第50話 志向
空が白みはじめ、足元を視認できるようになる。
ミコトに寄りかかり眠っていたグラントを起こす。
森の方に両手を伸ばし、ミコトは静かに風を送りはじめる。
木々にぶつかった風が複雑に流れ湖面がさざなみを立てる。
「ミコト、なにしてるの?」
「この森で道しるべにできるのはおそらく、アネモイの風だけだ。グラントが竹とんぼを飛ばしてくれたから、僕は真っ直ぐ飛んでこれた。」
森を向いたままミコトが説明する。
「そうだったのか...。」
グラントが手に持った竹とんぼを見る。
「夜が明ける頃、風を読むようにとビノダロスに言ってある。きっと合流できるはず...。」
顔色から、ミコトがほとんど眠っていないことがグラントにもわかる。
憔悴しきった表情で祈るように風を送る姿が痛々しい。
「ミコト...」
グラントはミコトの横に並び立ち、両手を前に突き出した。
グラントの風が重なり、ほんの僅かに風の勢いが増す。
ミコトが横目でグラントに視線を送る。
ふたりは互いに頷き、ビノダロスがいるだろう方向に風を送り続ける。
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リオが髪を水で流す。
高温多湿なジャングルの気候にリオは不快感を抱いていた。
髪の水を少し切ってから、風を起こして自分に吹き付ける。
ムサシの故郷で教わった芸当である。
リオが髪を乾かす横で、ムサシが眠る。
魔槍テトラデントによる特殊な傷は、改良されたマンダリン粒子が作用していた。
リオは粒子の進行を遅くしつつ、薬草で痛みを和らげる。
かつてマンダリン粒子を解析したリオでなければ困難な処置であった。
しかしムサシの命は依然刻一刻と削られている。
髪を乾かし終えたリオは、ムサシの寝顔を黙って見つめた。
「リオストス様!」
部屋の外から兵の声がする。
「はい、どうかしましたか。」
「戦士隊が戻られました!」
リオが目を見開き、外に駆け出す。
ミコトがビノダロスに支えられながら拠点に帰還した。
「よかった。無事で...。」
見るからに兵の数が激減している。
ミコトの顔は生気を失っていた。
「リオ...ムサシは。」
第一声でミコトがユニコーンの話を出さなかったことで、リオが作戦の失敗を察する。
「ひとまず、傷の進行は鈍化できた。でも完治は難しい状況。」
「ごめん、リオ...」
呟くグラントの肩にリオが手を当てる。
グラントの首の締められた跡に気づきリオが震える。
「呪 い の 森が、広がっておる。」
ビノダロスの言葉を聞き、リオが覚悟の表情を見せる。
「森に入るのは、やめましょう。ムサシは治癒魔術で、救います。ビノダロス、解析を手伝ってください。」
ミコトがリオに視線を返さない。
「もちろんじゃ。」
リオとビノダロスが、ムサシが眠る住居に入っていく。
ミコトが立ち尽くすのを、グラントが心配そうに見つめる。
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ムサシの痛みが和らぐ。
呼吸がしやすくなる。
リオの声がかすかに聞こえる。
ムサシは意識を取り戻すが、身体の自由が効かない。
胸を貫く傷がムサシを寝床に磔にしているようだった。
声を出すこともままならない。
苦しみから逃れるためにムサシはいつも竹とんぼを回した。
剣を振るった。
風で飛び立った。
意識を風に乗せて飛ばせば、次第に痛みが薄れる。
そうやって切り抜けてきた。
しかし今は痛みのなかに意識を閉じ込められている。
どこにも逃げ場所がない。
今ムサシにできることと言えば、剣を振るのをイメージすることぐらいだ。
ムサシが想像のなかで剣を振るうたびに、背景が切り裂かれ移り変わる。
血と硫黄の匂いを伴う故郷。
母と師範の墓が並び、迫害の歴史が霞んでゆく。
ミコトに出会った王都は乾いた風が吹いていた。
王になる運命を背負いながら、小さなペンダントをミコトは必死に直していた。
甘酸っぱい薬の匂いがする村で、リオはひとりで人を治療し続けていた。
ビノダロスやギデオンは、傷を負いながらも戦いから決して逃げない。
ヘラクレスはミコトを信じ、その力で忠誠を示している。
グラントは臆病な子どもなのに、安全よりも居場所を求めた。
次々に現れる仲間のそばでムサシが剣を振るい続けると、いつのまにか剣が血で染まっている。
仲間たちは、先に進んでいく。
(待ってくれ...)
