2 地下室の水晶
アルゲは母親から手紙を受け取った。一枚の紙に書かれたその手紙は、懐かしい母親の字だった。もうここへきて三か月になる。アルゲはその時間の短さにびっくりした。
仕事はほとんどしていない。何度か執務室へ行ったが、それだけだった。それどころか、職人頭はあまりアルゲに職場に顔を出してほしくないようだった。貴族がいると面倒くさいと見える。
すでに季節は夏を終え秋の最終盤へと入っていた。
親愛なるアルゲンティアへ。こちらはすでに雪が降り始めています。今はまばらに振る程度ですが、すぐにもっとひどくなることでしょう。
わたしは夜に小さな銀の燭台を頼りにこの手紙を書いています。秋の夜の、なんて暗いことでしょうか。そちらの仕事は大したことがないと聞いています。それはそうでしょう、いったい誰が人質のあなたに重要な職を与えるのでしょうか。でもどうか落ち込まないで、その職はわたしと当家の郎党が勝ち取った大切な職です。もちろん、その途中で病死なさったあなたの父親も、その成果に多くの寄与をしました。まさかわたしが、あなたを何者でもない一人の女として遠くへやるはずもありません。
占い師が今度の冬は厳しくなると言っていましたよ。さて、どれだけ雪がつもることやら!
あなたの街でも伝え聞くことでしょうが、王家の諸侯の権力をそぐ政策は各地で緊張感を増しています。この国は我らとの戦争にかろうじて決着をつけられたとはいえ、これ以上の戦争の余力があるのでしょうか。今後さまざまな機会が公爵であるわたしのもとに舞い込むでしょうね。そんなとき、あなたがそこにいることがどれだけわたしの足かせになるか。あなたがそう思ってくれたら、あなたはきっとわたしが大層あなたのために苦労しているのだと理解してくれるはずです。
どうか健康に気を付けて。
宝物庫は城内の城砦近く、大きな塔の地下にあった。初めてアルゲがここを訪れたとき、やけに宮殿から離れているなと思った。きけば、まだこの城の規模が小さく、王国も同じように小さかったころ、この堅牢な城砦が宮廷だったのだという。宮殿ができるよりもずっと前のことである。
だからこの近くに宝物庫が設けられたという経緯があるそうだ。
「前から思ってたんだけど、ここにこんなに服があっては、王様がこれを取り寄せたいとき、やたら不便じゃないかしら?」
アルゲは丸い顔をした幼い少年に問いかける。彼はこんな顔をしていても、アルゲよりも年上らしい。
彼はイルディスという。背の特に小さな男で、古物収集官つまりアルゲ配下の下僕である。下僕は貴族が直接雇って職場にいれることもできるが、彼や他の多くのものは宮殿に雇われている。つまりは彼はアルゲの所有物ではなく、宮殿の所有物だ。
アルゲの問いに、イルディスはにこりと笑う。
「はい! ですので、ここにあるものは殆ど王様や王配様がお使いになられないものです。お二人とも、普段は宮殿内の衣装室からお召し物をお取り寄せになられるのです。ですが今でも、お二人の必要なものがここにある時は、女官様や宦官がここへ取りに来られることがあります――もっともと、例えば装飾品や宝石の類も、その多くが宮殿内の小宝物庫へ移されましたが」
小宝物庫は古物収集官の担当ではなく、宦官たちの担当だ。
塔一階の宝物庫は、部屋の空間いっぱいに収納棚が置かれ、そこに箱が置かれていた。その箱の中に豪華な服やら宝石やら、金銀の細工ものやらがたくさん入っていた。
アルゲは王の命令として大宦官から、宝物庫から水晶を取り出して、宮廷魔術師に与えよ、と伝えられていた。それは地下にある。
「では参りましょう」
イルディスは部屋の奥にあった扉を開けて、地下へ降りた。既にここへ来ることは伝えていたから、中の照明はすべてイルディスによって火がつけられている。
アルゲは地上は何度か来たことがあるが、地下は初めてだ。
地下では壁にいくつもかけられた松明がぼうっと光っていた。壁際に一つの足台がおいてあった。――この小さな体では、壁の松明をひとつ手に取ることすら難しいのだ、とアルゲは少しの同情を覚えた。地下は地上とは違い棚の類は置いていなかった。その代わり、石の床の上に木製の大小の台、下敷きがおいてあって、その上に様々な宝物が保管されていた。だが控えめにいっても綺麗に保存されているとは言い難く、どこか乱雑ともとれる印象を受けた。
