第56話 実像
メルヘト城の地下牢に隣接している医務室。
リオがエンケルに流し込んだ魔粒子を操作する。
グラントが真剣な表情でその背中を見守る。
診療台に大男が固くつながれている。
怪人ネプチューンと呼ばれた男。
眠る姿は無害な青年。
20歳前後と思われる。
鍛え抜かれた筋肉を浅黒い肌が覆っている。
不測の事態に備え衛兵がそばに控える。
「できた。グラント、これを。」
生成した中和粒子を含んだエンケルをグラントに渡し、吸入器にセットする。
グラントの身体は魔粒子に干渉せず、魔術薬を扱うのに適している。
言わば常時無菌状態である。
「セットできたよ!」
「投与開始。」
ネプチューンの体内に中和粒子が浸透する。
ネプチューンの強化・洗脳にはマンダリン粒子が関わっていた。
地方への初任時からのリオのマンダリン粒子研究が功を奏す。
ネプチューンにつながれたエンケルが緩やかに青く光り、中和成功を示す。
「天才だ...。」
リオが興奮し目を見開く。
「...マンダリンはお役御免だね。」
グラントが真剣な表情のまま呟いた。
「んん...」
ネプチューンが目を閉じたままかすかにうなる。
廊下の方から数人の足音が近づく。
ミコトとムサシの話し声がする。
「ミコト...!」
グラントが眠るネプチューンを気遣ってか、ささやき声でミコトを呼ぶ。
「グラント、リオ。ネプチューンの容態は?」
「マンダリン粒子で洗脳されていて。ちょうど今、中和が成功した。」
自慢げな顔でリオが言う。
「簡単だな。」
「さすがだよ。」
ムサシとミコトがネプチューンを覗き込む。
屈強な青年の顔を、ムサシが何食わぬ顔で見つめる。
「ダメよ。手出しちゃ。」
ネプチューンに胸を貫かれたムサシに、リオが釘を差す。
「ん?ああ。そうだな。再戦は万全の状態でだ。」
ムサシは取り繕うが、ミコトはムサシの殺気を感じなかった。
むしろネプチューンを心配するように慎重に呼吸している。
ネプチューンのまぶたが、少しずつ開かれる。
ミコトたちはそれを静かに見守る。
リオが机の器具を整理している。
「ん...ここは...」
「!」
ネプチューンの声を聞き、リオが飛んでくる。
「気がついた...?」
目を細めたりこすったりして、ネプチューンが目を慣らそうとする。
「治癒士様、危険です...」
衛兵が一歩踏み出し呟く。
「あなたは...」
ネプチューンが絞り出した声に敵意はなかった。
リオがネプチューンの拘束されたままの手を握る。
「大丈夫よ。あなたは戻ってこれた。」
「め...女神さま...」
ネプチューンの目から溢れた涙が顔の横に流れる。
「よくがんばったわ。苦しかったでしょう。」
かつてマンダリン粒子に蝕まれた痛みをミコトが思い出し、胸を押さえる。
「ありがと...女神さま...生きていいんだな俺...。」
森のなかで見た怪人とは思えない、無垢な泣き顔に皆胸を打たれる。
「落ち着くまで、そっとしておこうか。」
ミコトがそう言うと、ムサシとグラントを伴って部屋を後にした。
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ミコトがムサシと共に情報の整理を進める。
思えばゴロファ戦以来、落ち着いて話せていなかった。
グラントもメモを取りながら話を聞くが、膨大な情報に頭が追いつかない。
「ムサシも、グラントも...いいんだよ。五戦士を辞退しても。」
「...」
グラントが浮かない顔を見せる。
「なにを今更。」
グラントの気持ちを察し、ムサシが話し出す。
「世界の息吹を守りたいと、言ったろ?俺たちは、国がどうとかはわからん。だがミコト、信じられるのはお前の意志だけだ。俺はそれを守る。」
ムサシの理屈に付け加えようとグラントがまごつく。
「ボクは...」
「俺を、助ける。頼むぞ。」
ムサシが指先で自分の胸をトントンと叩く。
グラントの表情が緩む。
「ふたりとも...」
ミコトのなかで熱いものがこみ上げ、呼吸を深くしなおす。
「五戦士様!リオストス様がお呼びです。」
やってきた衛兵の呼びかけに応え、三人が医務室に向かう。
ネプチューンが上体を起こして辺りを見回している。
目には生気が宿り、会話に耐えうる様子だった。
ミコトが穏やかに問いかける。
「ネプチューン...気分は」
「誰がリオちゃんの...旦那だ?」
耳を疑う言葉にリオの顔が引きつる。
ミコトも口を開けたまま振り返ると、ムサシとグラントも真顔で固まっている。