振り返るとムサシが切り捨ててきた者たちの屍が積み上げられている。
屍の身体は千切れ、抉れ、折れ曲がっている。
しかし目だけがムサシを睨みつけている。
「なぜ...」
「なぜ斬られねばならない。」
屍がひとり、またひとりと口を開く。
「私たちには信念があった。」
「戦う覚悟があった。」
ムサシの胸が痛み、その場にうずくまる。
「お前なんかに斬られてたまるか。」
「意志を持たぬ、空っぽの刃。」
耳を塞いでも遮ることができない声。
すべてがムサシの内側から響いている。
「お前に剣を振るう資格などない。」
ムサシが呼吸を荒げる。
眠るムサシのそばで、リオとビノダロスが必死に治療の手立てを探る。
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ムサシがいつもしていたように、ミコトが剣を研いでみる。
思えばムサシはじっとしていることがほとんどなかった。
大抵剣を研ぐか、竹とんぼを回していた。
今のミコトにはその理由がなんとなくわかる。
苦しむムサシのためにミコトができることなどない。
リオやビノダロスのような高度な魔術は扱えない。
グラントのようにユニコーンを探すこともできない。
現にミコトが現れたことでユニコーンは逃げ去ってしまった。
もう少しタイミングが遅ければグラントが採血に成功していたかもしれない。
ミコトは自分を責めることしかできなかった。
敵が形のある存在であれば、何度やられても、勝つまで戦うことができる。
アリコンを得たことでミコトが密かに抱いていた全能感がいとも容易く打ち砕かれた。
「ミコト危ないよ、ちゃんと手元を見ないと...!」
心ここにあらずといった表情のミコトを見てグラントが声をかける。
「ああ、そうだね。ごめんありがとう...。」
ミコトは無表情で剣を研ぎ続ける。
「ミコト....リオはああ言っていたけど、ボクもう一度、森に行けるよ。」
「...ダメだ。危険すぎる。帰ってこれただけでも奇跡だ。ムサシはリオたちに任せるしか...」
ミコトがグラントのように魔力のない身体なら、今すぐ森に飛び込みたかった。
捜索部隊の被害を見て、拠点に残っている兵も危険性を察したに違いない。
捜索の強行は賢明でない。
グラントの立場を考え、ミコトはそういった言葉を言いあぐねる。
「ごめん...ボクが、弱い子どもだから。」
グラントがミコトの思考を察し、力なく呟く。
目をつむると、森で見た白く恐ろしい顔が脳裏に浮かぶ。
首を締められた感覚も確かに残っている。
グラントが震えを隠そうとする。
同時に、ミコトがまた森に行くと言わなかったことに安堵を覚えていた。
仲間の危機に、自分の身を案じて行動できないと思われたくはない。
自分の狡猾な思考に気づき、グラントも自己嫌悪に陥る。
「ユニコーンは...美しかったかい。」
ミコトの突然の問いにグラントがハッとする。
ユニコーンの淡く輝く姿、触れた温もりが蘇る。
「うん...美しかった。神様みたい...。」
「そうか。ありがとう、グラント。」
ミコトが剣を鞘に収める。
グラントは目の奥が熱くなり、ミコトから目を背けた。
ふたりの間。
ほんの僅かに、鋭い風が通り過ぎる。
ミコトが素早く風上に目を向ける。
グラントも反応した視線の先には、ムサシたちがいる住居がある。
「グラント、兵たちのところに隠れて。」
ミコトが剣を抜いた勢いのまま飛び立つ。
悪い予感を振り払うように、更に追い風を繰り出す。
ビノダロスが黒い影と切り結んでいるのが見えてくる。
「ギラファ。」
ミコトが両手で剣を握り、急降下する。