アルゲはイルディスと二人で地下を歩く。地下室は広く、埃っぽい。宝物が裸で置かれておらず、木箱や布で覆われているのも原因だろう。
アルゲはイルディスに聞いた。
「こういってはなんだけど、ずいぶん汚いね」
「わたしは何も言えません。しかし……ここに置いてあるものは、それなりの用がなければ持ち出すことがありません。それは事実でしょう……」
さて、とイルディスが周りを見渡す。
「水晶がどこにあるのか、わたしにもよくわかりません。わたしも地下にはほとんど来たことがないのです」
「二人で探しましょうか」
アルゲが言って、二人は地下を捜索することにした。
アルゲは内心嫌々だった。高価そうな物を覆う木箱や布はどれも長年いじられていないようで、埃っぽくて仕方がなかった。
途中からアルゲはそれを気にしないように努めたが、最初の方は覆い布を指先、ほとんど爪のあたりで二本の指でつまみ上げていた。
アルゲが布をめくると、中から金細工の置物が出てきた。おお、とアルゲは内心で感嘆する。それは金の台座に、羽を広げたドラゴンが乗っている。台座の装飾は見事で、縁はちいさな小粒の宝石、側面には大き目の緑の宝石がいくつもはめ込まれている。ドラゴンの造形もまた見事だった。なるほど、確かに宝物だろう。
しかしどんな木箱を開け、布をめくり、台座の影に潜んだ物を見ても、どこにも水晶はなかった。
そもそもきちんと物品の管理をしているのかしら、とアルゲが考えたころ、イルディスが声を上げる。彼は部屋の端っこにいて、腰をかがめていた。
「これです! どうか見てください!」
イルディスがこちらを振り向くから、アルゲは向かう。そこには小さな木箱の中に詰められた水晶の球ががあった。木箱には紫の柔らかいクッションが詰められている。水晶自体も同じ色の布で覆われていた。アルゲが覗いたとき、その布の乱れにできた小さな隙間から水晶が覗いていたのだ。
アルゲはそこへひざまずき、覆い布をはだける。そして、水晶玉の下へ両手を入れて、それを取り上げた。
(きれいな……玉)
アルゲは水晶の玉を初めて見た。これが言われていたものだろうか、他にもっと高価な水晶の玉がありはしないだろうか、と思う。アルゲはこれが高価できれいなものだとわかりはしたが、果たしてそれほど価値のあるものだとまでは思えなかった。
(神秘的な感じはするんだけど……)
しかし本音を言えば、アルゲはここからさっさと出たかった。あるかどうかわからない水晶の玉を探してこれ以上埃まみれになるくらいなら、これで良しとした。
そもそも水晶は宝物庫に、それもこの古い方の宝物庫に入れてしまっておくほど高価なものなのだろうか。
アルゲは先に地下を出る。そのあとを箱ごと水晶を持ちながら、イルディスが追う。
塔を出ると、一面は野原だ。すぐ近くに城砦が厳然と佇んでいる。その石組の威容は、見るものを畏怖させる。城砦は砦一つと、左右に少しだけ伸びる幅広の城壁の跡と、そこから立つ尖塔によって構成されている。城壁はところどころが大きく崩れていて、一部に至っては地面まで石組みが粉々になっていた。
塔から砦まで、芝草が生い茂るばかりだった。アルゲは塔の裏手に回る。小さな少年は何も言わずにそのあとに続いた。少年が箱を持つと、大きくそれを抱え込む形になる。それが見るからに無理をしているようで、アルゲは申し訳ない気持ちになった。大きな塔をぐるっと裏手まで回り込むと、馬車が一台用意されていた。塔は、城壁にある尖塔にくらべて、ずっとずんぐりしていた。この円塔は太く、低い。アルゲはそこに登ったことはないが、下から見れば塔の先端は平場になっているようだった。塔の足元のアルゲの位置からは、太陽の光の中に、塔屋上の壁に、のこぎり型の狭間が黒くぼんやりと見えた。
アルゲたちの姿を見て、御者台で眠りこけていた家来が飛び上がった。慌てて馬車のしたくをする。アルゲが馬車までつけば、すでに扉は開けれれ階段が下ろされていた。
「では、わたしはここから宮殿まで向かいます」
イルディスが言った。
「面倒だから、あなたも一緒に来なさい」
アルゲが言うと、イルディスが首を振った。
「どうしてわたしが収集官様の馬車に乗れるでしょうか」
「わたしが面倒だから、乗りなさいと命令しているのよ、イルディス」
そこまでアルゲが言って初めて、イルディスは馬車へ乗り込んだ。




