天都先輩の事情
じりじりと照り付ける暑さが僕の体力を徐々に奪っていっていた。
学校が休みである土曜日だというのに、僕は自転車を走らせている。
つい30分ほど前までは外に出る予定なんかなく、一日中冷房が効いた部屋でダラダラダラダラして英気を養おうという算段だった。
なにやぶ。は土日には何も活動がないというのも良いところである。活動があったら学校が休みの日にわざわざ外にでないと駄目だからな。
そんな頭のなかだったのだが、いつも飲んでいるスポーツドリンクが家にないことにが判明してしまった。
だがしかし、この炎天下の中買いに行くのもなあ……でも、いつも飲んでいるものがないのは気分的にちょっと下がるなあ……でも、めんどいし麦茶とかで良いかなとかキッチンでうんうん悩んでいると、母親にエンカウントしてしまった。
悩んでいる僕を見た母親は状況を察したのか、外に出るんだったらついでに食料品の買い出しをお願いしてきたのだ。
行くって決まってなかったし、何なら行かないでおこうと思っていたのに。
件の母親は僕が了承する前に決定事項とばかりにそそくさとリビングでくつろぎ始めてしまった。
というわけで、現在は自転車を走らせているわけである。
本当に何も予定通りにいかないな……。無理やりにでも断っておけばよかっただろうか。
汗が噴き出してきてるし、暑すぎる……。これは雪だるまじゃなくても解けてしまう。
後悔し始めたところではあるが、目的地まで半分過ぎたところだったので、今更戻るのもめんどくさい。何なら母親に変な人を見る目をされるだろうから、そっちのほうが嫌である。
そして、なんとかピンク色のショッピングモールについた。最寄りの食料品売り場がここなので、ちょうど本屋とかも見たかったしちょうどいい。
中に入ると、ベストな涼しさの冷房がお出迎えしてくれた。本当に生き返る……。さっきまで死にそうだったからな。
一旦、本屋を見に行こうとエスカレーターで3階へと上がる。エレベーターは密室感と誰かと一緒に乗るのが嫌なので、極力使わない。それに閉じ込められでもしたら、心の中で号泣する自信がある。
なかなかに多い人々を眺めながら昇っていると、2階の降り口に着いたところで近くの椅子に見知った人がいた。
「……奇遇ですね。」
気まずいのでスルーしようかなと思ったが、目が合ってしまった。何も声をかけないのも変なので、懸命に頭を巡らせてそれっぽい言葉を口にした。
……こういうときの会話って難しいよな。
「……あ、川湊君。おはよう。」
天都先輩はハッとしたようにそう言って、挨拶をする。
目が合ったのに気づいていなかったのだろうか。これも僕の影が薄い故の為せる技なのかもしれない。
天都先輩はいつもの半開きの目で口元は笑っている。
表情と仕草は何の変化もないが、服装は学校のときとは違う。
学校での黒を基調とした制服から白のブラウスと薄茶色っぽいスカートという出で立ちだ。部活で会う時よりとても可愛らしく見える。
いやまあ、学校でも可愛い人だなとは思っていたが、それにより一層磨きがかかった感じだ。
「今日はどうしたんですか?」
何でこんなところで一人で座っているのだろうか。
ショッピングモールなんだし、もっと色んなところを回ればいいのに。
とはいっても、僕も特に用がないところは回らないので、座る気持ちも分からないでもないが。
「別に、一人で買い物来てるだけだよ。今は休憩中なだけ。」
端的に天都先輩は答える。
確かに、状況的にはそうとも捉えられる。ただ……
「……何かを待っている風でしたけど。」
休んでいるにしては飲み物を飲んだりスマホをいじったりしておらず、ずっと遠くの方を見ていた。
ここ最近、意味深な発言をしているのも相まって、どうしても気になってしまう。
「…………お母さんがどっか行っちゃってね。」
数秒開いたあと、淀みがない無表情で天都先輩はそう言った。
特に悲しそうな顔はしておらず、感情を失ったような顔をしている。
……ただ、僕の目にはとてつもなく深い悲しみの表情に見えた。
「どういうことですか?」
「……知りたい?深いところまで。」
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
天都先輩の目は僕をつかんで離さず、ハイライトがなくなっていた。
その黒い瞳に吸い込まれた僕は、かなしばりにあったように顔を動かすことができなかった。
「……はい。」
僕は何とか少しだけ首を縦に振る。
それしか僕には出来なかったが、それが僕の本心でもある。
「……お母さんが最近荒れててね……。」
ぽつりぽつりと天都先輩が話し始める。
「……荒れてるんですか?」
遠い目をしている天都先輩はいったいどこを見ているのだろうか。
「私たちの家族、昔は仲良かったんだ。」
「昔は……。」
「うん。私と母親と父親の3人家族だったんだけど、私が中2のとき、父親が死んじゃっちゃてね。」
思ってもみなかった話に僕は言葉を失った。
もしかしたら日本全国に目を向けるとこういう話は多々あるのかもしれないが、僕は初めて聞いた話だったので、何も言うことができなかった。
