5 スマートフォンをもう一度
アルゲが馬車を下りると、目の前にそれなりに大きな平屋の建物があった。煙突が一本、そこから伸びていた。ここは城内にある蒐集官配下の職人たちの作業場だった。それなりに大きい、と言っても城内の他の美しい大きな建物と比べると小さいし、野暮ったい。
アルゲを職人頭のフォタリが出迎える。
「蒐集官様、お待ちしておりました」
「うん、でも堅苦しい挨拶も接待も今はいいよ。わたしはただあなたたちが作業してる姿を見たいの」
ここへ来るのは三度目になる。一度目は初めての見学に、二度目は暇つぶしに、そして今回もまた暇つぶしに他ならない。
建物の中には、今は三人の職人がいた。建物は一方が折れた形をしていて、その折れた部分が鍛冶場になっている。一人はそこで金属を打っていた。彼女がとんかちを熱された金属に打ち付ける度に、特徴的な音が建物に響いた。
アルゲが来たにも関わらず職人たちは作業を黙々と続ける。
この中では、フォタリが一番腕が良いらしい、とアルゲは以前彼女自身から聞いていた。アルゲもそれを素直に納得できる。彼女の腕は太く、力強い。顔には、顎から鼻にかけて古傷があった。これは彼女の美しさには関係がなかったし、それどころか彼女の厳めしさを存分に引き立てていた。もちろん、それはいいことだろう。
「今は彼女は何を?」
アルゲたちの目の前では、職人の一人が自分の前に立てた壺を両の手のひらで押しこんでいるような作業を繰り返していた。
フォタリは彼女を見ながら、アルゲに答えた。
「これは王様への捧げものの一つです。その中に古代の遺物としてこれがありました。多くの遺物がそうであるように、この遺物も多くのところが壊れていましたから、今はそれを修理しているのです」
王は事あるごとに貴族たちから贈り物を捧げられる。それらの大半は宮殿内の小宝物庫に収納され、そのままずっと放置されその後一切顧みられることはないのだった。小宝物庫は、今となってはもとの宝物庫よりもずっと大きい。小、と頭につけるのもアルゲとその配下くらいのものだった。
「あと少しで終わります」と、職人が言った。彼女は壺の口、脇、そして底へと両手でしっかりと力強く撫でつけていく。
フォタリがアルゲに言う。
「もう最後の確認です。欠けたところに別のものをひっつけて、それを見事に調和させるんです。わたしがみたところ、トムタマはうまくそれをやって見せました」
心なしか、トムタマの口がにやりとした気がしたが、アルゲは彼女の背後に立っていたから、きちんと彼女の様子を伺い知ることができなかった。
「ところで、今日はどうしてここを視察する気になられたんですか?」
フォタリがアルゲに聞いた。アルゲは微笑みながら首を振る。
「先ほども言ったように、視察というほどのものではない。ただ様子を見に来たんだ。わたしはここへきてしばらくたつのに、お前たちの働きをほとんど見ていない。それが心苦しくなったんだ」
アルゲは作業場を歩き始める。フォタリをはじめ、職人たちはみんな動きやすいように男装をしていた。汚れた固い生地のズボンと、袖のない上衣、ポケットのたくさんついた前掛けを羽織っている。アルゲだけが高価な白いドレスで土間を歩くから、アルゲは自分のことながらに、少し恥ずかしくなった。
そういえば、とフォタリが背後から声をかける。
「小間使いのイルディスから聞きましたが、古代遺跡へ赴かれるとか」
「ええ、その通りよ」
フォタリは少し間を置いてから言った。
「しかしどうして蒐集官様がいかれるのでしょうか。何かすごいものが発見されたとか?」
「わからない。でも、もしその通りなら、その時はお前たちの出番ね」
フォタリは声高に笑う。
「ええ! もちろんです。このことをはじめにイルディスから聞いたとき、とうとう存分に腕が振るえるぞと思ったものです。だって、それ以外に蒐集官様がそこへいかれる理由がありませんからね」
本当にそうだろうか? フォタリは遺跡からでた遺物が出て、それをアルゲが回収しに行くと思っているようだ。イルディスから聞いたのだから、彼もまたそう思っているのかもしれない。だが実際には、公爵のところへ行き領内の権益をかすめ取ってこい、と言われているのだ。古代の遺物と言っても、たかだか遺物。さしたる価値がない。それなのに、かの公爵を刺激して一体何になるんだろうか。
フォタリたちと作業場で話すのは思いのほか楽しかった。職人たちは貴族たちとは違って実直で、心意気があった。話し方も粗野だが、同時に包み隠さないやさしさがある。それに彼女たちが目の前の作品に全身全霊で取り組んでいる姿を見るのは、こっちまで気分がよくなった。
