3 魔術師は俯いて心配し 1
馬車が宮殿の翼棟に着き、二人は建物の中へ入った。ところが、アルゲは宮廷魔術師の所在を知らない。イルディスも同様だった。
「困ったわ」
アルゲが宮殿の廊下をうろうろしていたら、向こうから見知った顔――見たくもない顔――が歩いてきた。雰囲気から、向こうはアルゲに用事があるようだった。
大宦官リーリェンだった。彼は背後に宦官二人を引き連れている。
「水晶を見つけられたのですね」
リーリェンがちらりとアルゲの背後に視線をやると、アルゲは後ろから小さな悲鳴を聞いた。この大宦官は城内の一番の嫌われ者だった。見た目は14、15の小さな少年のような顔をしているが、その目はどんよりとしていて、目の下には深い皺が刻まれていた。上下一体の袖の長い長衣を着こんで、帽子をかぶっている。
彼らは王の手先で、宮廷のあちこちで目を光らせていた。今の王に代替わりしてから、宦官の勢力は勢いを増している、とアルゲは聞いた。
「はい……しかし、肝心の魔術師殿の居場所をわたしは知らないのです」
「ああ、それならわたしがお教えできますよ。この宮殿の地下になります。後で後ろの内の一人をあなた様につけて、場所を教えて差し上げましょう」
「ありがとうございます」
アルゲが例を言うと、リーリェンは本題に入った。
「ところで、王様から命令をあづかっております」リーリェンは言ってから、アルゲをじっと見た。「ヘーフェン公爵領へ行き、同地の古代遺跡の監督を公爵家から引き受けよ、と仰せです。詳しいことは追って連絡いたします。あなた様は、近々そこへ行くことになるでしょう」
アルゲはその言葉を反芻する。リーリェンが頷いた。確か同地には古代遺跡があり、その発掘が産業になっていたはずだ。確かにそこから発掘される物品は古物といえるだろう。だがそこの発掘自体はもうずっと前から行われている、なぜ今になって自分に頼むのだろう。
アルゲは不思議に思ったが、あえて何も言わなかった。この陰気で策謀に巧みで、たくさんの黒い噂を持つ男にこれ以上関わりたくなかったのだ。
「わかりました」
「では、こいつに案内をさせましょう」
言って、リーリェンは背後の一人を手で払うようにして、アルゲの近くへ寄らせた。
アルゲはその者に誘導されて、宮殿の廊下を歩いた。宮廷魔術師の居場所は地下だった。宮殿の階段の横に、下へ続つ階段があった。
「では、わたしはここで失礼いたします」
言って、その宦官は去った。
アルゲとイルディスは階段を下りる。
「アルゲンティア様、リーリェンの噂をご存じですか?」
「ええ、何度か聞いたことがある。良いうわさは一つとして聞いたことがないけれど」
イルディスは地下へ続く階段の途中にも関わらず、声を潜めた。
「恐ろしい人間だと……みんな言います」
ありがとう、とアルゲは言った。既に扉の前についていた。扉は木製で、いかにも古い感じが出ていた。風情がある、と言えばあるだろう。階段が素っ気ないむき出しの石でできていたから、この扉がここにあることがひどく不思議な感じがする。
アルゲはイルディスから木箱を受け取った。丸く艶やかな顔の彼は、扉の方を見てから、アルゲを見た。
「じゃあ、わたしはここで帰ります」
うん、とアルゲ入った。イルディスはその言葉を聞いてから、再び扉の方を見て言った。
「この魔術師様も、良い噂を聞きません!」
そのささやき声はひどく小さかった。
アルゲはイルディスが階段の中頃まで登るのを見送ってから、扉をノックした。すぐに中から、気弱な声が聞こえてきた。
「はい、どうぞ……」
「おじゃまします」
言いながら、アルゲが中へ入ると、異様な雰囲気の部屋が目に入った。