「それから、しばらくは2人で何とか暮らしてたんだけど、ある日母親が宗教にハマっちゃって……。《《そういう》》施設に行ったり、家にもグッズが増えてきて……。」
斜め下を向きながら天都先輩は話す。
「まあでも、その中でも仕事には行ってくれてたし、ご飯も作ってくれてたりしたから、全然良かったんだけどね。気分も……まあ、沈んでるときもあったけど、楽しそうなときもあったし……。」
「でもいつからか、知らない男の人が家を出入りするようになってね……。」
フッと天都先輩が自嘲気味に笑う。
なぜか僕の心臓はバクバクし始めていた。
なかなか重量がある話で、メンタルが弱い僕には耐えられる代物ではなかったからかもしれない。
少し呼吸が浅くなり、頭もボーっとしていた。
「それからかな。お母さんが分かりやすく荒れ始めたのは……。」
「今日も一緒に来てたんだけど、彼氏の人から連絡が来たみたいで、目の色を変えてどっか行ってね。私と買い物してたときより100倍くらい楽しそうだった。」
天都先輩は諦めたようにまたフッと笑む。
その表情からは全ての感情は読み取れないが、でも悲しいとか苦しいとか辛いとかそんな単純な感情ではないことは分かる。
人の感情は一言で言い表すことは難しい。
「分かります……と言っていいか分からないですけど。僕も順風満帆な人生ではなかったんで、天都先輩に比べれば少し、ですけど……。」
僕がぽつりぽつりとそう言うと、天都先輩は息を吐くようにハッと笑った。
「多分、分からないよ。私の気持ちなんて。」
その言葉が耳に入った瞬間、僕は谷底に落ちたような感じがした。
もちろん、天都先輩が言うことが正しいと思っている。
現にあまり回っていない頭で考えて、出てきた言葉はテンプレートのようなものだ。自分の本心がそこに乗っかっているかは甚だ怪しい。
「……想像はできますよ。」
でも、ここで「はい、そうです」と引き下がる気にはなれなかった。
それくらい僕の心はあなたの向いている。
「想像できても、それは結局想像の域をでないからね。完全じゃない。」
「……完全に分からないと駄目なんですか。」
天都先輩の口ぶりに少し腹が立ってしまった。
僕にそんな資格はないというのに。
「……。」
「僕の親は僕自身が辛いときもあまり助けてくれませんでした。スポーツをやっていたときも僕自身があまり上手くなれなくて、レギュラーもろくに取れず、自暴自棄になっていたときに、励ましの言葉じゃなく突き放すような物言いをしてきました。なんでそんなに出来ないんだ、と。もちろん、僕自身が悪かったのは前提ですが、それでも何か助けとなる言葉が欲しかった。」
最初は楽しくやっていたサッカーだったが、いつしか周りから置いてかれているのを自覚した。
練習に行くのも辛くなり、何なら練習がある日は朝から憂鬱な気持ちになっていた。
親からは叱責され、家にいる時間もサッカーをやっている時間も楽しいものではなくなっていた。
唯一学校だけが楽しい場所だった気がする。それも小学生までではあるが。
「……そう。」
僕の話を聞いた天都先輩は短くそう答えた。
彼女の真意は全く分からない。もしかしたら余計なことを言ったかもしれない。もっと励ましとかポジティブな話を欲していた可能性もある。
しばらくして何度か唇を開こうとしていた天都先輩が次の言葉を紡いだ。
「……それでも私の気持ちは分からない……と、思う。」
僕の気持ちは届かない。こんなにも助けたいと思ったのは初めてなのに。
「というか別に分からなくていいんだよ。分かってほしいとも思ってないし、助けて欲しいとも思わない。何なら、ここでの話は聞かなかったことにしてもらってもいい。」
早口で天都先輩は捲し立てる。
彼女は唇を震わせながらいつもの優しい笑みを浮かべている。
それが本当の本心だとはあまり思えない。
「……そんなの、できませんよ。」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
「僕、高校に入って初めて仲良くなった人が天都先輩なんですよ。」
しっかりと天都先輩の顔を見る。
彼女の目は大きく見開かれていた。
「そんな人が困ってるのに助けたいと思わないわけないじゃないですか。」
そう言うと、彼女は俯き目元を隠すように左手で眉毛辺りを掻く。
「でも、多分どうすることもできないよ。」
しかし、天都先輩はやはり否定の言葉を口にする。
……優しい性格が出ている故だろう。
恐らくどう言っても「別にいい」と言うのだろう。
「……天都先輩の望みはなんですか?」
ただ、これだけは確認しておきたい。
それが今の僕が一番したいことだから。
「……今の私の望みは今の関係性でいることかな。あんまり私の家庭の事情をかき回されるのも好きじゃない。学校生活も部活動も今が一番心地いいしね。」
「……分かりました。」
天都先輩と「じゃ、また部活で」と別れの挨拶をし、天都先輩の元から離れた。
彼女はまだ、あそこで待つつもりらしい。それが彼女の一番の願いだと……思う。多分、恐らく。そう思いたいだけかもしれないが。言葉でしか読み取れない部分が多い。
そうして、僕は今日ここに来た本来の目的を遂行するために足を動かす。
いつもうるさく思っていた店内BGMが聞こえなくなっていたことに今気づいた。




