ヨーグルトの男
それは夏も終わりの頃である。
三日前からまた奇妙な男が店に来る。
男は店が暇に成った「午前十時」と「午後三時」に必ず来店する。
初老で白髪、身なりもキチッとして『お金』もある程度、所持しているようであった。
今日もドアチャイムが鳴り、その男が店に現れた。
ダストボックスの上で『雉トラ猫(招き猫)』が男を見ている。
石田さんがバラバラになった雑誌を整理している。
「いらっしゃいませ~」
男は売り場の奥へと急ぐ。
そしてチルドコーナーで『ヨーグルト』、パンコーナーで『食パン』を手に取りレジカウンターに持って来た。
「いらっしゃいませ~」
商品をスキャンする。
「二点で二百九六円になります」
男はポケットの中から数枚の折り畳んだ一万円札を取り出し、申し訳なさそうに、
「一万円で良いですか?」
静子はニッコリと笑い、
「はい、どうぞ」
男は入り口に設置してあるコピー機を指差し、
小声で、
「あの~・・・、そこで食べさせてもらってもよろしいでしょうか」
「え? あッ、どうぞ、どうぞ。お客さんも居ない事だし」
男は静子に一万円を渡す。
「九千七百四円のお返しです。有難うございます」
コピー機の上にヨーグルトと食パンを置き、表通りを眺めながらしみじみと食べ始める男。
食べ終わると、ゴミをカウンターに持って来て、
「御馳走様でした。このゴミは?」
静子は笑顔で、
「あッ、ありがとうございます。よろしいですよ。そこに置いて下さい。私が片付けますから」
静子はニッコリと笑って、
「またおこし下さいませ」
男は公園の方に消えて行く。
この三日間、いつもこの形を崩さない。
静子と石田さんがレジカウンターで話しをしている。
「・・・ああ、あの男っスか? きのう公園のベンチで傘をさして寝てましたよ」
静子は驚いて、
「ええ? ベンチで寝てた? ・・・お金は随分持ってるみたいだったけど」
「ヤバイ事やって来たンじゃないっスか」
「そんな人には見えないわよ」
それから数日して、
いつもの様に静子と石田さんがレジカウンター内で喋っている。
「店長、木村が公園で『ヨーグルトの男』にタカってましたよ」
「タカってた? 困った人ねえ」
「コマッたって、アイツあれが本業っスよ。ベンチ代、セビってました。ケッコウ、気合い入れて仕事してましたよ」
「ベンチ代? 何それ〜。可哀想に・・・」
「どっちもどっちっスよ。あの男だって叩けば埃が出んだから」
静子が石田さんを見る。
「・・・」
「? 何か」
「え? いや、タタけばホコリって、イッちゃんて難しい言葉知ってるのね」
「刑事モノ、好きっスから」
「へ~え。・・・でもあの人、最近痩せたわね」
「そりゃ、公園で生活してたらどんな金持ちだって三日で痩せちまいますよ。それを超えればイッパシのプー太郎に成れるんスよ」
「へー。・・・オーナーの言う『大将』て云う方も、そうだったのかしら」
「タイショウ? ああ、『アレ』も最初は苦労したんじゃないっスか。でも家を作ったんスから大したもんスよ」
「家? ああ、あのブルーシートの」
それから二ヶ月経ち、季節は秋霖の時期に変わった。
外は今日も雨である。
静子が雑誌を整理しているとドアーチャイムが鳴る。
ふと見ると傘を折りたたんで、久しぶりにあの男が店にやって来た。
いつの間にか上着のジャケットは汚れたウインドブレーカーに替わっていた。
革靴は履いているが靴下は履いてない。
長く風呂に入っていないせいか、男の周りには独特な臭いが漂っている。
「いらっしゃいませ~」
男は以前のようにチルドコナーに行き『ヨーグルト』を見ている。
が、今日のあの男の様子は少し違っていた。
男はヨーグルトを見ながら震えているのである。
静子はさり気無く男の背後を通りバックルームに入った。
そしてマジックミラーから男を覗いている。
男はヨーグルトを手に取り、パンコーナーに向う。
そして『食パン』をジッと見ながら震えていた。
暫くして静子がレジカウンターに戻って来た。
男はヨーグルトと食パンを手に、レジカウンターに来た。
静子が男を見て、
「いらっしゃいませ~」