中は思いのほか広々としていた。いや、広すぎるほどだろう。地下にもかかわらず奥行が妙にあるのだが、その奥は衝立があってよくはわからない。ただそういう感じだけがする。部屋の中は、山のような書類と、その崩れたもの、ガラス製の研究器具や何に使うのかわからない道具が乱雑に、いくつもの机の上に転がったり、そこから落ちたりしていた。
女魔術師は部屋の真ん中で机の前で立ち上がって、こちらを見ていた。何かを言おうとして、ぶつぶつと声にならない声を上げている。
アルゲが木箱をもって、机の間を縫うようにして近づくと、彼女はじっとアルゲのことを見た。
「王様からのいいつけでこれを持ってきましたわ」
言って、机の上の空いた場所にそれを下ろす。
「……ああ、どうも」
ヘクシアは木箱には見向きもせず、アルゲの顎のあたりを凝視していた。そういえば、最初に廊下でぶつかってから何度か宮殿内で彼女のことを見かけるが、最初の程の威勢はなかった。アルゲが彼女を見ても、彼女は陰気そうな態度で避けるのだった。
「水晶です」
「へ?」
「水晶の丸い玉です。王様があなたにわたせって仰せです」
「はあ……ああ! なるほど、思い出した!」
ヘクシアは急に眼を丸くして、木箱をまさぐりだした。蓋を開けて、中の布を乱暴にとると、水晶玉を持ち上げた。
「これは古い魔法の道具の一つで、わたしの魔法に必要なんだ! あなたがこれを持ってきてくれたんだね。……ありがとう」
アルゲはびっくりした。この陰気な女が人に礼を言えるとは思わなかったからだ。
「実をいうと、わたしここに来てからずっと暇だったんです。だから、これを探し回るのは、まあまあ楽しかったですよ」
嘘ではなかった。宝物庫の場所を聞いて、人を手配して、城砦近くにも行った。地下室の埃っぽいのは嫌だったが、その程度だ。
「……そう?」
ヘクシアはにやりとした。それはアルゲを馬鹿にしたのではなくて、照れ隠しなのだろう。
「どうしてこれが必要だったんですか?」
アルゲが聞くと、ヘクシアは顔に長く垂れた前髪をせわしなくいじりだした。
「ああ……え、と……気になる?」
言ってから、彼女はアルゲのことを前髪の隙間から見た。アルゲはその落ち着きのない態度に内心苦笑いしながら、彼女の期待通りの言葉をかけてやった。
「……気になります」
「へへへ」と、ヘクシアは笑って、視線をあちこちにやりながらアルゲに背を向けた。
「わたしは」言って、ヘクシアはガラス器具をアルゲの近くの机の上に置く。「偉大な魔術師なんだ。知ってた?」
そのガラス器具は下が平になった瓶で、中に透明な液体が入っている。
「わたしが望めば、わたしはこれを何色にでもできる」
言って、机の上に転がっていた植物の枯れたのを、そのガラス瓶の中へ入れた。次の瞬間、植物は一瞬で液体に溶けて、緑色、そして紫色へと中の液体の色が変わった。
「こんなものじゃないよ」
ヘクシアはそのガラス瓶を手に持って、部屋の中央へ移動した。部屋の真ん中は土間になっている。周りから一段木の階段で下がって、土間になっていた。そこに炉があり、上に大きな鍋が置いてあった。
「これは?」
へへへ、とヘクシアは笑うばかりだ。
「わたしがこれを入れたらどうなるかな?」
ヘクシアが手に持った紫色の液体を鍋に注ぎ込むと、鍋は途端に光りだした。鍋の中の液体は、摩訶不思議な色、色とりどりの渦巻き状になった。
(……これが水晶とどう関係があるの?)
アルゲは屈んで下を見たが、火はついていない。
ヘクシアがにやりとしながらこちらを見ている。アルゲは内心困惑しながら、にこりと笑んだ。それにヘクシアは顔を赤くして、俯いてしまった。




