第49話 信望
グラントの背後から伸びた木のツルが首に巻き付く。
浮かび上がる白い顔が歪むたび、グラントの首を締め上げる。
意識が遠のき、グラントの視界がぼやける。
「ドドッドドッ」
地を叩く力強い音が、軽快さを伴い迫りくる。
グラントの霞んだ視界のなかで、白馬の足が踊る。
首の締め付けが緩むが、グラントはそのまま気を失い倒れる。
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ミコトの肩に森の闇が重々しくのしかかる。
ビノダロスが小さく焚いた火が、揺らめいている。
それを眺めることだけがミコトに許された気休めであった。
ほとんどの兵が逃げ出し、グラントも失った。
寒さと罪悪感でミコトの唇が震える。
「森で火を焚くのは、禁じられているがな。エンケルの光より、戻ってくる者に気づかれやすい。」
誰も言葉を発さないなか、ビノダロスが低く呟きながら薪をくべる。
「このままでは...ムサシを救うどころか...」
ミコトの目の焦点が合わない。
「ミコト、今は、いかに消耗を少なくできるかじゃ。ワシらが朝を迎えることが、今は最優先じゃ。」
ビノダロスが決して優しい表情を向けず、ミコトを励ます。
「ホモデラ族の存在が、スパイダーフォレストの侵食を食い止めてたんだ...。ここも既に、呪いの森の一部...」
スパイダーフォレストに入った者は、生きては帰れない。
王国に住む誰もが知っていることだった。
屈強なビノダロスさえも時折その身を震わせる。
「ミコト、呼吸を忘れるな。」
ビノダロスがどんなに小さく呟こうと、音のない森ではその言葉は鮮明に聞こえる。
わずかに残った兵たちの震える音さえもミコトを追い詰める。
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グラントが目を覚ますと、柔らかな草の上に寝かされている。
風が静かに吹く湖のほとり。
水面が鏡のように月をはっきりと映し出している。
空気の清らかさを無意識に感じ、グラントが深呼吸をする。
視界の端から、ひとつの波紋がゆっくりと繊細に広がる。
岸辺をなぞると、青白い馬体が静止している。
美しい毛並みが月の光を反射し、その輪郭をぼやかしている。
頭から優雅に伸びる一本のツノが月の位置を指し示すようだった。
「ユニコーン...」
グラントがゆっくりと起き上がる。
神獣の美しさを目の当たりにし、吸い寄せられるようにそれに近づく。
ユニコーンは真っ直ぐグラントを見ていた。
淡い青に輝く瞳が心の中までも見透かすように。
グラントは不思議と恐れを抱かなかった。
むしろユニコーンの穢れない眼差しがグラントの精神は穏やかにする。
「やあ...ボクは、グラント。キミは、ユニコーンだね。」
ユニコーンはつま先を僅かに動かし、湖に波紋を送る。
波紋の丸みがグラントの声に応えるようだった。
「さっきは...助けてくれたのかな。ありがとう。ここは、本当に恐ろしい場所だね。」
今度はユニコーンが後ろ足で土を少し削る。
そして、鼻息を一瞬強める。
「恐ろしくなんてないか。キミの、うちだもんね。」
ユニコーンがかすかに頷く。
「...魔術が嫌いなんだっけ?安心してよ。ボク、魔術が使えないんだ。できるのは、これだけ。」
グラントが掌の上で竹とんぼを飛ばしてみせる。
回転する竹とんぼの羽に、月の光が滑らかに反射する。
ユニコーンが目を丸くして竹とんぼを見ている。
自分の能力が神獣の興味を引いたことに、グラントの胸は高鳴った。
ユニコーンに触れられる距離に、グラントが近づく。
「キミは...ひとりなのかい...?」
ユニコーンも同じ言葉を聞き返すかのように、グラントの顔を見つめる。
「ボクは...仲間ができたはずだったけど、役に立てなくてさ。またひとりになりそうだ。」
グラントが任務を思い出し、懐に手を当てる。
ミコトから持たされた採血針の存在を確認する。
ユニコーンの顔を間近で見ると、枝のようなものを咥えていることに気づく。
「なにか食べてるの...?」
目を凝らすと、古びた轡であった。
かつて手綱が付けられていたことがうかがえる。
轡の端に目を凝らすと、ラーフィール王国の紋章が刻まれている。
なにかに気づき、グラントが湖に視線を移す。
光を纏った風が、水面を這うように迫る。
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身体を揺らし、雲の上を走っていた。
雲の上なら飛ぶという表現が正しいかもしれない。
だが自身と主の重みをしっかりと四本の足に感じ、白く漂う雲を蹴り進む。
振り返ると、精悍な顔に僅かな笑みを浮かべた主がしっかりと背中に乗っている。