アルゲはひとり、執務室へ戻った。今はウーレイもティコもいない。今日は彼女たちに休みを申し付けていた。それは、これからの時間のためのことだ。
アルゲは執務室を出て、隣の保管場へ向かう。手には燭台を持っている。長い蝋燭が勢いよく燃えていた。
アルゲは薄暗い室内をゆっくりと歩く。彼女の足音は、今は高く響く気がする。蝋燭の燃えるかすかな音が、今は大きく聞こえる気がする。――アルゲは机の一角に燭台を置いて、そこにあった三個の小さな壺の隙間に手を伸ばす。
その間に隠されるように置かれていたのは、いつかみたスマートフォンだった。
(これを持つと、「私」がうるさくなる気がする……)
アルゲはそれをまじまじと見る。なぜか、この姿は誰にも見られたくなかった。
「こんなものをどこで見つけたのかしら……」
アルゲはそっと呟いた。古代の遺跡から様々なものが発掘される。古い時代の家具の残骸、食器、本などだ。用途のわからないものも発掘されることがある、という。アルゲは実際そのうちのいくつかを見た。これも、そのうちに含まれていた。しかし、これは実際には他の者とは全く異なっていた。例えば木組みの複雑な機械の残骸は、用途はわからないし、完全な形も想像できないが、それが古い時代に複雑な機構の一部だったのだと何となく想像できる。アルゲ以外の人間にとって、スマートフォンはそれと同じなのだろう。
「元の世界とつながっているの?」
それは、「私」がいた世界だ。「私」はことあるごとにアルゲの中へ顔を出す。今のアルゲは元のアルゲンティアと「私」が混じりあったものだ。それでもたまに、「私」の影響が大きくなる時がある。
「どうすればいいのかな」
(どうするって? 何を?)
「……ここにいていいのかな」
(どういうこと? ここ以外にあなたの場所があるの?)
「わからない。……わからない」
言いながら、アルゲは頭をかいた。無性に苛ついて仕方がない。
「でも、どうしてだろう。悲しくて不安で仕方がないよ」
(何が悲しいの? 何にも不安に思うことなんてないのに)
「でも、わからないけど……なにがダメなんだろう……」
(あなたはいつも口先ばっかり)
「え?」
アルゲの問は、苛立ちのために大きな声になっていた。アルゲははっとしてあたりを見渡す。薄暗い部屋、いくつもの遺物と宝物が並んだ保管庫には、ぼんやりと蝋燭の炎が躍っている。影は無数にあるが、人の姿はどこにもない。
(誰を探してる……?)
「うるさい!」
アルゲは叫んだ。手にもつスマホを凝視する。じっとりと、背が汗で濡れる。空気は肌寒いくらいだというのに――。
ふと、アルゲは思いついた。
(他の人もいるのかな?)
ものがあるなら、人がいてもおかしくないはずだ。古代では異世界の人間がいたのだろうか。そんな話は聞いたことがない。しかし、アルゲが知らないだけかもしれない。ここへ来る少し前まで、アルゲはたくさんの家庭教師をつけてもらっていた。その中には古代史を教師もいた。アルゲはあらかたの古代の歴史を学んだが、深いところまで勉強したわけではない。もしかしたら、そういう文献があるのかもしれない。あるいは、時代にそぐわない機会の類が、古代において存在したという事例があるのかもしれない。でなければ、どうしてスマホが遺跡から出てくるのだろう。
(会いたいの?)
「別に」
(さみしいの?)
「別に――わからない。でも『私』はいつも不安だ。さみしくて仕方がない。常にだれかを求めている。――弱い、心!」
アルゲは吐き捨てた。立ち上がり執務室へ戻る。椅子に掛けてあったマントを手に取り、そこを後にした。廊下を歩きながらマントを羽織る。自然、眉間に力が入るのがわかった。
結局何も思いつかなかった。何か答えを探しにあそこへ行ったわけではないけれど、何か考えれば、きっと何かを思いつくと漠然に思っていた。「私」はずっと渇きを覚えている。それは過去の悲しみや、忘れてしまった喪失したものを求める心かもしれない。アルゲは何もわからない。だが、何か答えが、突然降ってくる奇跡を求めている。アルゲは心がぐちゃぐちゃになった。
「バカ者! みんなバカ者だ! どいつもこいつも」
アルゲは苛立ちながら廊下を闊歩する。彼女の足音が高く踏み鳴らされた。みんなが驚いてアルゲに道を譲った。年老いた貴族も、高位の爵位持ちも、みんなが絨毯から外れて端へよけた。
「みんないなくなっちゃえ!」
アルゲはひとりごちた。そのひそやかに発したつもりの声は、隠しきれずに廊下に響いた。しかし、アルゲは気づいていない。




