7 しばらくお別れだね!
「今までわたしに親しくしてくださって、ありがとうございました」
アルゲは客たちに杯を掲げる。それに応じて、テーブルに座っていた二人、ギーゼラとヘクシアが杯を掲げた。ヘクシアはぎこちなく、腕が少し震えている。こういう場に慣れていないのだろう。
アルゲはヘーフェン公爵領への出発を翌日に控えた日の夕刻、二人を呼んで夕餐をすることにした。ギーゼラはともかく、ヘクシアがそこまで親しいかと言われると微妙だったが、少なくとも彼女が自分のことを好いているのは確実だろうと思われた。そして、それはギーゼラも同じことだ。
アルゲは食事を勧める二人を上座から眺めながら、先日の件を思い出す。王配は顔を歪めて、アルゲに近づいた――。自分の美貌がそうさせるのだろう。だが大方の場合、アルゲを好きになってもらった方が良い。二人はアルゲのことが好きだ。だから、上手く使える――。
アルゲはそんな考えが浮かんできたのを頭を振って忘れた。今の場にはふさわしくない考えだ。
ヘクシアがアルゲの様子を伺う。
「……今日はここへ呼んでくれてありがとう。わたし、こんなの初めてだよ」
ヘクシアの正面に座るギーゼラは、察せられない表情でヘクシアを見ている。それは驚きとか、場違いさとか、そういうものを含んで混ぜた顔だ。
アルゲはヘクシアへ微笑む。
「お礼なんて言わないで……わたしたちはしばらく会えないんですから、その前にあなたと会っておきたかったのよ」
「うれしい」
ヘクシアはそう言って、目の前の皿にナイフをゆっくりと下ろす。見たところ、彼女はあまり食が進んでいない。確かに――自分は彼女がよく食べる風景を想像できない。決して痩せているわけではないのだが。もしかしたら、食べるのが苦手なのかもしれない。アルゲは馬鹿なことを考えた。
ギーゼラはアルゲを見た。
「今回のお役目は、難儀でしょうか? わたしはあなたから話を聞く以外、何も耳にしておりません」
「……わかりません。ヘーフェン公が素直に遺跡を渡す可能性も無きにしも非ずだと思っています。ただ遺跡は最近になって以前より盛んに掘り出され始めたと聞いています。それだけの収入があるのでしょう。そう考えると、わたしが言って、そこをわたせと言っても、公爵様が二つ返事で了承するとは思えないのです」
ヘクシアが聞いた。
「そもそも、なぜアルゲが行かないといけないのかは、聞いたの?」
「宦官のリーリェンが言うには、古物蒐集官とういのは宝物の管理修復が主な仕事だけど、古い時代には古代遺跡からの発掘物の管理を主な仕事としていたって。だから、古代遺跡の監督もわたしの仕事だってことみたい」
ヘクシアはまだ納得していない。
「でも、最近になってからそんな仕事を見たことがない。そもそも、アルゲの職はずっと空きっぱなしだったんだ……大体、公爵の反発が予想されるなら、アルゲを行かせたってどうしようもないじゃないか」
アルゲは頷いた。もし、公爵がそれは嫌だ、と言ったら、自分はどうすればいいだろうか。
それを伝えたら、ギーゼラは渋い顔をした。
「それは難しい話です。実際、アルゲ殿には武力が持たされているわけではありませんから、交渉は失敗ということになって帰ってくることになるでしょう。しかし、王様がそれで納得するとは思えません。……いえ、するのかもしれません。王様だってそんなことは予想できているはずだ」
ギーゼラは俯いてから、アルゲを見る。
「すみません……わたしにもわからない」
「そう……」
人生なるようになる、とは誰の言葉か。誰の言葉でもないのだろう。みんなそう言う。アルゲは人生がどんどん自分の舵の効かぬ方へ流されていく気がした。
「でも、何かあったらすぐに戻ってきていいよ。それしかないし」
ヘクシアが言った。ギーゼラもそれに同調する。
「陛下も、あまり無理はさせないと思いますよ」
そうねえ、とアルゲは言いながら、給仕が皿を片付けるのを見る。
「前にも話したと思うけど……どうして、王様は今の時期に遺跡を欲しがるのかしら」