「ほら、ユニコーン、前を向いて走りなさい。」
「キィーン!」
主が力強く首を叩くのが心地いいのか、ユニコーンが甲高く鳴く。
やがて白く輝く円盤のような神殿に吸い込まれていく。
眩しく輝く存在が近づき、声をかけてくる。
「癒しの天使。今日も世界に異常はないか。」
「ああ、大丈夫だ。ユニコーンのおかげで巡回が楽になった。」
ユニコーンの主は黄色い光を纏っているが、会話の相手は強い白光を放っており、輪郭が捉えられない。
「ユニコーンは最も優秀な神獣だな。羨ましく思うよ。」
白い存在の声を聞きユニコーンは自慢げに首を伸ばす。
「これからも頼んだぞ。ユニコーン。」
主の芯のある声色がユニコーンの身を震わせる。
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雷鳴が鳴り響く天空を駆け抜ける。
腕、足、首、仲間の身体の破片が血も流さず空中を漂う。
「ユニコーン、お前のツノと私の剣で同時に殺るぞ!」
「キィン!」
ユニコーンは急降下し、黒い残像を伴う目標にそのツノを突き立てる。
すかさず主が一刀両断し、残像がふたつの欠片となり風に流れていく。
ユニコーンは主と目を合わせ、勝利を称え合う。
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ユニコーンのツノを、主ががっちりと掴む。
ユニコーンは逃げようと足をバタつかせるが、拘束魔術によって本来の力が出せない。
「大人しくしなさい!私に、力を貸しなさい!」
首を振っても主の手が振り払えず、ユニコーンは次第に消耗し逃げる気力を失っていく。
「お前だけが、人間を救う鍵なんだ。私たちはそのために、生まれたんだ!」
ユニコーンが歯を食いしばると、咥えている轡の硬さを感じる。
主が背に乗らなくなって、どれほど経ったろう。
手綱を付けられていない轡をユニコーンは咥え続けていた。
「...ユニコーン!言うことを聞きなさい!」
魔粒子が滲んだ鋭い斧を主が手に取る。
「キィィン、キィン...」
ユニコーンの必死の鳴き声は主には届かない。
頭蓋骨に衝撃が伝わり、ユニコーンの視界が揺らぐ。
頭が軽くなり同時に、意識が遠のいていく。
主の手に、ついさっきまで自分の一部だったツノが握られている。
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水辺に座ったユニコーンが静かに呼吸し、まどろんでいる。
グラントはユニコーンの身体に顔をうずめ、横たわっていた。
目を覚まし顔を上げるとユニコーンの白い毛並みが濡れ、光っている。
グラントはそれが自分の涙だと気づく。
顔についた涙を袖で拭う。
「今のは...。」
「キーン...」
ユニコーンがか細く喉を鳴らす。
「キミの...記憶。」
グラントは思い返すことをせず、ユニコーンの身体をゆっくりと撫でた。
毛は柔らかく滑らかで、温かい。
この世で最も心地よい手触りなのだろうとグラントは思った。
「ありがとう。ボクのところに来てくれて。」
「キキ。」
地面に置いていた竹とんぼを、ユニコーンが前足で引き寄せる。
「あ...竹とんぼ。回してるところを見たいのかい?」
ユニコーンが繰り返し首を縦に振る。
ユニコーンの背に手を置いたまま、グラントが片手で竹とんぼを飛ばす。
「ほら。もっと高く、飛ばしてみせるね。」
「キーン。」
ユニコーンの声に応えるように、グラントが竹とんぼを上昇させていく。
下から見ても、竹とんぼは輝いていた。
湖面に映った月の光が羽に反射している。
ユニコーンは僅かに顔を揺らし、青みがかったたてがみをなびかせた。
グラントの顔に笑みが溢れる。
森深くの湖の静寂のなか、空気の音だけが彼らを包む。
かつてない安らぎに、グラントの心が晴れていく。
一瞬、竹とんぼがバランスを崩す。
「――!」
竹とんぼの横に滑りこむように、ミコトが上空から現れる。
グラントの前に静かに降り立ち、剣を鞘に収めた。
「グラント!無事だったか...」
今にも泣き出しそうな顔でミコトが駆け寄る。
「ミコト...!平気さ。実はユニコーンが、助けてくれて!」
振り返ると、ユニコーンがいない。
グラントが慌てて周囲を見回す。
「ユニコーン...!」
グラントの叫び声が、湖に虚しく響く。
「グラント...ユニコーンを、見つけてくれたのかい。」
ミコトがグラントの両肩に触れる。
「う、うん...ごめん...さっきまで本当に、ここにいたんだ。」
グラントがうつむき声を震わす。
「グラント、ありがとう。ユニコーンは本当にいるんだ。それを知れただけで、今は十分だ。」
ミコトがグラントを抱き寄せる。
ミコトの腕のなかで、グラントはユニコーンの記憶を思い涙を流した。