「ど、どういう話の流れ...!?リオ...!」
「いや、自己紹介したり少し話したら、ネプチューンがミコトたちを呼んでほしいと言うから...。」
リオがあたふたと説明する横、ネプチューンは凛々しい顔でミコトをじっと見ている。
「あんただな...リオちゃんの旦那は。そうだ覚えてるぞ、俺の腹を突き刺した男だ...。」
衛兵が身構えるが、ネプチューンは表情を変えず淡々と話す。
「そ、それはすまない...。でも僕は、リオの夫じゃないよ。恋人でもない。...な、リオ?」
ミコトの目配せを受け、リオが何度も激しく頷く。
「誰がこんなxrhxr」
「誰も、リオと付き合ってないです!心配なく!」
グラントが手を伸ばし、ムサシの口を慌てて塞ぐ。
「ならよかった。リオちゃんは俺が嫁にもらう。」
また空気が凍りつく。
衛兵すら苦笑いしている。
「ちょっと待って、勝手に決めないでよ!それに私まだ結婚するつもりもないし!」
ネプチューンがリオの目をまっすぐ見つめる。
「まだ...?じゃあ将来、ありえるよな。」
リオの目がしばらくまばたきを忘れている。
「リオちゃんは、俺を悪夢から救ってくれた、女神さまだ。自分のたったひとりの女神を、命をかけて守り抜く。それが男っちゅうもんだ。」
黒髪の長髪を後ろに流し、露わとなっている眉の角度が真剣さを物語る。
肉体はヘラクレスほどではないが筋骨隆々に引き締まり、ネプチューンの生物的な強さを感じさせる。
熱い視線を絶え間なく注がれ、リオの顔が少しほころぶ。
「手がつけられん。」
異様な空気に耐えきれずムサシがその場を後にする。
「ま、まあ、今後の関係性次第なんじゃないかな...?...ね?」
ミコトがリオに同意を促す。
「...そうです。まずは私たちに協力することよ。」
ミコトとリオのたじろぐ様子にグラントが笑いを堪える。
「もちろんだ。なんでも、言ってくれ。リオちゃんの頼みならなんだって。」
なんとか軌道修正し、リオがため息をつく。
「...聞きたいことがあるんだ。君の、故郷のことだ。港町で、暮らしていたんだろ?」
ネプチューンの表情が少し暗くなる。
「誰から聞いた...?」
「君の意識がまだハッキリしていないときに、君が、断片的に語ってくれたらしい。」
ホミニスが尋問魔術で引き出した情報だとミコトは聞いている。
「そうだ...。俺は、河口の村で、魚や貝を獲って暮らしていた...。でもある日海賊が現れて...」
ネプチューンが肩を落としうつむく。
「俺はヤツらの言うとおり、働くから、死ぬまで働くから、村を襲わないでくれと...取引したんだ。俺が乗った船が沖に出た後...別な海賊船が村に近づくのが見えた。」
唇を震わし、呼吸が荒くなる。
「後から来た海賊船と落ち合ったとき、略奪品のなかに、俺の家族の物も、入ってた...。海賊が、約束を守らないことなんて、わかりきってるのに...なぜ俺は、村を離れてしまったんだ...。」
歯を食いしばり、ネプチューンは涙を落とす。
「あなたは、悪くない。」
リオがネプチューンの背中に触れる。
ネプチューンは一層、涙を流した。
「海賊船で、よく生き延びた...。」
ミコトも目を潤ませながら、言葉を振り絞る。
「でもそのあとすぐだ...海賊船が、襲われた。恐ろしい船に。いや...嵐が先だったか。わからない...。気づいたら、黒い男に運ばれて...」
「ボット...」
グラントがメモを手に呟く。
「わけもわからず、いろんな薬...魔術をかけられて...気づいたら森で、人を殺してた。俺は、なんてこと...。」
頭を抱えるネプチューンを見て、皆言葉を失う。
リオが作業台のほうに行き、魔術盤を立ててミコトに見せる。
「...ネプチューンの体内の魔粒子構造、ヘラクレスに酷似してる。ヘラクレスほどじゃないけど、常人では考えられない魔粒子量だわ...。」
「なにか関係がある...ってことだね...。」
ミコトの言葉にリオが頷く。
「ヘラクレスが既に海に向かってる。僕も後を追うよ。」
ネプチューンが濡れた顔をミコトに向ける。
「ネプチューン。話してくれてありがとう...。ここで、君のままで、いてくれ...。」
悲しみに暮れたまま、ネプチューンは視線を落とす。
ミコトは意を決した表情で歩き出した。
「王都を頼んだよ、グラント。」
「うん。」
グラントがリオと視線を交わす。
ミコトが去った後の医務室の扉を、ネプチューンが虚ろな目で見つめている。




