4 彼女は酒をもっと飲め、といった
ヘクシアはそれでも内心思案していた。――古代遺跡の管理を蒐集官が担うなんて聞いたことがない。
アルゲはすでに退出した。彼女が部屋を出るとき、こちらを振り返って言った。「それじゃあね」彼女がそういった時、彼女の長い薄い金の髪がこの部屋の湿気た空気に揺れた。ヘクシアはちょうど彼女の真後ろにいた。アルゲの髪の、あの揺れる感じを、ヘクシアは凝視していた。
「……王様がわたしに何をさせようっていうんだ」
ヘクシアは目の前の水晶をまじまじと見る。この美しい玉が悪意あることに使われるのは明白だった。
王は冷酷だ。残虐、とは言えないかもしれない。それでも無血の道を歩む人間ではない、とヘクシアは思う。そもそも王国では王の権力は貧弱だった。東部ではアルゲの実家が絶大な力を持つし、北部から西部にかけて強大な公爵家がいくつもある。南部は山がちで、小さな領邦が入り乱れている。この小さな領邦の領主たちも王に忠実とは言えなかった。それでも、歴代の王は彼らの支持を取りまとめて王権を維持していた。それは言い換えれば、王は彼らの支持なしではいられない、ということだ。
今の王とてそれは同じこと。アルゲは水晶玉の透明な輝きに、故郷の森の小さな池を見出した。その池のほとりに、ヘクシアが幼少期を過ごした古い小屋がある。
王は策謀を巡らせ、諸侯から権力を削いだ。当然諸侯は反発する。そのたびに、王は飴をぶら下げ自分の味方の諸侯を作り、反発した諸侯に彼らをぶつけた。ある程度はうまくいったろう。今の王が登極してしばらくのころにヘクシアは宮廷に入ったから、その時の様子を記憶している。あの頃はヘクシアも、王の策謀を恐ろしく思った。しかし時間が立てば……今になればこうも思う。王が対立諸侯を抑えるため、他の諸侯に飴を与えるのは、その場しのぎ的だとも言えるのではないか。大貴族が倒れるか屈服するかを見てしまえば、王の力を見せつけられた気になる。だが一方で別の貴族が力を持つのだ。王は確かにより多くの権力を得た。だがそれによって出る反発は、王によって引き上げられた別の貴族が抑えるのだ。
ヘクシアにとってもはやアルゲは友人だった。……おかしなことだと、自分でも思う。ただ少し話しただけなのに。
アルゲの家は王の眼の上のこぶだ。いつかは王はアルゲともども、あの公爵家を潰そうとするだろう。決して、遠くないうちに。今回の遺跡への派遣がその一手でなければいいが。もし、王の策謀の一手だとしたら、ヘクシアはどう思えばいいのだ。ヘクシアは王には逆らえない。自分は悲しく思いながら、友達が死地へ行くのを見送る……?
「さあ! 飲んで、飲んで!」
アルゲは思い切り杯を持ち上げた。口元を不自然にゆがめたギーゼラは、顔を真っ赤にしながら、瓶に入ったワインを鉢に注ぎ始めた。
「へへへ、こんな美しい、真っ赤な池は見たことがないですよ。アルゲ殿、見てください、この血よりも真っ赤な美しい……」
言いながら、ギーゼラは二本も瓶の中身をその大鉢に注いだ。大鉢はみるみる内に赤いワインで一杯になった。
アルゲは杯を飲み干して、それをテーブルに叩きつけるようにして置いた。それから、ギーゼラが並々注いだ下品な鉢を見て、大笑いした。
「あはは」と、アルゲは声を上げた。「なんて下品なの! まさかそれを飲む気なの?」
「まさか! まさか!」
ギーゼラはボウルカットの短い髪を振りながら、歯をむき出しにした。アルゲの方に鉢を寄せた。それを勢いよくするから、鉢からワインがこぼれてテーブルを汚した。
「あなたが飲むんだ! わたしがこんな馬鹿な量を飲むもんか!」
二人とももうずいぶん飲んで、酩酊している。アルゲとギーゼラは、ギーゼラに割り当てられた王宮内の部屋で一緒に飲んでいた。太陽が傾いた頃、まだ明るいころからこの宴会は始まり、今では太陽は殆ど沈み、真っ赤な夕日となって空を赤く照らしていた。窓から差し込む太陽の赤い光を顔に受けながら、アルゲとギーゼラは酒の押し付け合いを、酩酊しながら続けている。
部屋の隅で、アルゲの召使二人と、ギーゼラの小さな召使が怯えていた。
「ああ、わたしはどうすればいいんでしょうか」
ギーゼラの召使のゾフィーは、隣に立ち尽くすティコに言った。
「わたしもわかりません。アルゲ様がここまで……混乱なさるのを見るのは初めてです……なんとかしないと……」
ウーレイはその隣で渋い顔をしていた。
アルゲは今度はギーゼラの近くによって、頬を両手で触った。ギーゼラは目を丸く開けて叫ぶ。
「な、なにを!」
「うる……さい!」
アルゲはギーゼラの両の口の端に指を突っ込んで、横の思い切り引き延ばした。ギーゼラが口から息を荒く漏らす。アルゲは顔を、彼女の顔に近づけて覗き込むようにした。
「あれれ~? まだ酒が足りていない……? 目が、黄色くなってないわ」
すっかり酩酊しているギーゼラが上体を左右に揺らした。二人は異国風の座卓で飲んでいた。ギーゼラは座布団の上に倒れこんで、アルゲがそれに乗りかかるような形になった。
ゾフィーはそれを見て、慌てて二人に駆け寄った。
「ご主人様!」
ティコとウーレイも同時に駆け寄っていた。ゾフィーはアルゲに触れられない。ティコとウーレイが、主人の身体を引き離そうとする。
「無礼者!」
すっかり酔っているアルゲはその手を払いのけた。それでよくやく口から手が抜かれたギーゼラが、寝言のような声で何かを話す。
「え? なんだって!?」
アルゲは歯を見せながらにやりと笑って、片手でテーブルから空の杯を取ると、大鉢に入っていたワインをそれで掬い、ギーゼラの顔にかけてしまった。
「ああ、なんてことをなさるのですか!」
ティコが慌ててアルゲの腕をつかむウーレイが背後からアルゲを抱きしめた。
「へへ……たまには……いいじゃない」
アルゲはぼうっとしながら、誰に向けるわけでもなくそう言った。




