の手を胸の前で包み込んだ。アルゲの顔に見とれながら、恐れるように、さっと後ろへ後じさり、壁に背を付ける。
「お前……こうして、わたしを誑かせようとしても無駄だぞ……非はそっちにある――」
言いかけた魔術師を、ギーゼラが怒鳴りつける。
「おい! 魔術師殿、出過ぎた真似はおよしなさい! ここにいるのはダレナーハイド公爵家の一人娘、アルゲンティア殿だぞ!」
その怒声がきいたのか、魔術師は「ひい」と力なく叫んで、身を縮めた。
「よしてください、ギーゼラ殿。わたしはそんなに怒っていません。それに、偉大な魔術師殿に出会えて光栄ですらあります。彼女がこうして私にぶつかってくれなければ、わたしはきっと、彼女と会うのがもっと先のことになっていたはずです」
「あなたがそうおっしゃるなら」と言ってから、ギーゼラは女魔術師をにらみつけた
魔術師は悔しそうに顔をゆがめていたが、後ろ手に壁につけていた両手を、じりじりと体に寄せた。
「く、くそう……! 言いたい放題言いやがって……。何が貴族だよう。わたしは大魔術師だぞ」
アルゲはギーゼラを見た。
「実際その通りなのですか? わたしは魔術には疎くて」
「さあ? わたしにはわかりません。すごい……のでしょうね、たぶん」
魔術師は二人に食ってかかった。
「何が、たぶんだ! すごいに決まってるだろう! わたしの他の誰が、水晶で未来を見れる!? 砂を床にまぶして探し人を当てられる!?」
「すごい! そんなことができるんですね!」
アルゲの言葉に、魔術師は打って変わって、恥ずかしがるような顔をして口を尖らせた。
「……ま、あ」
ギーゼラはそれを横目に、深いため息を吐く。
自分の研究室に戻った宮廷の大魔術師――その自称がみんなの尊敬を集めるかどうかはたもかくとして――ヘクシアは、猫背のまま悪態をついていた。ヘクシアは姿勢が悪い。
「くそっ! 貴族ってだけで威張りやがって。わたしが悪いわけがないだろう!」
ちくしょう、とヘクシアは悪態をつき、あの男装の貴族を思い浮かべた。高い背、腰に下げた長い剣。
(あんなのに勝てるわけがない! ちくしょう!)
ヘクシアは椅子に座る。机の上には書類が束になって山積みになっている。そのいくつもの山の手前には、三つのガラス瓶があって、それぞれ木枠の固定具にぶら下げられながら、赤、黄色、青の色で鈍く光っていた。
ヘクシアは一枚出ていた紙をひったくるようにして、目の前へもってくる。そこには先日いろいろと書いた方程式があった。ヘクシアは続きを書きなぐったがすぐに紙ごと放り投げた。
「ああああ」
唸る。そして、頭を掻きむしった。あの生意気な女貴族を思えば、思考は自然と、その隣の少女へと向いた。
――あの美しさ。あの真っ白な、シミひとつない肌。長い金髪の輝き、上品な胸と腹、そして、あの……まなざし。
ヘクシアは彼女の姿を思い出して悶絶した。目から離れない。――自分は彼女に触れた。彼女の胸へ、自分の顔を……。
(あああ)と、ヘクシアは気持ちの悪いことを考えている自分に嫌気がさす。
「わたしは大魔術師だ……偉大な古代の継承者で……それが、あんな、あんな貴族に……」
言いながら、ヘクシアはあの瞬間のやわらかさを思い出す。はじめは痛いと思った。だが今にして思えば、柔らかく、心地よくて……。
「違う違う! まて、まてっ! そんなことはなくて……」
(会いたい!)
ヘクシアは心の中で叫ぶ。彼女にもう一度会いたい。あの美しい女神のような人に、もう一度会いたい。ヘクシアは神が嫌いだ。神は魔術を罰する。魔術はヘクシアの拠り所だ。それでも、ヘクシアはアルゲンティアが神によってその細部にいたるまで造形されたと思わずにはいられなかった。今やヘクシアの胸の中は彼女でいっぱいだ。
ヘクシアはこの初恋に胸を焦がされている。……そう自覚しなければならないほど追い込まれている。自分はずっと孤高で、誰からも排除されて、それでもみんなより高みにいて、孤独に偉業を成すはずだった。それが今や頭の中は他人のことでいっぱいだ。ヘクシアはとぼとぼと立ち上がり、部屋の中をうろうろする。部屋はまったく片付けられていない。暗い地下にあるこの部屋には窓もない。薄暗い部屋だ。魔法でつけられた蝋燭のぼんやりとした明かりだけがすべてだった。
ヘクシアが通路を歩くたび、左右のテーブルからはみ出た紙やら道具屋らが腰にあたってずれた。床に落ちるものもあった。それでもヘクシアは頭の中の想像以外の全てがどうでもよかった
「――ちくしょう!」
ヘクシアはぐちゃぐちゃの頭でそう叫んだ。
魔術師に光の中で生活してきたものなどいない――。女神の神殿は、魔術は古代の禁忌だという――。馬鹿らしい、と思う。神殿は、古代帝国は魔術によって人々を苦しめ、魔術によって滅んだ、という。だから魔術は闇の道だと。(くだらない!)現に人々は身体を癒すために魔術を使っているではないか。医術だとほざいたところで、実質的に何が変わるだろう!
自分は小さい時から一人だった。誰も自分を相手にはしてくれなかった。自分はさみしいとは思わなかった。こういうものだと思っていた。運よく馬鹿な貴族の一人に召し出だされて、王宮で宮廷魔術師の職を得た。これでようやく自分は光の下を歩けると思った。ここへたどり着けない、見たことのない同胞がいるのを、ヘクシアは知っている。それでも人々はヘクシアを迫害し続ける。
「魔術師よ……。お前の水晶でわたしの未来を見ておくれ」
王はヘクシアに言った。その時に、あの、蔑んだ目――。ヘクシアは王に、恥辱を耐えながら腰を折り、言った。
「未来はそう簡単に見えるものではありません。長い準備が必要です。それに……みたところで鮮明に映るものでもないので、ご期待に答えられるかどうか」
ヘクシアが言って、顔を上げたとき、王は完全にヘクシアのことを役立たずだと思っていた。そういう、目をしていた。
それでもヘクシアは何も言わなかった。いや、言えなかった。どれだけ貴族に悪態を吐こうとも、ここを追い出されて生きていけるとは思えなかったのだ。だからどれだけ苦しくとも、耐えた。
それなのに、今日、アルゲンティアは自分に優しくしてくれた……。ヘクシアはそう思わずにはいられない。