「わからない」
ヘクシアは首を振った。
「わたしみたいな人間にとって、古代遺跡は垂涎の的さ。そこにあるものには、確かに価値がある。場合によっては、遺跡から値がつけられないようなものが出ることもある。……だけど、その価値は決して金や穀物とは類が違うものだよ……無理して奪いに行くものでもない……大体、遺跡から発掘されたものは、ほとんどがそのまま王都へ来る。それが貴重なものならなおさらだ」
「確かにその通りなんだ……」
アルゲは夕餐がどんどん暗いものになっていく気がした。
「ともかく!」
アルゲは叫ぶ。二人がアルゲを見た。
「もう今日はたくさん、いろんなことを二人と話したいわ。なんでもいい、もう……明日のことは。わたしは大人しく馬車に揺られて遠くの場所へ行きましょう。故郷から遠く離れてここへきて、わたしはさらに遠くへ行きましょう!」
さ、飲んで、とアルゲは二人に促す。
アルゲはもう何杯も杯を空にした。夕日はどんどんと落ちて、窓の光は薄くなり、やがて闇が差し始めた。部屋の中の三人は時に笑い、時に嘲笑し、時に顔を真っ赤にしながらこの宴を楽しんだ。視界の端で給仕が何度も部屋を行ったり来たりする。その後姿が残像のように部屋に流れ残る。ヘクシアが大きく腕を上げて杯をこぼしたのを、いつか見た気がした。ギーゼラがうっとりした顔でこちらを眺めているのに、アルゲはいつか気が付いた。そして、ぼうっと、しながら、アルゲはふと思う。ここにいる二人とも王の配下だ。自分はここに三か月もいて、王の配下の二人に囲まれている……。自分はある意味孤独なのかもしれない。心の底で、彼女たちの真実の友情を確かめられずにいる。
夕餐は楽しく終わる。そのころにはもうすっかり夜になっていた。
アルゲは二人を見送った後、部屋に戻る。ふらつく身体を何とかしようとする。左右に介添え立つ女中に何度も身体があった。アルゲは部屋の前に来ると、扉を思い切り開け、その木枠に両手を広げてつけた。
息が荒い。今すぐにでもベッドに横になりたい。混乱した脚を引きずってひとまず鏡台に向かうと、紅潮した自分の顔が見えた。アルゲは何を思ったか引き出しから便箋をひったくると母親への手紙を書き始めた。
わたしは今日たくさん飲みました。新しい友人が二人来て、わたしの出立を応援してくれたのです。ここはひどいところです。恐ろしいところです。陰謀が渦巻いております。知っていますか、王は策謀が大好きで、その夫は美しい女官を周囲に侍らせております。今度、ヘーフェン公爵と会うことになりましょう。彼女がわたしを見て、わたしの姿と潜在的な力――つまり、実家におります母上のことです――に畏怖すればよいのに! そうすればわたしの仕事は早く片がつくはずです。ああ、王様はどうしてわたしに無理難題を押し付けるのでしょうか!
アルゲはペンが落ちるか否や、すでに眠りについていた。
宮殿の一角には小さな東屋があった。円型屋根は豪華に装飾されていた。天井から伸びる四本の柱は細い。その下にテーブルと椅子が二脚。すぐ近くには美しい風景の池があった。それを飾るために池のほとりには花と木が植えられている。冬の太陽が地面を照らし、美しい。
王は東屋の下で一人座っていた。その視線は池の方を見ている。
「それで、彼女の様子は?」
「ヘーフェン公爵のところへ行くのは嫌がっていましたが、結局は大人しくいくことにしたようです」
王の背後に佇む女が、静かに言った。
「そう! 仕事熱心でよかった。わたしの周りにはそういう人は案外珍しいのよ」
ギーゼラは何も言わない。彼女は王の廷臣である。
「お前にはアルゲンティアの世話を頼んだわね。難しい仕事だった?」
「いいえ」
「お前はよく働いてくれる……こからかもわたしの傍に居なさい。そして、彼女の傍にいなさい。それが一番いい」
ギーゼラは黙って頷いた。彼女の顔に燦然とした太陽の光は届かない。彼女の肩から上を、美しい屋根の影が覆ってしまっていた。