男は商品をカウンターに置き、震えながら静子を見ている。
そして、
「あの~・・・」
「はい! 何か?」
「すいません。お金が無いんです」
静子は驚いて、
「えッ! あら、どうしましょう」
男は淋しそうに、
「・・・食べさせて下さい」
静子は驚いて、
「タベサセテ?・・・ええ! 困ったわー。ウチは商売しているんですけど」
恋三は事務所でモニターを見ていた。
妙な気配を感じたのでレジカウンターに出た。
「どうしたの?」
「え? あ、このお客さんお金が無いんですって」
「お金が無い?」
恋三は男の風体を見て、
「・・・じゃ買えないだろう。お客さん、可哀想だけど売る事は出来ないなあ」
男は力無い声で、
「警察を呼んで下さい。お腹が空いて」
「そう言われても、・・・困ったわねえ」
静子は恋三を見た。
「そうだなあ・・・。警察ねえ・・・。万引か? 泥棒か? 無銭飲食?・・・」
恋三はまた、あの時の『日弁連副会長』の言葉が頭を過ぎった。
※『ここに居るのは君と私だけじゃないか。なら、法律は誰が作るの?』
恋三は決断した。
「お客さん、いつも食べているそこのコピー機の上で食べなさい。僕が立て替えておくから」
静子は驚いて、
「ええ!」
「いいよ。良い。さあ、早く食べなさい。店員が出て来ない内に」
静子はジッと恋三を見詰めた。
男は目に涙を浮かべて、
「ありがとうございます。ありがとうございます」
と繰り返す。
そして、ヨーグルトと食パンを持ってコピー機の上で食べ始めた。
静子は黙って男を見ている。
恋三は何も無かったように事務所に戻って行った。
暫くして、石田さんが商品を抱えてバックルームから出て来た。
「店長、バカウケが欠品んスよ。夜勤がチョンボしたんじゃないスか」
「あら、一番売れているのに。林くんたら」
「アイツも時々跳ばしますからね。店長、確認した方がいいスよ」
「そうね~え」
石田さんは棚に商品を埋めて行く。
コピー機の前に立つ『あの男』を見て、空箱を潰してバックルーム入って行く。
暫くして石田さんがレジカウンターに戻って来る。
静子に小声で、
「あの男、久しぶりっスね」
「え? あッ、そうね」
「あの姿じゃ、とうとう金も無くなったンしょ」
静子はきつい眼で石田さんを睨む。
石田さんは静子を見て、
「えッ? アタシ何か言いました?」
「いえ、何も。あッ、そ、そうかもしれないわね」
「もうそろそろ、病院か警察行きっスよ。店長、店に来たらマークして下さいね。『何かクレ』て言われても無視した方が良いスよ」
「え? え、ええ。そうね」
ドアチャイムの響きと共にお客が一人店に入って来る。
「いらっしゃいませ~」
客はコピー機を使いたいのか男の後ろに立つ。
「あッ、すいません」
男は急いでパンとヨーグルトを片付ける。
客は呆れた顔でレジカウンターの静子を見た。
男は淋しそうに静子を見て、
「・・・ご馳走さまでした」
丁寧にお辞儀をして店を出て行った。
その日を最後に『あの男』は店に来なくなった。
数日して救急車がサイレンを止めて、静かに店の前を通り過ぎて行く。
静子がそれを見て、
「あら、何か遭ったのかしら?」
「・・・そおっスね」
恋三は店の外の掃除を終えて売り場に戻って来た。
静かに走り去った救急車を見て、
「おい。あの救急車、公園の方に曲がったぞ」
「ああッ! あの男っスよ。今朝、ベンチでビニール傘を開いて裸足で寝てましたから」
「あの男って?」
「ヨーグルトの男っスよ」
静子は驚いて、
「ええ!」
「アイツ、ガレガレでしたよ。生きてンのかな」
「そんなあ・・・」
「アイツには無理っス。ここで生きて行くのは。けっこう大変スから」
「大将に相談すれば良かったのに・・・」
「無理、無理、ムリ」
やはり公園の前に救急車が停まって居た。
助手席のドアーが開き、救急隊員がベンチで横に成って居る男に向かう。
男に声を掛ける隊員。
「モシモーシ、ダンナー! 聞こえますかー」
男は反応しない。
ストレッチャーが降ろされる。
その男を載せて救急車が静かに走り出す。
木村が独り、『ヨーグルトの男』を見送っていた。
つづく




